■序
芭蕉は「差合の事は時宜にもよるべし。先は大かたにてよろし」(『三冊子』)と述べ、俳諧の作法式目について臨機応変に大要のみ踏まえればよいとしている。「格は句よりはなるる也。はなるるに習ひなし」とも言い、緩やかで柔軟な姿勢は見習いたいものである。また、それと軌を一にして、芭蕉は作法式目を文書化する意志のないことも表明している。
多くの作法式目書の中では、あえて挙げるとすれば、梅翁(釋了恵)の『俳諧無言抄』だけを「大様よろし」(『三冊子』)、「先ずよろしかるべし」(『旅寝論』)と言った。
●連歌作法式目書
新式 応安五 二条良基、救済
追加 二条良基
今案 一条兼良、宗砌
連歌新式追加並新式今案等 肖柏(上をまとめ漢和作法含めたもの)
無言抄(連歌無言抄) 応其(木食上人楚仙?)紹巴序
●俳諧作法式目書
御傘、その他貞門の諸書 松永貞徳など 「信用しがたし」
誹諧埋木 北村季吟(貞門)芭蕉の遺品の一つ
俳諧無言抄 1674年 梅翁(釋了恵)「大様よろし」
■俳諧無言抄
『俳諧無言抄』の歳時記(季語論)の部分は、(5)に原本の画像が載っている。『俳諧無言抄』の作法式目の部分を翻刻した書籍は未だない。原本でも完本はなく東大本、天理本、岐阜図書館本として分散されて秘蔵されており、一般人は見ようがない。しかし研究者の論文からその内容をうかがうことはできる。
南信一「俳諧無言抄について」は、『俳諧無言抄』と『三冊子』の記述を比較研究し、多くの一致点を明らかにしている。項につけた*は、『三冊子』にほぼ同じ記述があることを示す。
【俳諧無言抄の作法式目】
序
中興貞徳、連歌無言抄に対して俳諧御傘をつくれり。これよりふたつの道、水と波とに立ち分かれぬ。然るに此の翁は紹巴の門弟ながら師にことなる筆力あり。ここにおいてその師弟のかはれるこころごころをいぶかしうおもひ侍るに、去る人、新式の抄を授しより、この旨に引きくらべて、まぎれたる筋道を正し、又年頃小耳にはさみ置きし先輩の説々を考え合せて、ふたつの書のうち是とおもふところどころを一とおり取り立てて、わたくしにしるせば已に一巻と成りぬ。
俳諧
俳は戯也、諧は和也。古今集にざれ歌を俳諧歌と定め給し也。これになぞらえて連歌のただ言を世に俳諧の連歌と云う也。*
元来連歌の一体なれば新式の法にそむかざるを式目とする也。しばらくも此旨にそむかば此道の異端なるべし。
俳言
声の字なべて俳也。(声の字とは、訓読でなく音読する言葉のこと。宗祇俳諧百韻で音読みの熟語が多い理由がわかった。)*
輪廻の事
嵐と云に山と付けて、次に富士など付ければ、取りなして打越へかえる也。是等を嫌ふ也。他これに準ず。*
遠輪廻の事
一巻の内、似たる句嫌ふ也。*
発句
発句は一座の巻頭なれば、宗匠・貴人・珍客・老人等の他は有べからず*(我々は珍客ということでw)
可覚悟事
新宅の会には、もゆる・やくるなどの火の類をいみ、。。。追善にはしづむ・おつるなどいむ事。。。*
(連衆の境遇を思いそれにふれそうなことは句に詠まないということ)
脇の句
脇の句、亭主役といひ来る也。但し賓主の時宜によるべし。又、発句によりて相対して付る有。打ち添へて付る有、違い付、心付、頃留りなどの格はつねのならひ也。又、句の下の字を韻と云う事、てにはにて留らず、文字(漢字)にて留むる故也。*
第三
惣じてむかしは句の留りの沙汰なし。宗祇よりの格式也。大かたて留り也。うたがいの切字(らん)の発句の時、第三ははね字(らん、ん)ならず。*
第三は、て留りもはね字もならぬようの時も、なし留り、に留り也。
かな留りの(発句の時)第三は「にて」ととまらずと昔はいへれど。。。もし脇の句に、てにをはにて留らば、第三は文字(漢字)にて留る也。常の人は常の留りの外はせぬものとこころうる。*
付心は転ずるを本意とする也。もし、違ひ付、取なし付の脇ならば転ずるに及ばざる也。脇にて転じたるゆへ也。*
らん留り
惣じてらんはうたがひのはね字也。一句の中に押へ字有る也。はね字の上には、や、か、いつ、何、など等の詞置く事也。(例:何嘆くらん)又、句のしたによりておさへ字なくてもはぬる也。(例:寒からん、折らん)*
四句目
四句目ぶりとて、也、けりなど軽ろき留りにて節なきをこのむ也。古事、本説などを嫌ふ也。*
五句目
三て五らんとて、第三て留りならば、はね字あらまほしき也。第三て留りにあらずば、て留りこのましき也。五句目にてのがし侍らば、七句目に、てあらまほしき也。これらは定まりたる法にはあらず。こころへのためまで也。*
初の面に同字をいむと云うも懐紙をたしなむ所也。(懐紙の見栄えをよくするためである。)て留め・はね字(らん等)は句の一体、表道具と也。(懐紙の見栄えをよくするための道具である)*
裏
連歌(百韻)には四春八木と覚えて、(初折、二折、三折の各裏の)四句目に春をし出さず、八句目に高き植物をし出さざるは、花につかゆる(差し支える)故也。*
(連歌では春の句数3句以上、7句去りであり、四句目で初めて春を出すと、結果的に、花の定座、各裏の13句目で花を詠めない。俳諧では春は5句去りなので、六句目で初めて春を出してはいけないことになる。)
花の前句に秋の字用捨あらまほしきわざ也。又花前より恋の句し出来むづかしきわざ也。*
揚句
先輩の説に、付かざるがよきと也。是は一句に成て付あぐみ侍らば、一座の興とさむる物也。只あさあさと付るがよき也。又揚句は案じて置くとも云り。*
■感想
『俳諧無言抄』の実体が歳時記部分(5)とここで明らかにされた作法式目を足したものとすれば、とてもシンプルである。芭蕉が「大様よろし」と評した理由がわかるような気もする。昔は作法式目と歳時記(季語論:各季語をどの季節にあてはめるか、各季語ごとの去り嫌いなど)が一体であったようだ。各派が独自の作法式目+歳時記を持っていたということであろう。現在も歳時記の標準化ができないのはそれが理由かも知れない。
■参考文献
(1)南信一「俳諧無言抄について」
in『国語』東京文理科大学終結記念号、昭和28.9 、都立図書館蔵
(2)東聖子「俳諧無言抄の考察」
in 『俳文芸の研究』井本農一博士古稀記念、1983、角川書店
(3)服部土芳『三冊子』
(4)北村季吟『誹諧埋木』
(5)尾形仂編『近世前期歳時記十三種本文集成並びに総合索引』勉強社
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