2009年6月2日火曜日

劔岳 点の記


『劔岳 点の記』新田次郎

 明治三十九年、測量官の柴崎芳太郎は、地図で空白になっている剣岳の三角点埋設を命じられる。しかし登頂路がまったく見つからない。下見の時出会った玉殿の行者は、登頂路はある、それは雪を背負って登り、雪を背負って帰る道だ、と示唆した。設立されたばかりの日本山岳会も初登頂を目指している。

 柴崎と強力の宇治長次郎は、登頂ルート探索のトライ・アンド・エラーの末に、ほぼ同時に、行者が残した言葉の意味をさとる。剣岳の東側にできている大雪渓を夏に登れということだと。そしてついに登頂に成功する(明治四十年七月)。驚いたことに頂上で赤さびた剣の先と錫杖の頭を発見する。岩をならした跡や火を燃やした跡もある。伝承のとおり、奈良時代にすでに修験者が登頂していたのだ。


映画『劔岳 点の記』公式サイト

2 件のコメント:

  1. こんばんわ。初めまして。
    blog peopleでのリンクありがとうございます。

    剣岳 点の記 映画はまだ見ていないのですが、原作は読みました。
    登ったことありますが今でも苦闘の登山、貧しい装備と未知の登路、先人の苦労と進取の精神に感動しました。
    それよりすごいのは奈良時代の修験者、人を超えているようですね。

    興味深い記事がたくさんありますね。
    また読ませていただきます。

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  2. はじめまして。
    コメントをありがとうございます。

     学問は尻からぬける螢かな   蕪村

     晩学は腹にたまらぬところてん 春蘭

    って感じです(^^;)

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