(再掲)
『俳諧古今抄』各務支考 享保十五年
原文の粗訳:【昔から季語はだいたい一語は一季と定めてきたが、そのように杓子定規でやると、昔の同季五句去りのルール(その後夏冬は三句去り)とあいまって、よい句が出る障害となりやすい。一語が多季(二、三、四季)にわたるもの、一語が季語と無季(雑)で使われる二用のものがある。季に用があるなら一語を季語としなさい。一語を雑と用いたい時もあるだろう。雑とするなら、その理由を尋ねなさい。一座の衆評より、一世の衆議を窺い判断しなさい。】
解釈: 季語とされているものを雑として使うこともできるということであろう。用をなすか用をなさないかが判断の分かれ目か。句の中で季語に季感が感じられないというのは用をなしていない具体例か。季語自体、時代、連歌と俳諧、歳時記/季寄せ、各会派で同じものは一つとしてないので、ある一語を季語とみなすかどうかも一座の衆評より、一世の衆議を窺い判断しなさいと理解する。
『貞享式海印録』
春秋の慥かなる季を雑に用ひたる例
土のもちつく神事恐し 翁
雉笛を首に懸けたる狩の供 翁
・・・
参考文献:『俳諧註釈集 上下巻』佐々醒雪・巌谷小波編 博文館 大正二年
『貞享式海印録』曲齋 安政六年
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