宗祇『吾妻問答』 日本古典文学大系 連歌論集 俳論集、岩波書店
問 付けにくき句とて当世嫌ふ事侍るは、いかやうの句に候哉。
答へて云はく。
吉き句も前より事つまりて更に了簡なき時も侍り。又、難句も様によりて、中々それにひかれて、上手の一興を付け出だす事も侍れば、必ず嫌ふべからず。砌公などは更に前の善悪を申さざりし人成。前句を嫌ふは、かなはぬ方よりの事成。但し、又取り込みて理聞こえず、或はてには違ひなどして、付けにくき事もおほく侍るべし。さ様の句には、砌公も付けずして、詞の字などにてやるもあり。
意訳:
一句としてみて良い句でも、前からの関係で行きづまって、それにどう付けたらよいか、少しも思案の浮かばない時もある。また、付けにくい句でもその句のあり様によっては、その付けにくい点が、かえって手ががりになって上手な者は面白い付句を詠出することもある、(そういうふうになれるように修行をすべきであって)付けにくい句をくれぐれも嫌ってはならない。宗砌師などは一度も前句の付けにくさで文句を言ったことがない人である。前句が付けにくいと言って嫌うのは、それにうまく付けることができない(修行が足りない)から、そういうことを言い出すのである。ただし、一句のうちに、さまざまな素材を盛り込んで意味が通じなかったり、あるいは、てにをはの用い方が間違っていたりして、付けにくいことも多い。そのような時は、宗砌師も付けないで言葉の字面だけであしらうこともある。
感想:
付けにくい句は自分も乱造している。他人の句に付けたあと自分の付句に練習で付けてみようとしたときにわかる。上手は後続の人が付けにくい句を付けないのかもしれないが、上述であれば、これからは安心して付けにくい句を付けよう。そして、他人の付けにくい句を逃げず逆に修行できるチャンスだと思い喜びながら付けよう(^^)
0 件のコメント:
コメントを投稿