2009年1月26日月曜日
2009年1月25日日曜日
2009年1月19日月曜日
天上の虹・あさきゆめみしを落札!
class:
本
2009年1月16日金曜日
超域の詩歌
class:
本
『詩心ー永遠なるものへ』中西進著
超域の詩歌
詩と歌と句とは厳然として詩型の特質を別にするが、その上で三者の交響を試みる時代を日本の詩歌史
はいま迎えているのかもしれない。超域の詩歌、そんなおもしろさが始まろうとする予感がある。
コメント:
万葉の遠い風景、詩歌が映す命の華やぎ、自然にこだまする俳句、の三部構成。二部で現代詩と漢詩を
扱っている。連句(俳諧の連歌)は、定型の短歌と俳句、川柳が交響する一つの姿だと思う。漢詩句を
取り入れた和漢・漢和連句もある。後は狭義の詩、現代詩だがこれと交響した連句をまだ私は知らない。
連句で自由律の一行詩などを許せば一応すべてを含むことにはなるが定型は崩れる。
著者の言う交響とは、たとえば俳句や短歌を英語の短詩に翻訳するとか、その逆の翻訳するとか、そう
いう変換・交流を指しているのかもしれない。俳句を短歌に、短歌に俳句を変換することを子規は門人
に示したらしいが、線引きをして自分の領域を囲いたがる一般の俳人や歌人は極度に嫌がるであろう。
2009年1月9日金曜日
奥の細道 十句撰
class:
俳句
「奥の細道」に芭蕉は51句を詠んだ。奥の細道の紀行文とこれらの句は一体化しているのだろう。試みにこれらの句を紀行文と切り離して、純粋に独立した句としてながめ、人がいいと言っていることとは関係なく、印象に残るものを撰んだ。結局、人口に膾炙したものばかり。父の生まれ故郷の最上川から象潟あたりまで追体験してみたいものだ。
夏草や兵どもが夢のあと
閑さや岩にしみ入蝉の聲
五月雨をあつめて早し最上川
雲の峰幾つ崩れて月の山
暑き日を海にいれたり最上川
象潟や雨に西施がねぶの花
荒海や佐渡によこたふ天河
あかあかと日はつれなくも秋の風
むざんやな甲の下のきりぎりす
浪の間や小貝にまじる萩の塵
写真提供はウィキペディアさん
2009年1月5日月曜日
和蝋梅
class:
俳句
目当てにしていた庭の湯の前の蕎麦屋が休みなので華屋与兵衛で寿司を食う。江戸前鮨の元祖とは知らなかった。たしかにしゃりが少なく食べやすい。腹ごなしに向山庭園に行く。
池の角を行き過ぎようとしたとき後ろから芳しい匂い、呼び止められた感じがする。なんだろうとさがすと白い侘助があるが違う。となりにまだこんもりと黄葉を付けた木がある。葉の下をのぞくと黄色い小花がびっしりと付いている。蝋梅だ。葉を落とさないタイプもあるのか。
葉隠れにわれ引きとむる和蝋梅
木越に見上げると透けた昼の月が見えた。池の茶亭ではモダンな着物姿の若い男女の撮影をしているようだ。本館の茶席で抹茶をいただく。ここらへんは家々の敷地が広く生け垣が多い。世田谷の奥沢あたりにもひけをとらないのではないか。
2009年1月4日日曜日
草加〜粕壁
class:
紀行
環七の梅島から日光街道(国道4号)に入る。草加から春日部まで芭蕉の旅に想いを馳せながらたどる。「奥の細道」*で芭蕉は草加宿に泊まったのかと思わせるような記述を残しているが、曽良の随行日記では春日部に泊まったと明記されている。どの宿に泊まったのかまでは記されていない。名乗りを挙げている寺が三つあるらしい。
*奥の細道【ことし元禄二とせにや、奥羽長途の行脚、只かりそめに思ひたちて、呉天に白髪の恨を重ぬといへ共、耳にふれていまだめに見ぬさかひ、若生て帰らばと、定なき頼の末をかけ、其日漸早加と云宿にたどり着にけり。痩骨の肩にかゝれる物、先くるしむ。只身すがらにと出立侍を、帋子一衣は夜の防ぎ、ゆかた雨具墨筆のたぐひ、あるはさりがたき餞などしたるは、さすがに打捨がたくて、路次の煩となれるこそわりなけれ。】
草加
草加松原
高瀬煎餅店でおみやげに小袋の四種の煎餅を買う。
春日部
東陽寺
寺の由来 by 東京絵の具さん
山門前に「伝芭蕉宿泊の寺」の碑
本堂の階段脇に曽良の随行日記の部分「廿七日夜カスカベニ泊ル 江戸ヨリ九里余」が書かれた碑がある。
砂場清三郎で昼食。なんでも屋になってはいるが二八の手打ち蕎麦にはこだわっている感じがする。
小渕山観音院
寺の由来 by 東京絵の具さん
芭蕉句碑「毛のいへば唇寒し秋の風」 寺男さんに句碑はどこにあるんですかと聞いたら、あそこってぶっきらぼうな答えが返ってきた。たしかにもの言えば唇寒し、みんなやられているらしいw
最勝院
寺の由来 by 東京絵の具さん
古利根川
粕壁の古利根川のさゝら波おもへば遠き奥の細みち 春蘭
150日にわたるという奥の細道の第1日目はここまで。来た道を引き返す前に畔の埼玉銘菓むら山で古利根まんじゅうとかすかべ餅を買った。
写真はすべて借用。ご容赦。
*奥の細道【ことし元禄二とせにや、奥羽長途の行脚、只かりそめに思ひたちて、呉天に白髪の恨を重ぬといへ共、耳にふれていまだめに見ぬさかひ、若生て帰らばと、定なき頼の末をかけ、其日漸早加と云宿にたどり着にけり。痩骨の肩にかゝれる物、先くるしむ。只身すがらにと出立侍を、帋子一衣は夜の防ぎ、ゆかた雨具墨筆のたぐひ、あるはさりがたき餞などしたるは、さすがに打捨がたくて、路次の煩となれるこそわりなけれ。】
草加
草加松原
高瀬煎餅店でおみやげに小袋の四種の煎餅を買う。
春日部
東陽寺
寺の由来 by 東京絵の具さん
山門前に「伝芭蕉宿泊の寺」の碑
本堂の階段脇に曽良の随行日記の部分「廿七日夜カスカベニ泊ル 江戸ヨリ九里余」が書かれた碑がある。
砂場清三郎で昼食。なんでも屋になってはいるが二八の手打ち蕎麦にはこだわっている感じがする。
小渕山観音院
寺の由来 by 東京絵の具さん
芭蕉句碑「毛のいへば唇寒し秋の風」 寺男さんに句碑はどこにあるんですかと聞いたら、あそこってぶっきらぼうな答えが返ってきた。たしかにもの言えば唇寒し、みんなやられているらしいw
最勝院
寺の由来 by 東京絵の具さん
古利根川
粕壁の古利根川のさゝら波おもへば遠き奥の細みち 春蘭
150日にわたるという奥の細道の第1日目はここまで。来た道を引き返す前に畔の埼玉銘菓むら山で古利根まんじゅうとかすかべ餅を買った。
写真はすべて借用。ご容赦。
2009年1月2日金曜日
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