in 付録「元禄の蕉風」佐々醒雪 in 『俳諧註釈集上巻』 東京博文館
付合には、古来三変があると、蕉風では常に説かれている。
第一は「付け物」(注 物付け)即ち貞門風の語の縁によって句を連ねることで、それが談林風では「心付け」に転じた。その「心付け」とは、前句の余意余情を以って付句を作ることをいうのである。ところが「心付け」ではなお前句の作者の作意を受けたものであるから十分に変化しない。自分の趣向が前句の作者に囚われていて面白くない。
さればとて古風な取做し付け(注:見立て替え、曲解)では、前句の作者の思い及ばぬ趣向は得られるが、丸で謎々を説いた様で、毫も詩趣がなく、言語上の洒落に落ちる。
そこで前句に囚われず自由に新意を出しつつなお語の縁をも借りないで工夫を凝らしたのが、芭蕉の創意で、所謂る匂いの付けまたは位あるいは響きの付けというのである。
匂い、位、響きは、全く同じ意味で、畢竟、前句の縁語は勿論、その余意をももとめずして、ただ前句の匂いと同じ匂いのする句を付けるということで、他の語でいえば前句の位や響きと同じ位、同じ響きの句を付けるというのである。
たとえば、
灰うちたたくうるめ一枚
というと、自ら田舎びた匂いがするから、同じ田舎めいた匂いのする句、
此の筋は銀も見知らず不自由さよ
と付ける。この句には銀の両替が出来ぬからうるめで辛抱したという様な意味は決してない。ただ前句と付句の匂いが相通うのみである。もし更に、
青天に有明月の朝ぼらけ
という句をとると、自ら壮快で眼界の非常に広い様な心持ちがする、その位、その響きを以って、やはり大きな句を付けたのが、
湖水の秋の比良の初霜
である。
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