蕉風俳諧の発端となったと言われる、冬の日「狂句こがらし」の巻には、俳諧師芭蕉が敬慕する連歌師宗祇が出てきます。宗祇は連歌を完成させたと言われています。同様に芭蕉は俳諧を完成させたと言われています。
一般に「連歌は景句ばかり詠んでいる」、それに対して「俳諧は人情句ばかり詠んでいる」と思われているようです。両者とも長い歴史があるのでそういう時期もあったことでしょう。
俳諧の代表として「狂句こがらし」の巻、連歌の代表として宗祇らの「水無瀬三吟何人百韻」を見て実際の所どうなのか明らかにしてみました。
人情句か景句かの判断は微妙な領域ではありますが、私の独断(同じ基準)を両者に公平に適用するということで。
●俳諧 冬の日「狂句こがらし」の巻 芭蕉他
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/shitibusyu/huyunohi.htm
人情句 景句
表 4 2
裏 10 2
名表 9 3
名裏 5 1
ーーーーーーーーーーーーー
計 28 8
77、7% 22、2%
●連歌 水無瀬三吟何人百韻 宗祇他
http://www.h6.dion.ne.jp/~yukineko/minase.html
人情句 景句
表 2 6
裏 10 4
二表 13 1
二裏 13 1
三表 7 7
三裏 12 2
名表 12 2
名裏 6 2
ーーーーーーーーーーーーー
計 75 25
75% 25%
この結果、連歌と俳諧を景句と人情句の多寡によって特徴付けることは無理だということが判明しました!!
水無瀬三吟の表八句は序なので神祇釋教述懐恋旅など人情の入りやすいものが御法度で景句が多いのだと思います。これだけを見て連歌って景句ばっかりと思ってしまう人もいるでしょう。
また俗語がなく雅語ばかりなので人情句を読んでも景句のように感じる向きもあるかも知れません。人情をものに託したり譬えたりする向きも見受けられ、表向きは景句のように見えるでしょう。
二折や三裏、名表など破の部分はほとんどが人情句で、自他場論の北枝におこられそうです。でも芭蕉さんにはおこられないと思います。芭蕉さんもこの点に関して執着がなかったようですから。
俳諧はもともと俳諧之連歌で俗語を使った連歌の一種(部)でした。俳諧が連歌から独立したあとも両者の違いは一点、俗語を使うかどうかに絞れると思います。俗語を正すのが俳諧だと芭蕉さんが言った意味の一端もここにあろうかと思います。
おわり
2006年08月22日21:51
0 件のコメント:
コメントを投稿