2011年9月5日月曜日

山籠り記 



2011年7月21日〜9月4日

7月25日 月曜日
小淵沢駅近くの老舗井筒屋でうなぎをいただく。私は白焼丼。行列のできる人気店があるとはしらなかった。渋い佇まいがいい。

 ◯落款の読めぬ茶掛けや鰻丼





杓底一残水と読めたが、名前が達筆か癖字か読めない、本大臣外?


7月26日 火曜日

毎日郭公が鳴いてくれるのはうれしい。

 ◯郭公の教える森の深さかな


 ◯いたづらに伸びる木止めん子規

木のてっぺんを伐っていた時、ほととぎすがてっぺんかけたかと鳴いたので失笑。

7月27日 水曜日
雨のち曇り。まだ暗い暁の雨にひぐらしが鳴いている。夕には波状攻撃のように来鳴いては去りまた来る。

 ◯ひぐらしの声に明け暮れ山籠り

窓から近くの草叢に鹿四頭を目撃。猫に見せようとしたら気付かれた。

 ◯眼が合つて逃げ出す鹿や草の庵


7月28日 木曜日
曇りときどき小雨、肌寒い。

 ◯すずしさを過ぎて肌さむ山籠り

8月2日 火曜日
雨読。『西行花伝』歌は宿命によって雁字搦めに縛られ浮世の上を飛ぶ自在な翼だ。浮世を包み浮世を真空妙有の場に変成し、森羅万象の法爾自然の微笑を与える。それは悟りにとどまって自足するのでもなく迷いの中で彷徨するのでもない。ただ浮かれゆく抑えがたい心なのだ。花に酔う物狂いなのだ。生命が生命であることに酔い痴れる根源の躍動といってもいい。歌はそこから生れる。

8月4日 木曜日
晴れ。新府の共撰場ではね桃をゲット。オオムラサキセンターで、ちょうど羽化したてのオオムラサキの飛翔を見た。一本の木に群れているありさまには感動。メーラレンで昼食。


8月6日 土曜日
遠征。御射鹿池、渋の湯、蓼科でイタ飯、白樺湖、霧ヶ峰、諏訪、諏訪神社秋宮、岡谷IC。


8月8日 月曜日
立秋。晴れ。清里の森を散策。ほととぎすの声を十一回聴いた。磯善で昼食。獅子岩。南牧村農業文化情報交流館でフライトシミュレータシステムに乗る。

 ◯清里の森は響めくほととぎす

8月14日 日曜日
晴れ。

 ◯朝霧とみれば草焚くけむりなり

畑。リゾナーレ、七賢。臺眠で麦とろ。金精軒。

8月15日 月曜日
晴れ。久しぶりに静かな朝。

 ◯蜩や生ごみ捨てに出る夫人

お隣さんとブルベアでギネス。WiFi OK

 ◯夕涼みがてらが長居やまのパブ




8月21日 日曜日
8時起き、霧、幽玄だ。雨読。『これならわかる能の面白さ』林望 淡交社

 ◯両の眼に焼きつけ置かん霧の森
 ◯しらぬ間に膝に猫くる雨読かな

虚実皮膜の間。よき能と申すは本説正しく珍しき風体にて詰め所ありて懸り幽玄ならんを第一とすべし。『風姿花伝』

8月24日 水曜日
喉が痛く熱があり眠れなかった。痛み止めを飲み身延山へ向かう。

 ◯痛み止め飲んで向かふや身延山

増穂まで中部横断自動車。富士川に沿ってひたすら南下。汗をかいたら調子が戻った。久遠寺に到着。若い修行僧の一団が太鼓をたたきながら行進中。こっちにも元気が伝わってくる。追いかけられるように日蓮の御廟・草庵跡に向かう。ロープウェイで奥の院・思親閣へ。



 ◯親思ひ植ゑし巨杉や雲の峰

身延山久遠寺本堂、五重の塔を見学し斜行エレベータで駐車場へ。思ったよりずっと奥の深いいいお寺だった。参道のうなぎ屋玉川楼で昼食。

 ◯志ん朝と読める色紙やうなぎ重

帰りがけに下部温泉の見学。下部ホテルでおみやげを買う。石原裕次郎の写真展をやっていた。彼のお気に入りの温泉だったようだ。

 ◯裕次郎好みし湯とや蝉しぐれ

川沿いに奥まで小さな旅館がたち並んでいる。

8月29日 月曜日
晴れときどき曇り。忍野八海へ。長坂大泉高根ICー甲府南ICー精進湖ー富士吉田うどん ムサシ 本物の味がした。ー北口富士浅間神社ー忍野八海 八海ソフト 草餅ー山中湖に向かうが途中でUターン、河口湖ミューズ館 与勇輝人形館ー西湖ー精進湖ー本栖湖ー下部道の駅 みそアイスー市川三郷町ー52号増穂ICー長坂大泉高根IC。


8月30日 火曜日
快晴。また遠征。11:00安曇野翁の蕎麦で昼食。

碌山美術館は増築されていた。日本のロダン荻原守衛が思慕した国光(相馬良)がモデルと言われる『女』を観た。これを造って守衛は灯火が消えるように亡くなったという、合掌、臼井吉見の大作『安曇野』が蘇ってきた。穂高神社。大王わさび、結構奥が深い。国宝松本城、登り降りが大変だった。旧開智学校。諏訪湖PAで薄暮の湖を眺めながらモスバーガーの夕食。

 ◯碌山の『女』悶える残暑かな
 ◯安曇野は色づき初める稲田かな
 ◯よろずいの水たぷたぷと稲田ゆく

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