ラベル 俳句 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 俳句 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2010年6月19日土曜日

ゴーヤ


     正されてネット這はさるゴーヤかな

from iPod touch

写真提供はフォト蔵さん

2010年5月8日土曜日

青葉時雨

  深山路は青葉しぐれや鹿の影  5/7

群れから離れたのか一頭の牝鹿が山道を飛び越し霧の森に消えた。

2010年3月25日木曜日

木香薔薇の芽吹き


   透く垣をふさぐ若葉よ雨しづく 
       
      #575 #jhaiku 五七五 俳句 (木香薔薇の芽吹きのスピードはすごい)

2010年3月23日火曜日

雪解水



  森切れてとみに高鳴る雪解水  

                #jhaiku 俳句 (ゆきげみず)

2010年3月21日日曜日

越生墓参










家族が唱題をし出し私は黙って経の文字を追っていたとき、後ろの山からうぐいすが啼きだ出した。私の代わりに唱和してくれたのだ(^^)
 
    うぐひすも唱題和する墓参かな

2010年2月28日日曜日

春浅し

2009年04月06日09:55

春浅し山廬独居のおもしろさ

3/28〜4/11

山日記(四)都留




2007年06月12日19:49

6月12日(火)はれ

都留市谷村 桃林軒

 八百屋お七の大火(1682年)で芭蕉庵を焼け出された芭蕉は、弟子で谷村藩国家老の高山麋塒(たかやまびじ)に招かれて、麋塒の離れ(都留市谷村)の桃林軒(とうりんけん)に1683年1月から5月まで五ヶ月間寄寓した。時に芭蕉は数えで四十、不惑であった。再建された桃林軒には芭蕉の発句に脇を付けた連句の句碑があった。

 夏馬の遅行我を絵に看る心哉  芭蕉
  変手ぬるく滝凋ム滝     麋塒
 蕗の葉に酒灑ぐ竹の宿黴て   一晶(「一葉集」)


 馬ぽくぽく我を絵に見る夏野哉 芭蕉
  峡は雪解の富士が収まる   春蘭


      
 岩殿山
 岩殿を侮るなかれ夏あざみ
 落城の山には白き娥の乱舞
 熊注意札見てもどる夏の山

山日記(三)時鳥



2007年06月12日19:24

6月9日(土)終日雨
 五月雨や生ごみ捨てに出る女
 木も草も雨にうな垂れ青葉闇
 夏籠り賞味期限を先に食ふ


6月10日(日)雨
 三年ぶりか、時鳥が飛んできて啼いてくれた(^^) 
 きゃっきゃ、きゃきゃきゃきゃ! 
 特許、許可局! 
 てっぺん、かけたか! 

 聞きようであるが、ちょうど高くなり放題の辛夷と楓、紅葉、桂のてっぺんを止めるべく伐っていた時だったので、てっぺん、かけたか!と聞こえて可笑しかった。

 とどくうち高枝伐らんほととぎす
 とどくうちてつぺん伐らん時鳥


6月11日(月)はれのち曇り
 夜来の雨が止み青葉の光がまぶしい。鶴の一声、見上げると蒼穹を一羽の鶴が飛んでいた。

 霖雨止青葉遍光
 孤鶴一聲山盧上

山日記(二)夏沢峠




2007年06月12日19:18

6月7日(木)はれ
蕎麦打つて独り食み居り青時雨
かるがもの池にくつろぐ植田かな


6月8日(金)くもり

夏沢峠

 ひとりでは山に行かないようにと家族に言われていたが、朝7時に発作的に山荘を出発。小淵沢から鉢巻き道路に入り北上。美濃戸口を右に見て左折。牧草地脇の砂利道はサファリラリーのようで結構好きだ。上槻木から鳴岩川の北側を三井の森に沿って東へ進む。

 T字路を右折しフォレスト・カントリー・クラブ方面に進む。両側は三井の森で別荘地かゴルフ場だ。しばらく行くと唐沢温泉と夏沢鉱泉の分岐点に出る。狭い登山道のような砂利道。向こうから車が来たら往生するだろう。

 来ないことを祈りながらしばらく進むと、桜平のゲートに出た。車はここまで。駐車場は150メートル上ったところにある。道の脇に止めてもかまわないようだが、律儀に駐車場に止めた。

 8時40分、ゲートを通る。鳴岩渓谷に沿って上って行く。久しぶりの登山で体が重い。胸が苦しい。こんなことでどうする。峠までは無理かも知れない。山はまだ早春のようなおもむきだ。高い山肌には雪渓も見える。

  夏沢の汗はいのちや滝の音

 やがて上の方に煙突の煙が見えた。夏沢鉱泉だろう。山桜が満開だ。

  鉱泉に煙立ち立つ山ざくら

 鉱泉の主人だろうか、外に座っていた。お互いに会釈した。声をかけようとしたが携帯電話中だった。またこちらを見たので会釈して去る。主人は携帯の時刻を見たようだ。軟弱そうで変な格好のおやじがひとり9時に通過とでも記憶するのだろうか。

 あえぎあえぎ、休み休みのぼっていく。ちょっと休めば息の苦しさがおさまってくる。ようやくオイレン小屋に到着。外で主人と客だろう、談笑している。会釈して、「峠まであとどれくらいですか」と聞いた。「大丈夫だよ、ちょっと雪があるけどね」という返事。距離も時間もわからないけど大丈夫なんだろう(^^;)

 深い森に入ると鳥の声も沢の音もしなくなった。暗い原生林の中は雪がたくさん残っている。寒いし雲行きもあやしく心細い。自分の雪を踏む音と心臓の鼓動ばかりを意識する。

 新しい倒木も多い。苔に覆われた根が浮き上がっている。植物にとっても過酷な環境なのだろう。

  残雪の原生林や靴の音

 まだかまだかと思わず一歩一歩あがっていくことに専念しよう。苦しければ休めばいい。

 暗い森を抜けた。視界が開けた。ここが夏沢峠か。小屋が二つあり、その後方にそびえているのが硫黄岳だろう。時刻は10時40分、桜平から2時間もかかってしまった。

 山彦荘とヒュッテ夏沢は閉まっていた。『単独行』の加藤文太郎は初めての冬山の第一日目をここで迎え引返した。二日目は人恋しくて本沢温泉へ下りていった。しかし誰もいなかった。

 今は初夏、私のほかには誰もいない。文太郎の淋しさを察しつつ岩陰に風を避けて休む。霧が濃くなってきた。硫黄岳は雪渓が残っている。

  夏沢の峠をひとり霧の中

 とりあえず、早い昼飯にしようか。ぶどう入りパン、大根、胡瓜、トマト、甘納豆、干し魚、チョコレート、水。甘納豆と干し魚は文太郎のまねだ。山彦荘の看板にはももんがとやまねが巣食っていると書いてある。たしかに小屋には破れたままの板壁がみえる。

 11時20分、さぁ、元来た道を戻るかと歩き出した。ふと、山彦荘の脇のすぐ下の崖になにか黒いものが動いた。すわ、熊かと驚いたがよく見ると、日本かもしかだった。断崖に生えたわずかな青草を無心に食べている。

 じっと見ていたら、見返してくれた。「どうしたの?」と言われたような気がした。「うまい?」と声をかけたが、怯えもせずまた草を食べている。山川草木皆悉有仏性。このかもしかは神様の一つの姿かもしれないと思いながらまたあかずながめていた。またまなざしを返してくれた。余計なことを考えず、無心に山のかもしかに成りきっている。

  崖の草食む羚羊や雲の峰

 かもしかと別れて帰路につく。上りは心臓、下りは膝がきつい。雪に突っ込んだステッキが折れた。桜の倒木の枝を杖にして凌ぐ。帰りには往きに見えなかったものが見えてくるものだ。色々な苔、すみれ、山桜、多くの名も無い滝。

  夏沢の苔むす道やすみれ草
  かへさにはむしろ名も無き滝が見え

 12時45分に桜平のゲートに到着した。あこがれの夏沢峠にたどり着けた達成感に満たされて山荘に帰る。もちろんひとりで乾杯だ。

山日記(一)境川




2007年06月12日19:11

6月6日(水)はれ
 境川の飯田蛇笏の山盧をたずねたが、朝早く道を聞くべき村人も見えずギブアップ。桃畑の丘の結構下の方ということは分かった。

 境川
夏霞山盧たづねて境川
連山の影はおぼろや夏霞

 聖応禅寺
狂鶯の歩みどどむる美声かな

 須玉
新麦のあはきみどりの穂波かな
山家へと遠き坂みち花茨

 大泉
刈草のけむり入り込む車窓かな

 山家
木苺の花にむぐれる熊ん蜂
郭公を耳に草刈る山居かな

憑神

2007年05月23日10:44

『憑神』浅田次郎
 (つきがみ)

ねたばれ:
向島の三囲(みめぐり)神社は霊験あたらかであることが知られている。時は幕末。御徒士の別所彦四郎は、小名木川の土手下に草に埋もれた小さな祠を見つけた。よく見ると三巡(みめぐり)神社とある。しかし三囲神社とは全く関係なかった。ご利益どころか逆に貧乏神、疫病神、死神がそれぞれ順に取り憑くというとんでもない神社だった。

実は彦四郎は上司の娘の婿になって、御徒士の組頭まで出世をしたのだが、男子が生まれた途端、もう用なしとして上司の陰謀により降格し婿入り先を追い出されてしまった。

貧乏神は豪商、疫病神は力士の形で彦四郎に取り憑こうと現れたが裏技(相手を泣かすくらい拝み倒すと災難を別の人にふることができる)で難を逃れた。貧乏神は憎い上司のところへ、疫病神は兄のところへふった。しかし最後の死神(少女)はだれにもふらなかった。

幕府は崩壊し大政は奉還された。もう古い武士の生きるみちはない。処世にたけ彦四郎より低い身分から出世した榎本釜次郎や勝海舟に新しい体制の中で一緒にやらないか誘われるが拒否する。御徒士として最後の死華(徒花)を咲かそうと、家康(慶喜)の影武者の扮装をして上野の山に向かうのだった。

  ならぬ徒花ましろに見えて 憂き中垣の夕顔や

こめんと:
一つのラスト侍の形だろう。浅田次郎の『プリズン・ホテル』は面白すぎるが、そのテイストがこの作品にもある。だが最後の締めるべきところをしっかり締め余韻のある作品となった。映画化もさもありなん。

榎本釜次郎とは新体制に反発し函館にわたり蝦夷国を建設しようとした榎本武陽のことだろう。戦いに破れたが助命され新体制でも生き残っている。勝海舟は幕府方に属しながら日本全体のことを考え、真の攘夷とは何かを知っていた。しかし、その二人の英雄をあざ笑うかのように一介の御徒士、彦四郎は上野の山で散った。すがすがしさを感じない人はいないだろう。


三囲神社 

  遊ふた地や田を見めぐりの神ならば 其角

  みめぐりの社ぐるりと冬木風    春蘭

牛島弘福寺 

  海舟の胆を鍛えよ花の寺      春蘭

おくの細道

2007年05月14日13:18


  弁慶は座すも難儀や花筵  春蘭


奥の細道というと平泉、平泉というと立ち往生の弁慶を思い浮かべる

芭蕉自筆本の臨書的書写をした
原寸大にした
小冊子なので字も小さい
途中から筆をあきらめボールペン
すでに翻刻されたものと違う部分もある
写本したり翻刻しているうちに違いが
多くなるのだろう
カバーを適当に付けて冊子に装丁した
17.5×15cm 
本文は31枚、裏表で62ページ+表紙

http://homepage.mac.com/metrius/okuno.pdf

萱草

2007年05月13日14:02

  山菜の採れぬ折りには野萱草 
       
  みちのべはさけて摘みけり萱草  春蘭

              (のかんぞう、わすれぐさ)


宗祇の自撰連歌集「萱草」を翻刻していたのを忘れていた。四季が終わって長大な恋・雑連歌が残っていた。

原文画像
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0002.html
図録
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/tenjikai/2000/zuroku/c21.html
翻刻
http://homepage.mac.com/metrius/wasuregusaall.pdf

青嵐

2007年05月12日18:40


  人の世は折り合ひなれや青嵐  春蘭


風がやっとおさまった。この嵐で青梅がかなり落ちた。今年は梅酒用に買わないといけないだろう。鉢に仕立てた八つ手の若い葉はほとんどが元から折れとれそうだ。

柚の花

2007年05月10日16:33


 悪縁を切れぬか白き柚の花

 休肝日あすに振り替へ初がつを

 村夫子貴女まかせの初夏の市   春蘭

新茶便

2007年05月07日20:12
  
  狭山より定形外の新茶便  春蘭

花茨

2007年05月07日20:09



  御近所は皆こはだかに花茨  春蘭

ちりめん山椒

2007年05月07日19:10

  目に木の芽独活の味噌和へ初がつを  春蘭

http://www.kobuya.net/iroiro/resipi/tirimennsansyo/tirimensansyo.html

今年はこの作り方をさんしょうしてちりめんさんしょうを作った。醤油がきれていてこんぶつゆを使ったのが不幸中の幸いかもしれない。かなり理想に迫ったものができた気がする。しびれた(^^)




写真:
ちりめん山椒、かつをのたたき、山本勘助の酒、山独活の味噌和え、この季節は好きだ♪

苧環

2007年05月07日13:11



  植物になるな苧環くれしひと  春蘭


今年も薄紫の苧環(おだまき)の花が咲いた。
うつむいている。
この花を呉れたひとは今も病院にいる。
もう三年経つが意識が戻らない。
まぶたをしきりに動かすようになったという。
脳が再生しているのはたしかだろう。
復活してほしい。

山ざくら

2007年05月06日13:58

甲斐源氏起きし城あと山ざくら
山もとに勘助屋敷鯉のぼり
勘助てふ酒には蕗の苦みかな
春の牧にはか風林火山館

春雷や笠着て潜む富士見の湯
チョコアイスかじるわらんべ四月尽
雪嶺や芽吹く林は風の音
うぐひすの声は正しく但馬牛

市ならばいかほどたらの芽の籠(こ)もよ

あけびの芽摘みつつをれば小糠雨
         むかへの君と傘のゆふぐれ

啼く雉子やところどころに山辛夷

雨やむでほのぼの明けるひんがしの
         杜はしきりに雉の声する

行く雲やさくらは風にさからはず
深山路は高き梢にさくらかな
咲き初めてたつた三日の落花かな

去年めでし花はいまだに蕾にて
         つねより多き嶺のしらゆき

ふるさとの花の下にて酔ふならば
         夢幻のままに覚めぬともよし



写真:
 里から八ヶ岳を望む、甲斐源氏発祥の谷戸城址より、山本勘助の墓(最近子孫が名乗り出たらしい)