2007年12月27日
Just FYI.
この春はどぎゃんかせんといかんとて 春
知恵もつきたる月の朧夜 春
手水鉢なかに浮かぶる偽の花 雑
■発端
たとえば、上の「偽の花」を「作り花」に準じて、雑の正花とした場合、
春の句数は二句となる。名残の裏の挙句前に春花を詠んで春二句で終わ
るというのはあるが、それ以外で春二句というのは、ありなのだろうか。
■調査
たまたま手にした小学館『新編 日本古典文学全集 連歌集・俳諧集』
をながめてみた。連歌が7つ(すべて百韻)、俳諧が10(百韻6、歌
仙4)。連歌の救済・良基から俳諧の蕪村までを網羅している。ただし
芭蕉門は別冊で入っていない。
○ 文和千句第一百韻『名はたかく』 救済・良基ほか 秋二句
30 わかれのこりてなほ秋のくれ 御(良基) 秋
31 露よりもげには命のきえぬほど 素阿 秋
32 契りたのむはおなじよのうち 家伊 恋
○ 宗祇独吟百韻『限りさへ』 春二句
29 桜咲く峰の柴屋に春暮れて 春
30 薄く霞める山際の里 春
31 月落ちて鳥の声々明くる夜に 秋
○ 貞徳独吟百句『哥いづれ』 春二句
97 稲茎は鷹場にわるき花の春 春
98 雪間をしのぐ辺土さぶらひ 春
99 百姓と富士ぜんじやうに打交 夏
○ 宗因独吟百句『蚊柱は』 秋二句
60 傾城屋よりいづる三ヶ月 秋
61 思ひ草矢たての筆でかく計り 秋恋
62 道行ぶりに一句うかふだ 雑
驚くべきことに、この連歌俳諧史上の大立役者が軒並み、春秋の句数二句
をやらかしていた。今、春秋の句数は最低三句〜最高五句というのが常識
になっているようであるが、先達の連歌師、俳諧師の常識とは違うようで
ある。
■式目による分析
その当時使われたと思われる式目ではどうなっていたのだろうか。『連歌
新式』に間違いないだろうが、増補改訂版が存在する。芭蕉も『新式』を
座右に持っていたらしく遺品にも名があるが『連歌新式』のことだろう。
だが以下のどの版かはわからない。しかも各版それぞれに異本が存在する
ようだ。
二条良基『連歌新式』(応安新式) 1372年
一条兼良『連歌新式追加並新式今案』1452年
肖柏『連歌新式追加並新式今案等』 1501年
『連理秘抄』、『応安新式』と『連歌新式追加並新式今案等』の句数の記
述を抜き出してみる。
●二条良基『連理秘抄』1345〜1349年
一、句数
春 秋 恋 以上五句 夏 冬 神祇 釈教 旅 述懐 懐旧無常在
此内 祝言 山 水辺 居所 以上三句連之
●二条良基『連歌新式』(応安新式) 1372年
一、句数
春 秋 恋 以上五句 夏 冬 旅 神祇 釈教 述懐 懐旧無常在
此内 山類 水辺 居所 以上三句連之
●肖柏『連歌新式追加並新式今案等』 1501年
<天理図書館蔵卜部兼右自筆本ほか>
一、句数
春 秋 恋 以上五句 夏 冬 旅 神祇 釈教 述懐 懐旧無常在
此内 山類 水辺 居所 以上三句連之
<太宰府天満宮本、寛政十年写本近思文庫山内潤三蔵ほか>
一、句数
春 秋 恋 以上五句 春秋の句不至三句者不用之 恋句只一句にて
止事無念云々
夏 冬 旅 神祇 釈教 述懐 懐旧無常在此内 山類 水辺 居所
以上三句連之
天理本は、肖柏『連歌新式追加並新式今案等』の正式な決定稿(肖柏の自
筆本)が、三条実隆の手許にあったときに兼右が写したものという証明が
ある。太宰府本はその後、肖柏自身が手を入れたものと考えられている。
<春秋の句不至三句者不用之>の意味は、春秋の句数は最低三句で三句未
満は駄目ということである。このルール(春秋三〜五句)の最初の出所は
ここだった。
<春 秋 恋 以上五句> この意味は自明だろうか。これは春秋恋の句
は最高五句まで連続で読むことができるという意味である。ちなみに最低
の句数は指示されていない。これを春秋恋の句は五句続けよと紹巴は解釈
したらしい(紹巴『歌新式』)。
結論:
春秋の句数二句は、『連歌新式』の正式本のルールからみて間違ってはい
ない。
■参考文献
(1)『連歌新式の研究』木藤才蔵著、三弥井書店、平成11年4月
(2)群書類従 第十七輯 連歌部物語部 巻第三百六『連歌新式追加并
新式今案等』
(3)水無瀬三吟百韻 湯山三吟百韻 本文と索引 付 連歌新式追加并
新式今案等、 笠間書院
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