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2011年12月2日金曜日

本歌(本句)取りの連鎖

本歌 世にふるは苦しきものを槙の屋にやすくも過ぐる初時雨かな 二条院讃岐
  
   世々ふるもさらに時雨のやどり哉  後村上院
   世にふるもさらに時雨のやどりかな 宗祇
   世にふるもさらに宗祇のやどり哉  芭蕉

   世にふるもさらに時雨の山路かな  春蘭

2010年9月22日水曜日

はやぶさ

  創痍にて帰郷かなへしはやぶさの最期の使命燃え果つること

2010年5月7日金曜日

深山の遅桜


人しれず咲くや深山の遅桜わが木とさだめとはに訪はなむ   

#jtanka 短歌


iPodから送信

2010年4月9日金曜日

連歌で短歌


   おのが身の虚空に同ず只管打座ふと気がつけば膝に猫寝る     

75 おのが身の虚空に同ず只管打座 私
76  ふと気がつけば膝に猫寝る  〃 座・ツイッター連歌百韻『花曇る』

国境無き猫もふ団:写真の肉球が証明。
 

2010年2月28日日曜日

山ざくら

2007年05月06日13:58

甲斐源氏起きし城あと山ざくら
山もとに勘助屋敷鯉のぼり
勘助てふ酒には蕗の苦みかな
春の牧にはか風林火山館

春雷や笠着て潜む富士見の湯
チョコアイスかじるわらんべ四月尽
雪嶺や芽吹く林は風の音
うぐひすの声は正しく但馬牛

市ならばいかほどたらの芽の籠(こ)もよ

あけびの芽摘みつつをれば小糠雨
         むかへの君と傘のゆふぐれ

啼く雉子やところどころに山辛夷

雨やむでほのぼの明けるひんがしの
         杜はしきりに雉の声する

行く雲やさくらは風にさからはず
深山路は高き梢にさくらかな
咲き初めてたつた三日の落花かな

去年めでし花はいまだに蕾にて
         つねより多き嶺のしらゆき

ふるさとの花の下にて酔ふならば
         夢幻のままに覚めぬともよし



写真:
 里から八ヶ岳を望む、甲斐源氏発祥の谷戸城址より、山本勘助の墓(最近子孫が名乗り出たらしい)

時の渚

2007年03月26日23:05

  父の粉時の渚に撒き終へて鬼無里の女おもふ匹如身  春蘭


    匹如身(するすみ):天涯孤独無一物の人

笹本稜平『時の渚』 を読んだ。衝撃的などんでん返し、探偵ミステリー物だがロマンがあり余韻の残る作品だ。父の味、という言葉に驚いた。だが葬式なし墓埋葬なしというのはいいスタイルだ。

翡翠かずら

2007年03月25日08:26

氷上の蒼き焔はきえぬともまをあけず継ぐ君は玉の緒  春蘭



フィギアスケートの荒川静香を優雅な蒼き焔、翡翠かずらにたとえると、浅田真央は玉の緒か。

視聴率第一主義のテレビ局と商業主義のスポーツ団体の陰謀か、国内の開催なのに実況中継しようとしない。現地には行けないので、2チャンネルの実況スレッドを見ていた。

ユーロスポーツという欧州のサイトでは音声のライブ放送をしてくれた。これらでいち早く安藤美姫、浅田真央のワンツー・フィニッシュを知った。特に2チャンネルのまじめなカキコの嵐は、むしろ普通の実況中継より面白く感動した。



写真提供:
日本最大級フリー写真素材 [Photolibrary]
http://www.photolibrary.jp/

フォト蔵
http://photozou.jp/photo/top

一 道灌山:西日暮里・谷中・根津散策

2007年02月17日11:06

西日暮里から谷中、根津、白山あたりをぶらぶら散策した。忘れないうちに少しずつ書き留めていこう。まずは道灌山から。

JR西日暮里を下車してガードをくぐる。歩道橋を上へ上へとのぼる。そこが道灌山であった。今は西日暮里公園という。子規と虚子はここで二度意見が対立し、虚子が後継者の依頼を拒否し決裂したところという。

  山も無き武蔵野の原をながめけり車立てたる道灌山の上 子規
  見わたせば東都の春の朝がすみ道灌山をぬける梅東風  春蘭
  道灌に仲裁たのめほととぎす              同

花の吉原なごり旅 その二

2007年01月23日21:24

言問橋を渡って隅田公園をちょっと北上すると待乳山聖天に出る。ここは、その昔、山谷堀、吉原への目印となっていたという。山谷堀はすっかり埋め立てられ(暗渠?)長い公園となっている。桜の木が植えられており、ところどころに老人が朝から座ってひなたぼっこをしている。どういう訳か男性としか合わないw 

日本堤「土手の伊勢屋」
しばらく、北西に進むと大きな通り(国際通り)と合流する。先に昼食の場所を確かめて置こうと念願の天ぷら屋、土手の伊勢屋に行く。木造の古い雰囲気のある店、だが貼紙がある。定休日は水曜とたしかめてある。今日、火曜日と連休だと書いてある。ガーン。目的の半分がいきなり吹っ飛んだ(^^;)
 
  臨休の貼紙まえに侘び立てば
      土手の伊勢屋にあたる北風  春蘭

吉原大門
気を取り直して、吉原大門に入って行く。普通の商店街じゃんと思ってしばらく歩いていたら、あやしいお兄さんが笑顔とやさしい声で「いかがですか」だって。朝から。上を見たら金瓶梅の店名、「い、いいです」と逃げる(^^;)

  闇の夜は吉原ばかり月夜哉     其角
  鯛は花江戸に生まれてけふの月    同
  呼び込みの声はやさしく金瓶梅   春蘭
  花魁はマイフェアレディと心得よ   同
  冬日影苦界浄土の夢があと      同 

吉原神社&吉原弁財天
吹きっさらしの弁財天は守の女性が居て数人女性客が居た。中央に弁財天か観音様かわからない像がそびえ立っている。まわりに歌碑や句碑、記念碑が並んでいる。遊女もよく通っていた所らしい。和歌一首と俳句一句に惹かれた。

  白菊のはなにひきなくおく露は
     なき人しのぶなみだなりけり 智栄 

  この廓や月雪花も三菩薩      黒澤槭翠?

  日本では観音菩薩は女郎なり    春蘭
  寒影や花のよし原なごりの碑     同
  紅楼は夢か弁天寒を裂く       同

近くの寺社を回ったがとりつく島のないところばかりで閉口した。下谷七福神、浅草七福神に属しているところもあり、七福めぐりが目的ならそれなりに達成感はあるだろう。

鷲神社:オープン過ぎ田舎のパチンコやと見まごう赤い旗だらけの体
大音寺:門が締まり、すっかり檀家だけの葬式宗教の体
    其角が次の句を詠んだところと聞いたが。

  梅が香や乞食の家ものぞかるる   其角

飛不動:こじんまりして信者じゃないと身の置き所なしの体
寿永寺:どこかわからないほどの小さな門が締まりやるきなしの体
日黄不動尊:地図でみてぐるっとまわって門締り、狭狭の体

浄閑寺  
投げ込み寺とも言われ、死んでも引き取り手のない哀れな遊女たちの無縁寺として、吉原の遊郭が利用したという。霊廟の入り口にいきなり、「若紫」という遊女の墓があり気になった。

  寒風に匂ふ紫煙や無縁塚      春蘭

三ノ輪商店街
なにかうまい店はないかとしばらく商店街を行ったがなさそうなので、ごく普通の大衆蕎麦屋に入った。冬はあったかいのもいい。忘れずに一本付ける。付け出しの白菜の浅漬けのうまいこと。おかめも安くうまかった。

  十五から酒をのみ出てけふの月   其角
  白菜に一本付けておかめ蕎麦    春蘭

都電荒川線
念願の都電荒川線初体験、揺れと酔いが心地よい。多分これは至福だ。
  
  北風や道路に負ける荒川線     春蘭
  春隣都電でのぼる飛鳥山       同
  早稲田まで揺られてさめる寒の酒   同 


写真は、待乳山聖天、山谷堀公園、喰いそこなった土手の伊勢屋 

2010年2月27日土曜日

謎句:月花や日本にまはる舌の先

2007年01月06日08:52

謎句が本句どりしたと見られる本句を見つけた。その本句は仲麿の歌を本歌どりしていた。
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第一章 本歌どり(表向きの意味)

○天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも 仲麿

 大空はるかに見渡すと今しも東の空に美しい月が出ているが、
 ああ、この月はかつて眺めた故郷奈良春日の三笠の山に出た
 あの月なのだなあ。(角川文庫「百人一首」)

 安倍仲麿(698-770) 717入唐。李白・王維と親交。753年
 清河らと帰国途上難破、安南に漂着。再び唐へ。歌は帰国途
 上、難破前、蘇州江上にて満月に望郷の念を詠んだもの。


  仲麿の畫讃
○月かげや舌を帆にまく三笠山   其角(五元集拾遺)

 其角は仲麿の歌とその画を観て本歌どりをした(いじくった)。
 仲麿の船は難破(帆をまく)して逆方向の安南に漂着するこ
 とを、舌で歌を詠むどころではない、舌をまいた(非常に驚
 いた)ろうと洒落た。


○月花や日本にまはる舌の先    畔石(俳諧桃桜)

 俳諧桃桜は、夜半亭宋阿編(元文四年跋、1739)による、其角
 嵐雪三十三回忌追善の選集である。

 畦石は、其角の句を本句どりをした(いじくった)。
 唐土で仲麿は月花を観ても日本の月花を思って歌を詠むんだ
 ろうな、くらいの意味か。

 だが、これでは其角の句をいじくったことになるだろうか。
 仲麿の歌に対する、本来の当たり前の感想になってしまう
 し、其角の句意をないがしろにしてしまう感もある。表向
 きの句意としては高尚で申し分ないが。


第二章 其角と傾城(裏の意味)

其角が月花、日本、傾城等を詠んだ句を五元集、五元集拾遺に
拾ってみた。

  傾城の賢なるは此柳かな
  闇の夜は吉原ばかり月夜哉
  十五から酒をのみ出てけふの月
  岡釣のうしろ姿や秋の暮
  日本の風呂吹といへ比叡山
  小傾城行てなぶらんとしの昏
   憶芭蕉翁
  月花や洛陽の寺社残りなく  
   怨閨誰
  傾城の小歌はかなし九月尽  

思ったほど数はなかったが、すごい句もまざり、其角が傾城に
傾倒している感じは読めるw 傾城も上級の太夫、花魁ともな
ると必修科目として俳諧の心得がありレベルは高かったという。
其角は傾城俳諧の宗匠だったとの記述を見たことがある。豪商
の紀文(紀伊国屋文左衛門)が吉原に行くときはお伴をしてい
たとか、吉原で俳諧興行をしていたのだろう。

これらを踏まえて、畦石は其角の追善に上の句を詠んだのでは
なかろうか。其角の思いを本句どりの形を借りて、裏の意味を
詠み込んだ。月花を愛でるときはやはり日本堤の方に思いが向
いてしまうと。



写真は、富岡鉄斎「阿倍仲麻呂明州望月図」の部分

ナスカ地上絵

2007年01月02日15:42

ちはやぶる神に雨乞ふ跡なれやいのちを叫ぶナスカ地上絵  春蘭


BS9で。

『一休骸骨』

2006年12月24日09:14

珍本『一休骸骨』柳田聖山・訳注をながめた(^^;)

「いずれのひとかがひこつにあらざるなし」として、この世の執着を離れ大安楽を得よと、教えを文と骸骨の絵と和歌で説いている。一休が本当に書いたかは、疑わしいともされているが、衝撃的な書ではある。


 何とただ仮りなる色を飾るらんかかるべしとはかねて知らずや


鬼貫の以下の句もこの系統であった。

 骸骨のうへを装て花見かな  鬼貫


まねして、

 骸骨に五色の皮や年の市   春蘭

大蕪

2006年12月17日12:16

大蕪や巣箱のやうなお金入れ     
大蕪(かぶら)銀貨一つで買われけり
盗人も大蕪ならば金入れん主は畑かラジオ鳴るまま   春蘭

川向こうの畑の端から始まる商店街の中に、その無人店があるのを知らなかった。真っ白な大蕪をめっけ。多分、葉からみて正確には蕪ではなく聖護院大根だろう。

水鳥

2006年12月05日11:04


  水鳥のパン屑ごとの羽音かな    春蘭


  川上はいのちの糧か水鳥のならぶ瀬光る冬のゆふぐれ 

良寛調短歌にまねぶ

2006年11月28日18:22

わが庵は甲斐の山もといづみ湧く葎に雉子もくらしつるかも
あしびきの山廬にをれば夕月夜おとなく散れる山ざくらかも
あしびきの山の坂径のぼり来ておどろく雉に吾(あ)も驚きぬ  春蘭


参考文献:
吉野秀雄『良寛 ー歌と生涯』ちくま学芸文庫

よろしくない俳句・短歌

2006年11月23日11:02

そうなんだ、逆なんだと思ってもつい忘れる、忘れないために、ここにも書いておこう。

■よろしくない俳句
◆古臭さ・常識・独善はいけない(第12週)
 俳句の対象として、以下は駄目。
1。たいへん古臭い対象に目を向けたもの
  神社、仏閣、神、仏、田の神 (例:おびんづる様、水子地蔵、
  読経、木魚、月の影酒杯にうかべ花の宿)

2。幼稚なことや、常識きわまりないこと(俗情)を詠んだもの
  これらは詩にならない。
 (例:子、孫、夫婦などの愛情、常識(俗情)) 

3。観念的、独善的なフレーズをふりまわしているもの
  作者が対象に接して、ハッと感動したものではない。感動を素直
  にフレーズにしていない。途中で相当に歪めていいとこ見せよう
  というよこしまな気持ちが働いている。作者の純粋な素直な態度
  が必要。(例:万緑と対話〜 朝顔われに微笑みて 風を育てる
  木犀の香もとどけくる)

◆悪い句の見本(第14週)
以下の句に魅力を感じたらお前もやばい。

蝉鳴くやこの世に命のある限り   決まり文句。虫酸のはしるよう
                 な陳腐さとうすっぺらな感情
風化せぬ悲しみあらた終戦日    同上
蓑虫に似たるさだめか母老いぬ   同上 
毛糸編夕日をひそと編み込めぬ   小細工 感動のかけらもない 
                 してやったりとほくそえむ顔
薔薇咲いて恥じらい我に教えけり  同上 教訓めいたもの手に負えない
小さき庭小さい秋の風生まる    同上

俳句の体をなさなくなるので詠む対象にするな。
 道徳観、倫理観、教訓、理屈、分別臭、風流ぶり、気取り、低劣な
 擬人法、俗悪な浪花節的人情

こういう句を詠む人は、新聞、雑誌の投句者にごまんといる。5年
10年の作句歴の者にもいる。頭の中であれこれひねくりまわして
いる。おそらく生涯、こんな似て非なる俳句を作って終わるだろう。
型を無視して作ろうとすると、かの俗悪句の誘惑に負けてしまうお
それがあるぞ。

引用文献:藤田湘子『新20週俳句入門』


■よろしくない短歌
吉野秀雄は歌論集『短歌とは何か』で、

  雲を出し月の右弦の薄くあり吾にはすでに感傷はなし

などの歌をあげて、「これらの歌の欠陥として、小主観による不自然さが目立つが、頭の中のはからひや、小手先のひねくりこねくりがいかにはかなくもまたくだらぬものであるか、その反対に、まともに正直に、素朴に端的に、しんみりと謙虚に、観て感じてそれをそのままわかりやすい言葉に言ひ現はすことがいかに高く深く尊いか。。。」 と述べた。(ネットの記事から引用)

田螺

2006年11月22日13:34

池底のおちばに泥の水澄みてねむる田螺のほの蒼きかげ  春蘭

三宝寺池

2006年11月21日11:36

三宝寺池にて

睡蓮のしげき浮き葉の間に見る水まさをなり古き大池  窪田空穂

わくら葉の浮きつ沈みつ湧水の池を孤鳥のあかずたゆたふ  春蘭




空穂さんが歌にするようなそんないいところかと、あたらめて自転車をこいで行ってみた。メタセコイアが見頃だ。先に歌にした湧水に行ってみたが水鳥は遊んでいなかった。池を一周し、はじめて茶店に入る。熱燗の菊正宗とおでん。先客もおんなじ。ちょっとお互いにはにかむ。おでんは量が多く得した気持ちになった。酒をやりつつ、メモした題材で句の形にしようとしたが苦戦。でもこれぞ、至福というものだろう。昼間で油断したため効いた。飲酒運転で近くの図書館に向かう。

短歌で連歌(一)

2006年11月17日12:51


55  飛ぶ鳥の明日香の里を置きていなば
56   君が辺りは見えずかもあらむ   太上天皇 万・七八
57  あかねさす紫野行き標野行き
58   野守は見ずや君が袖振る     額田王 万・二〇
59  つり舟の月のよし原すべり出て
60   闇に浮き立つ赤い街の灯     蘭
61  天ざかる夷の長道ゆ恋ひ来れば
62   明石の門より大和島見ゆ     人麿  万・二五五
63  青き春異国の旅の帰り船
64   迎へる人のなきぞかなしき    蘭
65  ふるさとを捨てし父ゆゑふるさとを
66   よき山里にわれはつくらむ    蘭
67  手にとれば袖さへ匂ふ女郎花
68   この白露に散らまく惜しも        万・二一一五

2010年2月26日金曜日

ときぞかなしき

2006年10月19日11:10


  あてもなく本を探して一時間てぶらで帰るときぞ悲しき

  図書館に雑誌新聞よむひとのかたはら通るときぞ哀しき



 本屋でも図書館でもあてがないとき、読みたい本が見つからず、時間ばかり経ち、あせる気持ちが湧いてくることが多い。

 雑誌と新聞のコーナーでは、朝から無用びと?が所狭しと座っている。無用びとのオーラ。。。かく言う私も無用びとの仲間入りをしたばかりだが(^^;)