ラベル 紀行 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 紀行 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2011年9月5日月曜日

山籠り記 



2011年7月21日〜9月4日

7月25日 月曜日
小淵沢駅近くの老舗井筒屋でうなぎをいただく。私は白焼丼。行列のできる人気店があるとはしらなかった。渋い佇まいがいい。

 ◯落款の読めぬ茶掛けや鰻丼





杓底一残水と読めたが、名前が達筆か癖字か読めない、本大臣外?


7月26日 火曜日

毎日郭公が鳴いてくれるのはうれしい。

 ◯郭公の教える森の深さかな


 ◯いたづらに伸びる木止めん子規

木のてっぺんを伐っていた時、ほととぎすがてっぺんかけたかと鳴いたので失笑。

7月27日 水曜日
雨のち曇り。まだ暗い暁の雨にひぐらしが鳴いている。夕には波状攻撃のように来鳴いては去りまた来る。

 ◯ひぐらしの声に明け暮れ山籠り

窓から近くの草叢に鹿四頭を目撃。猫に見せようとしたら気付かれた。

 ◯眼が合つて逃げ出す鹿や草の庵


7月28日 木曜日
曇りときどき小雨、肌寒い。

 ◯すずしさを過ぎて肌さむ山籠り

8月2日 火曜日
雨読。『西行花伝』歌は宿命によって雁字搦めに縛られ浮世の上を飛ぶ自在な翼だ。浮世を包み浮世を真空妙有の場に変成し、森羅万象の法爾自然の微笑を与える。それは悟りにとどまって自足するのでもなく迷いの中で彷徨するのでもない。ただ浮かれゆく抑えがたい心なのだ。花に酔う物狂いなのだ。生命が生命であることに酔い痴れる根源の躍動といってもいい。歌はそこから生れる。

8月4日 木曜日
晴れ。新府の共撰場ではね桃をゲット。オオムラサキセンターで、ちょうど羽化したてのオオムラサキの飛翔を見た。一本の木に群れているありさまには感動。メーラレンで昼食。


8月6日 土曜日
遠征。御射鹿池、渋の湯、蓼科でイタ飯、白樺湖、霧ヶ峰、諏訪、諏訪神社秋宮、岡谷IC。


8月8日 月曜日
立秋。晴れ。清里の森を散策。ほととぎすの声を十一回聴いた。磯善で昼食。獅子岩。南牧村農業文化情報交流館でフライトシミュレータシステムに乗る。

 ◯清里の森は響めくほととぎす

8月14日 日曜日
晴れ。

 ◯朝霧とみれば草焚くけむりなり

畑。リゾナーレ、七賢。臺眠で麦とろ。金精軒。

8月15日 月曜日
晴れ。久しぶりに静かな朝。

 ◯蜩や生ごみ捨てに出る夫人

お隣さんとブルベアでギネス。WiFi OK

 ◯夕涼みがてらが長居やまのパブ




8月21日 日曜日
8時起き、霧、幽玄だ。雨読。『これならわかる能の面白さ』林望 淡交社

 ◯両の眼に焼きつけ置かん霧の森
 ◯しらぬ間に膝に猫くる雨読かな

虚実皮膜の間。よき能と申すは本説正しく珍しき風体にて詰め所ありて懸り幽玄ならんを第一とすべし。『風姿花伝』

8月24日 水曜日
喉が痛く熱があり眠れなかった。痛み止めを飲み身延山へ向かう。

 ◯痛み止め飲んで向かふや身延山

増穂まで中部横断自動車。富士川に沿ってひたすら南下。汗をかいたら調子が戻った。久遠寺に到着。若い修行僧の一団が太鼓をたたきながら行進中。こっちにも元気が伝わってくる。追いかけられるように日蓮の御廟・草庵跡に向かう。ロープウェイで奥の院・思親閣へ。



 ◯親思ひ植ゑし巨杉や雲の峰

身延山久遠寺本堂、五重の塔を見学し斜行エレベータで駐車場へ。思ったよりずっと奥の深いいいお寺だった。参道のうなぎ屋玉川楼で昼食。

 ◯志ん朝と読める色紙やうなぎ重

帰りがけに下部温泉の見学。下部ホテルでおみやげを買う。石原裕次郎の写真展をやっていた。彼のお気に入りの温泉だったようだ。

 ◯裕次郎好みし湯とや蝉しぐれ

川沿いに奥まで小さな旅館がたち並んでいる。

8月29日 月曜日
晴れときどき曇り。忍野八海へ。長坂大泉高根ICー甲府南ICー精進湖ー富士吉田うどん ムサシ 本物の味がした。ー北口富士浅間神社ー忍野八海 八海ソフト 草餅ー山中湖に向かうが途中でUターン、河口湖ミューズ館 与勇輝人形館ー西湖ー精進湖ー本栖湖ー下部道の駅 みそアイスー市川三郷町ー52号増穂ICー長坂大泉高根IC。


8月30日 火曜日
快晴。また遠征。11:00安曇野翁の蕎麦で昼食。

碌山美術館は増築されていた。日本のロダン荻原守衛が思慕した国光(相馬良)がモデルと言われる『女』を観た。これを造って守衛は灯火が消えるように亡くなったという、合掌、臼井吉見の大作『安曇野』が蘇ってきた。穂高神社。大王わさび、結構奥が深い。国宝松本城、登り降りが大変だった。旧開智学校。諏訪湖PAで薄暮の湖を眺めながらモスバーガーの夕食。

 ◯碌山の『女』悶える残暑かな
 ◯安曇野は色づき初める稲田かな
 ◯よろずいの水たぷたぷと稲田ゆく

2010年10月12日火曜日

赤岳登頂 真教寺尾根ルート

扇山から赤岳を望む

天狗尾根

この前登った権現岳

登ってきた真教寺尾根、富士山がクリアだ

赤岳山頂

横岳・硫黄岳・天狗岳への縦走路

阿弥陀岳

左に三ッ頭、真中に双耳峰とも呼ばれる権現岳とギボシ、右奥に編笠岳、手前に旭岳とキレット

文三郎尾根(至行者小屋)への降り口

下ってきた岸壁を振り返る

10月11日(月)快晴
ピストン、日帰り、同行O氏

満天の星を見ながら美し森たかね荘に向かう。午前4:26にたかね荘の無料駐車場を出発。まだあたりは真っ暗だ。ヘッドランプをたよりに賽の河原へ。ようやく東の空が明るくなってきた。登山計画書を入れる箱があり投函。

牛首山までは先日下見の登山をしていたので難なく進む。隣の扇山へは10分ほどで到着。目指す赤岳山頂が望める。あそこか〜。へなちょこ登山隊に行けるだろうかと不安感が増す。中年男性が追い抜いて行った。追ったが全然ペースが違い見失った。山荘の隣の山ガールに助言されたように、このルートは登山者の数が少なく何かあったら大変、初心者は美濃戸口ー行者小屋のルートで初登頂すべきだという言葉がよぎる。

樹林帯をひたすら登っていく。やがて樹林帯を抜け岩場の尾根に出る。急登の長い鎖場が連続する。これで難関を越えたかと思うと必ずと言っていいほどもっとすごい鎖場が出てくるのには閉口。鎖をどの程度信用してよいのか分からず半分は足場を確保しつつ岩登り風に対処した。竜頭峰というところにたどりつき一休み。山頂はもう少し上だ。水と昼食だけ一つのリュックに詰め、他をその場(ベースキャンプ)に置いて山頂へ。かつぎ手は歳を食った方=私だ(笑)

9:45に山頂の一等三角点にタッチ! 好天に恵まれたためか山頂はごったがえしている。人気のルートは長蛇の列をなしていることであろう。山頂小屋近くの岩場で早い昼食、と言ってもおにぎり二つだが。O氏は座る所に事欠いて赤岳日本武尊と刻まれた石碑とは知らずに座り、疲労した大腿をグイグイと押し付けマッサージしていた。さぞや御利益があることだろう(笑)

絶景かな絶景かな 北の縦走路、東の県界尾根、南東の真教寺尾根、北西の文三郎尾根、西のキレット・権現方面を眼下に見る。

11:00、勝手に決めたベースキャンプを後に下山を開始する。鎖場は下りの方が怖く逆に時間がかかった。また牛首山から賽の河原に向かう途中で足がぱんぱんとなりペースが落ちてしまった。賽の河原からサンメドウズのゴンドラに乗る。パノラマの湯の無料の足湯に両足を浸けたら大分よくなった。大泉そばとキリンのノンアルコールビールで乾杯をする。Yes We Can. We Did It!


                 ガイドブックA ガイドブックB
美し森たかね荘 4:26
 1565m       1:06  1:00  1:00
賽の河原    5:32
 1906   5:45
             1:04  1:30  1:00       
牛首山     6:49
 2280   6:55
             0:11   :    0:15
扇山      7:06
 2357        2:19  3:10  2:10
竜頭峰     9:25
 2870        0:20   :    0:15
赤岳山頂    9:45
 2899  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
         往き  5:00  5:40  4:40
       ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
赤岳山頂   10:35
             0:10   :    0:10    
竜頭峰    10:45
       11:00
             2:24  2:10  1:30
扇山     13:24
             0:11   :    0:15
牛首山    13:35
             0:59  0:45  0:35  
賽の河原   14:34
       ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
         帰り  3:44  2:55  2:30
       ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
       歩行時間計 8:44  8:35  7:10
       =======================
       経過時間計10:08
       ==========

反省点:
 1、疲れない歩き方  1時間に5〜10分の休憩。意識してゆっくり歩く。
 2、静荷重静移動   浮き石で滑らないように。落石を起こさないように。
   通常の歩き方のように、前足に重心を一気にかけず、後足でも蹴らない。
 3、筋力アップ    下りで足がぱんぱんにならないように。
 4、登山計画書は2通 1通は家族に。
 5、荷は軽く     必ず使うものと緊急時のものに限定し他は切り捨てる。
 6、重くなる食料は高カロリーでフリーズドライ食品とか軽いものに。
 7、靴は軽く足の大きさ+1.5cm 下りで足の爪が靴先に詰まって痛んでしまった。
   早速、595gと軽量で一番安いもの(Caravan グランドキング GK-67
   トレッキングシューズ 552ライトグリーン 26.5cm)をネットで調達。
                            
参考:八ヶ岳登山ルートガイド  

2010年9月28日火曜日

山岳・山楽・山学



朝NHKで鏡平小屋の壁の絵を紹介していた。山楽、山学、いい言葉だ。
鏡平小屋への地図

2010年9月18日土曜日

牛首山



9月17日(金)晴れ 同行S氏

 8:00  美し森駐車場
 8:15  美し森展望台 1543m
 9:00  羽衣池    1610m
 10:00 賽の川原   1900m
 11:15 牛首山    2280m

途中、真教寺尾根から見る富士山と南アルプスは絶景であった。この前西側から登った権現岳は岩だらけだったが、東側から見ると樹林に覆われている。牛首山の山頂には黒摩利支尊天と書いた石が中程から割れて木に無造作に立てかけてあった。割れ目を合わせ後ろに石を置いて動かないようにした。三人の登山者に出会ったがみな赤岳に向かったのであろう。次回を期す。棒2本と膝のサポーターのお陰で下りでも足は痛くならなかった。S氏は下りで四回ほど転んだり滑ったり、ちょっと彼にはタフだったか。懇願されて、帰りは賽の河原の近くにあるゴンドラ(片道1000円)に乗った。パノラマの湯に入りタッチダウンビール(私はノンアルコール^^;)と蕎麦を食ったら大部彼も元気を回復した。

地図:牛首山
写真提供はGoogle画像検索さん

2010年8月22日日曜日

2010夏 山居 

7/20~8/22

草原をそよ風わたる雲の峰
隣人の出掛ける音や閑古鳥
草刈で在宅を知る山廬かな
刈草のけむりにむせる青田かな

ぬばたまの月はあまねし木の間より木下闇なる草の庵にも
あしひきの山ほとヽぎすまた来鳴け十日前には聞きしてふ人

土砂降りの雨に飛び込む蕎麦屋かな  8/6瑞牆山

縞枯るる山や霧湧く天の庭      8/7坪庭ー白樺湖

警告と聞かずあたまに鶴の糞
わくらばの降るや射し初む陽の光

山の辺にかかる雲なしほととぎす    8/17(火) 快晴 7:00 7:32 山廬の森でほととぎすが三、四度鳴いた。待望の一大事。今日は絶好の山行日和だ。

編笠岳・権現岳



8/13(金)

5:28 観音平 すでに駐車場はいっぱいだがひとけはない。  

   37(1:00、50) 一人登山道へ。ペア一組を抜く。 

6:05 雲海 日の出を待つ富士山が雲海に美しく聳えている。

  32(35) ペアを抜く。

6:37 押手川 川は見えない。平坦な所で青年小屋への分岐点でもある。

  1:06(1:20、1:15) ペアを抜く。若者三人組につき山頂へ。年配の女性二人組は
   もう帰りのようだ。

7:43 編笠岳(2524m) 濃霧強風

  19(20) 年配の男性について岩塊の上を一気に下る。

8:02 青年小屋 小屋の中に数名、外に一名。 西岳が間近に見える。

  1:09(1:30) 先陣をきってスタート。 尾根に出ると霧の強風。 急登、岩場、鎖場
   がつらい。

9:11 権現岳(2715m) 濃霧強風

  46(1:10) 権現へ向かう年配の方、ペア、若者三人組、若者一人に出会う。

9:57 青年小屋 声の大きい団体が写真をとっていた。 女子中高生の4人組もいる。

  1:08(55) その団体についてまき道で帰途へ。

11:05 押手川 下りで右膝をやられたようでとても痛い。かばいつつ下山。その分時間が掛かった。膝のテープかサポーターがほしい。

  40(40、25)

11:45 雲海

  50(45、35)

12:35 駐車場

  ( )はガイドブックの標準時間

ほとんど休みらしい休みをとらなかった。権現への岩場でそのつけが来た。 南側は見通しがいいが北側と山の上は濃霧強風。年配の方は権現から赤岳に行くと言っていた。泊るそうなので大丈夫だろう、ご無事で。

次回欲しいもの
 登山用ひざサポーター or 開き気味で緩む右足の使い方の改善
 上着 速乾で軽いもの
 手袋 軍手でもいい

ネットから借用した写真、ガスってなければこう見えたのか。

2010年3月21日日曜日

越生墓参










家族が唱題をし出し私は黙って経の文字を追っていたとき、後ろの山からうぐいすが啼きだ出した。私の代わりに唱和してくれたのだ(^^)
 
    うぐひすも唱題和する墓参かな

2010年2月28日日曜日

山日記(四)都留




2007年06月12日19:49

6月12日(火)はれ

都留市谷村 桃林軒

 八百屋お七の大火(1682年)で芭蕉庵を焼け出された芭蕉は、弟子で谷村藩国家老の高山麋塒(たかやまびじ)に招かれて、麋塒の離れ(都留市谷村)の桃林軒(とうりんけん)に1683年1月から5月まで五ヶ月間寄寓した。時に芭蕉は数えで四十、不惑であった。再建された桃林軒には芭蕉の発句に脇を付けた連句の句碑があった。

 夏馬の遅行我を絵に看る心哉  芭蕉
  変手ぬるく滝凋ム滝     麋塒
 蕗の葉に酒灑ぐ竹の宿黴て   一晶(「一葉集」)


 馬ぽくぽく我を絵に見る夏野哉 芭蕉
  峡は雪解の富士が収まる   春蘭


      
 岩殿山
 岩殿を侮るなかれ夏あざみ
 落城の山には白き娥の乱舞
 熊注意札見てもどる夏の山

山日記(三)時鳥



2007年06月12日19:24

6月9日(土)終日雨
 五月雨や生ごみ捨てに出る女
 木も草も雨にうな垂れ青葉闇
 夏籠り賞味期限を先に食ふ


6月10日(日)雨
 三年ぶりか、時鳥が飛んできて啼いてくれた(^^) 
 きゃっきゃ、きゃきゃきゃきゃ! 
 特許、許可局! 
 てっぺん、かけたか! 

 聞きようであるが、ちょうど高くなり放題の辛夷と楓、紅葉、桂のてっぺんを止めるべく伐っていた時だったので、てっぺん、かけたか!と聞こえて可笑しかった。

 とどくうち高枝伐らんほととぎす
 とどくうちてつぺん伐らん時鳥


6月11日(月)はれのち曇り
 夜来の雨が止み青葉の光がまぶしい。鶴の一声、見上げると蒼穹を一羽の鶴が飛んでいた。

 霖雨止青葉遍光
 孤鶴一聲山盧上

山日記(二)夏沢峠




2007年06月12日19:18

6月7日(木)はれ
蕎麦打つて独り食み居り青時雨
かるがもの池にくつろぐ植田かな


6月8日(金)くもり

夏沢峠

 ひとりでは山に行かないようにと家族に言われていたが、朝7時に発作的に山荘を出発。小淵沢から鉢巻き道路に入り北上。美濃戸口を右に見て左折。牧草地脇の砂利道はサファリラリーのようで結構好きだ。上槻木から鳴岩川の北側を三井の森に沿って東へ進む。

 T字路を右折しフォレスト・カントリー・クラブ方面に進む。両側は三井の森で別荘地かゴルフ場だ。しばらく行くと唐沢温泉と夏沢鉱泉の分岐点に出る。狭い登山道のような砂利道。向こうから車が来たら往生するだろう。

 来ないことを祈りながらしばらく進むと、桜平のゲートに出た。車はここまで。駐車場は150メートル上ったところにある。道の脇に止めてもかまわないようだが、律儀に駐車場に止めた。

 8時40分、ゲートを通る。鳴岩渓谷に沿って上って行く。久しぶりの登山で体が重い。胸が苦しい。こんなことでどうする。峠までは無理かも知れない。山はまだ早春のようなおもむきだ。高い山肌には雪渓も見える。

  夏沢の汗はいのちや滝の音

 やがて上の方に煙突の煙が見えた。夏沢鉱泉だろう。山桜が満開だ。

  鉱泉に煙立ち立つ山ざくら

 鉱泉の主人だろうか、外に座っていた。お互いに会釈した。声をかけようとしたが携帯電話中だった。またこちらを見たので会釈して去る。主人は携帯の時刻を見たようだ。軟弱そうで変な格好のおやじがひとり9時に通過とでも記憶するのだろうか。

 あえぎあえぎ、休み休みのぼっていく。ちょっと休めば息の苦しさがおさまってくる。ようやくオイレン小屋に到着。外で主人と客だろう、談笑している。会釈して、「峠まであとどれくらいですか」と聞いた。「大丈夫だよ、ちょっと雪があるけどね」という返事。距離も時間もわからないけど大丈夫なんだろう(^^;)

 深い森に入ると鳥の声も沢の音もしなくなった。暗い原生林の中は雪がたくさん残っている。寒いし雲行きもあやしく心細い。自分の雪を踏む音と心臓の鼓動ばかりを意識する。

 新しい倒木も多い。苔に覆われた根が浮き上がっている。植物にとっても過酷な環境なのだろう。

  残雪の原生林や靴の音

 まだかまだかと思わず一歩一歩あがっていくことに専念しよう。苦しければ休めばいい。

 暗い森を抜けた。視界が開けた。ここが夏沢峠か。小屋が二つあり、その後方にそびえているのが硫黄岳だろう。時刻は10時40分、桜平から2時間もかかってしまった。

 山彦荘とヒュッテ夏沢は閉まっていた。『単独行』の加藤文太郎は初めての冬山の第一日目をここで迎え引返した。二日目は人恋しくて本沢温泉へ下りていった。しかし誰もいなかった。

 今は初夏、私のほかには誰もいない。文太郎の淋しさを察しつつ岩陰に風を避けて休む。霧が濃くなってきた。硫黄岳は雪渓が残っている。

  夏沢の峠をひとり霧の中

 とりあえず、早い昼飯にしようか。ぶどう入りパン、大根、胡瓜、トマト、甘納豆、干し魚、チョコレート、水。甘納豆と干し魚は文太郎のまねだ。山彦荘の看板にはももんがとやまねが巣食っていると書いてある。たしかに小屋には破れたままの板壁がみえる。

 11時20分、さぁ、元来た道を戻るかと歩き出した。ふと、山彦荘の脇のすぐ下の崖になにか黒いものが動いた。すわ、熊かと驚いたがよく見ると、日本かもしかだった。断崖に生えたわずかな青草を無心に食べている。

 じっと見ていたら、見返してくれた。「どうしたの?」と言われたような気がした。「うまい?」と声をかけたが、怯えもせずまた草を食べている。山川草木皆悉有仏性。このかもしかは神様の一つの姿かもしれないと思いながらまたあかずながめていた。またまなざしを返してくれた。余計なことを考えず、無心に山のかもしかに成りきっている。

  崖の草食む羚羊や雲の峰

 かもしかと別れて帰路につく。上りは心臓、下りは膝がきつい。雪に突っ込んだステッキが折れた。桜の倒木の枝を杖にして凌ぐ。帰りには往きに見えなかったものが見えてくるものだ。色々な苔、すみれ、山桜、多くの名も無い滝。

  夏沢の苔むす道やすみれ草
  かへさにはむしろ名も無き滝が見え

 12時45分に桜平のゲートに到着した。あこがれの夏沢峠にたどり着けた達成感に満たされて山荘に帰る。もちろんひとりで乾杯だ。

山日記(一)境川




2007年06月12日19:11

6月6日(水)はれ
 境川の飯田蛇笏の山盧をたずねたが、朝早く道を聞くべき村人も見えずギブアップ。桃畑の丘の結構下の方ということは分かった。

 境川
夏霞山盧たづねて境川
連山の影はおぼろや夏霞

 聖応禅寺
狂鶯の歩みどどむる美声かな

 須玉
新麦のあはきみどりの穂波かな
山家へと遠き坂みち花茨

 大泉
刈草のけむり入り込む車窓かな

 山家
木苺の花にむぐれる熊ん蜂
郭公を耳に草刈る山居かな

山ざくら

2007年05月06日13:58

甲斐源氏起きし城あと山ざくら
山もとに勘助屋敷鯉のぼり
勘助てふ酒には蕗の苦みかな
春の牧にはか風林火山館

春雷や笠着て潜む富士見の湯
チョコアイスかじるわらんべ四月尽
雪嶺や芽吹く林は風の音
うぐひすの声は正しく但馬牛

市ならばいかほどたらの芽の籠(こ)もよ

あけびの芽摘みつつをれば小糠雨
         むかへの君と傘のゆふぐれ

啼く雉子やところどころに山辛夷

雨やむでほのぼの明けるひんがしの
         杜はしきりに雉の声する

行く雲やさくらは風にさからはず
深山路は高き梢にさくらかな
咲き初めてたつた三日の落花かな

去年めでし花はいまだに蕾にて
         つねより多き嶺のしらゆき

ふるさとの花の下にて酔ふならば
         夢幻のままに覚めぬともよし



写真:
 里から八ヶ岳を望む、甲斐源氏発祥の谷戸城址より、山本勘助の墓(最近子孫が名乗り出たらしい)

妙音

2007年03月30日09:24

早暁うぐいすの遠音が聴こえた。まどろんでいたら激しい雨の音、折角の桜も色があせ散り初めるだろう。

  あかつきの雨に妙音や花見鳥  (たへね)

武蔵野の寺社や史跡に行くとかなりの確率で太田道灌の名前が目に入る。その武蔵野も道灌にかかわりなく桜色だ。

  武蔵野は道灌ばかりさくらかな

江古田原・沼袋古戦場跡
 哲学堂の西で妙正寺川と江古田川が合流する。そのあたりは今、江古田公園として整備されているが、太田道灌が地元の豊島氏を殲滅させたところで碑が建っている。



  古戦場雲霞のごとき糸ざくら
  
中野区立歴史民族資料館
 中野には徳川綱吉の生類哀れみの令で庶民が飼うのを放棄した犬を集めた犬屋敷(御囲)があった。ものを一面的にしかとらえられない人間がだれでもやりそうな愚行だ。スパイを養成した陸軍中野学校、政治思想犯を収監した豊多摩(中野)刑務所、中野は時の権力にとってやっかいなものを収容する場所だったと書かれていた。

  やつかいなものは中野に押しやられ

哲学堂 写真4

2007年03月28日17:37

南蔵院 阿吽 喝!
北野神社 
 霞のような枝垂れ桜。江古田原・沼袋古戦場の碑がある。

哲学堂 写真3

2007年03月28日17:35

正覚院
南蔵院

 京都にいるような気分♪

哲学堂 写真2

2007年03月28日17:33

正覚院

哲学堂 写真

2007年03月28日17:20

妖怪門
傘型亭(演繹観)
柳は緑花は紅

哲学堂

2007年03月28日17:15

 
 花蔭は哲学よりも鳴き徳利  春蘭


 みかんさんの後塵を拝して哲学堂へ。

板橋宿 写真二

2007年03月01日20:39

帝京高校の甲子園行きを祝う(希望?)横断幕
野口研究所の爛漫の桜
深い石神井川の流れ

板橋宿 其の二

2007年03月01日20:33

新選組供養塔
ライフ近くの道に帝京高校の甲子園行きを祝う横断幕がかかっていた。下宿(平尾宿)から板橋駅に出る。踏切を渡って一本目の道を右に行くと角に新選組供養塔があった。メインの塔は修復中だった。近藤勇は捕らえらてこの先の一里塚付近で刑死したとのこと。

   もののふの狂気しずめよ玉椿  春蘭

入り口に白い字で歌が書いてあった。中村天風の歌の本歌どりか。

   染めいだす人はなけれどおのずから柳は緑花は紅 
   染めいだす人はなけれど春来れば 柳は緑花は紅  中村天風


板橋の裏通り
子供達の名前のスナックがならんでいたので思わず写真を撮った。おまけに私のハンドル名の略名の店もあったのでびっくりw

   板橋の女の嘘を知りながら   春蘭


石神井川
この辺まで来ると石神井川は深く淀ができている。鴨が楽しそうだ。岸辺の柳は青さを増してきた。

   石神井の流れは深し柳絮かな  春蘭

   
野口研究所
加賀前田家はこのあたりに六万坪の下屋敷を持っていたとか。その名残りの小山と公園があった。隣に野口研究所という雰囲気のある施設がありその構内だけは桜が満開だった。触媒とか糖鎖などを研究しているという。

   触媒の研究所なり早ざくら   春蘭
                       


写真は、近藤勇像、スナックだらけの裏通り、野口研究所の桜