発句 翁逝き腐草ほたるになりにけり 夏 百
脇 風やむ森になくほととぎす 夏 私
芭蕉臨終記『花屋日記』僧文暁著、小宮豊隆校訂、岩波書店
師の言「きのふの発句はけふの辞世、今日の発句はあすの辞世、我生涯言い捨し句々一句として辞世ならざるはなし。」
若し我辞世はいかにと聞く人あらば、
「此年頃いひ捨ておきし句、いづれなりとも辞世なりと申たまはれかし。諸法従来常示寂滅相、これは是釈尊の辞世にして、一代の仏教、此二句より外になし。
古池や蛙とび込む水の音
此句に我一風を興せしより、初めて辞世なり。其の後百千の句を吐くに、此意ならざるは
なし。ここをもって、句々辞世ならざるはなし。」と申侍る也と。
次郎兵衛は傍らより口を潤すにしたがひ、息のかぎり語りたまふ。此語実に玄々微妙、翁の凡人ならざるをしるべし。(支考記)
此道やゆく人なしに秋のくれ
此秋は何でとしよる雲に鳥
白菊の目にたてゝ見る塵もなし
旅に病で夢は枯野をかけ廻る
コメント:
通説では偽書とされている。其角『芭蕉翁終焉記』、支考『前後日記』、路通『行状記』が付録として載っており、これらを基に文暁が創作したとされる。しかしそれを知ってか知らずか、これを読んだ子規は感涙しきりだったという。上の記述等に真実味とおのれの境遇と似たものを感じたのであろうか。
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