去嫌総論 in『貞享式海印録』曲斎著
本書(芭蕉伝書『二十五箇条』支考著を指す。)
【俳諧に指合の事は、凡そ嚔草の類に随ふべし。少しづゝの
新古の事あり。されど一座の了簡を以て、初心には随分許すべし。】
注:指合(さしあい) 連歌・俳諧で、同字語や同義語などが規定以上
に近くに出るのを禁じること。また、そのきまり。
注:嚔草(はなひくさ) 野々口立圃が寛永十二年に著した最古の俳諧
作法書。
▲(曲斎の解釈を示す。):
我家は禅俳の宗なれば、古法の去嫌を固(もと)とせずといふ心なれども、
従容してかくいへり。
此の故に古式に或ひは五去といふも、其の句其の句の出るに任せて五去
にも二去にも、其の理ある物は越をも許されけり。
初心には随分許せとあるをもて、古式に拘らざる故明らか也。素(もと)
より去嫌を必とせざれば、是と定まりたる掟なけれど、門人は其の席々
の證を鏡(かがみ)とせし故に、人々各々の訯き(さばき)も同意の訯きも
あり。今則(のり)とせば、句去近き物をとるべき事也。
本書:【一句の好悪を先づ論じて、指合は後の僉義なるべし。指合とは辞の事
也。去嫌とは象物の類也。指合、去嫌の用は、変化の為め也と。先づ
其の故をしるべし。】
▲:一句の好悪とは作の事ならず。前句を、見かへしか見かへざるかと骨髄
の変を論ずる事也。よく前情を変ずる時は、猫の越に鼠と付けても意の
運び雲泥にて輪廻しせざれば、生類の論は時に臨みて許し、又前句を其
の間々に付くる時は、趣向は唐天竺に異なるとも、その情通へば許すま
じとぞ。
指合とは字類の事、去嫌とは神、釋、恋、無常、名所、山川、衣食、生
植等の模様を配る皮毛(ひもう)の変なり。この故に「後の僉義」と云へ
り。されば恋は二より五なれども、百句続きたるも長句花短句鳥と並べ
たる変格もあり。
如此は前句を見かふる骨髄の変ならで、模様の皮毛に何の変かあらむ。
抑も宗匠の能といふは、翁の金言を述ぶるのみなるを、句々出づる毎に
掟たる付肌の論には及ばず、己が涅覔(ねちみゃく)の工夫より、なの花
に行燈も、打越の浮名を立て、徒に句を返す宗匠もあるよし、祖師の冥
見恥づべき事になむ。
本書:【変化の不自在より、世に指合、去嫌の掟あり。万物の法式は、此のさ
かひにて知るべし。】
▲:連俳に去嫌を立てしは変化の為まなれど。当門には前句を転ずる妙法あ
る故に、強ひて古式に預らずと其の理を堪破せよと也。
つらつら惟(おもん)みるに当門専用の式と云ふは、「春秋五去にて三よ
り五に及び夏冬二去にて一より三に至る。花は折に一つ。月は面に一つ
にて、五去と云ふ類の外は、凡て臨機応変のさた也。」
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