◯玄蕎麦 小坂 練馬区田柄 天ざる 花御膳
今までは近くの桔梗家が休みだと代わりに行く店だったが、
認識を改めた。目指していくべきレベルだ。
◯松庵 早稲田 天ざる 日替わり膳
◯たかさご 牛込神楽坂 せいろ おかめ
細切りながら正方形でこしの強さは秀逸。
◯室町砂場 日本橋室町(神田) 天ざる 玉子焼き
さらしな粉、一番粉の白いそば、さすがに品がある。
2010年2月27日土曜日
2010年2月26日金曜日
2010年2月25日木曜日
蕎麦の徒
2006年05月12日18:23
蕪村が書いた『春泥発句集・序』で、春泥舎召波は、麦林・支考を俳魔と呼んでいる。それに対して蕪村は懐の大きいところを見せ、彼らの句法を工案の一助とすればよく、支麦の徒とか、そうののしるなと諭す。彼らの句法とは、美濃派によって全国に広まったが通俗化したという句風や七名八体説、自他伝(北枝)などの俳論のことか。
また、芭蕉の遺語の偽作は、支考に極まり、芭蕉の没年から離れれば離れるほどひどいと、近年の学者は述べている(校本芭蕉全集 9 芭蕉遺語集 赤羽学)このように、昔も今も評判の悪い支考ではあるが、彼の『芭蕉翁追善之日記』は、芭蕉の臨終や法要の様子が書かれており、偽りはないと信じたい。
その中に「この叟の生前には、唯、蕎麦をのみこのみ給ひて、殊に支考がふつつかにうちなして、ほそやかに手際ならぬをよろこび申されければ、この忌日にもさる事まうけはなしける也」とある。
蕎麦がこよなく好きな芭蕉、へただけど手打ちでもてなす支考。不揃いで、太く短い黒い蕎麦。支考も蕎麦が好きなのだろう。蕎麦好きとしては、支考へ少しポイントをあげたいと思った。
蕎麦はまだ花でもてなす山路かな 芭蕉
蕎麦の花まちてやたてる岡の松 支考
蕎麦笊を干せば匂へる実山椒 春蘭
蕪村が書いた『春泥発句集・序』で、春泥舎召波は、麦林・支考を俳魔と呼んでいる。それに対して蕪村は懐の大きいところを見せ、彼らの句法を工案の一助とすればよく、支麦の徒とか、そうののしるなと諭す。彼らの句法とは、美濃派によって全国に広まったが通俗化したという句風や七名八体説、自他伝(北枝)などの俳論のことか。
また、芭蕉の遺語の偽作は、支考に極まり、芭蕉の没年から離れれば離れるほどひどいと、近年の学者は述べている(校本芭蕉全集 9 芭蕉遺語集 赤羽学)このように、昔も今も評判の悪い支考ではあるが、彼の『芭蕉翁追善之日記』は、芭蕉の臨終や法要の様子が書かれており、偽りはないと信じたい。
その中に「この叟の生前には、唯、蕎麦をのみこのみ給ひて、殊に支考がふつつかにうちなして、ほそやかに手際ならぬをよろこび申されければ、この忌日にもさる事まうけはなしける也」とある。
蕎麦がこよなく好きな芭蕉、へただけど手打ちでもてなす支考。不揃いで、太く短い黒い蕎麦。支考も蕎麦が好きなのだろう。蕎麦好きとしては、支考へ少しポイントをあげたいと思った。
蕎麦はまだ花でもてなす山路かな 芭蕉
蕎麦の花まちてやたてる岡の松 支考
蕎麦笊を干せば匂へる実山椒 春蘭
玄蕎麦『野中』
2006年04月21日14:28
練馬区中村の蕎麦屋「野中」へ。明月庵田中屋の暖簾分け
で当初、田中屋と名乗っていたが、自立した証しとして屋
号を変えたと聞いた。
玄関脇の作業部屋が外から見え、大きな石臼が回っている。
その日の蕎麦の産地、特徴を表示している。
店内に八重桜が瓶に活けてある。蕎麦は正方形の細切りで
品がある。通ぶった自分としては、せいろで良かったのだ
が、連れが、穴子天おろしと差を付けたので、つい、対抗
上、海老天おろしを頼んだ。
てっきり、てんせいろ風なんだろうと。ものが来てわかっ
たが、要するにぶっかけ。量はそう多くないが正解だった。
連れもご満悦のご様子♪
「おもしろく咲きたる桜を長く折りて大きなる瓶に
挿したるこそをかしけれ」 枕草子
練馬区中村の蕎麦屋「野中」へ。明月庵田中屋の暖簾分け
で当初、田中屋と名乗っていたが、自立した証しとして屋
号を変えたと聞いた。
玄関脇の作業部屋が外から見え、大きな石臼が回っている。
その日の蕎麦の産地、特徴を表示している。
店内に八重桜が瓶に活けてある。蕎麦は正方形の細切りで
品がある。通ぶった自分としては、せいろで良かったのだ
が、連れが、穴子天おろしと差を付けたので、つい、対抗
上、海老天おろしを頼んだ。
てっきり、てんせいろ風なんだろうと。ものが来てわかっ
たが、要するにぶっかけ。量はそう多くないが正解だった。
連れもご満悦のご様子♪
「おもしろく咲きたる桜を長く折りて大きなる瓶に
挿したるこそをかしけれ」 枕草子
2009年2月21日土曜日
2009年1月26日月曜日
2008年12月25日木曜日
草加『梅庵』
class:
蕎麦

梅庵
元旦は日本橋のホテルでおせちをいただくことにした。おせちの準備の必要がなくなり、暇なのでちょっと草加まで師走の町をドライブする。カーナビも地図も持っていない。道を間違えた。石臼挽き手打ちそばの看板が目に入る。ちょうど昼時。うどんって書いてあるわよ、何でも屋みたいと妻が言う。まぁ、いいかと、私はもりそば(800円)、妻はたぬきそば(900円)をたのむ。
薄みどりがかった常陸秋蕎麦の九一、つゆも本格的辛汁。そば湯はとろりとして釜のぬき湯ではない。そば湯のおかわりを頼んでいる客もいる。たぬきには分厚い蒲鉾と厚みのある海苔も入っている。たまたま入った店でこういうレベルの高い蕎麦に出会うとうれしくなる。本やネットの評判を真に受けて期待して行って何度裏切られたことか。帰りに玄関脇の打ち場を覗いたら、捏ね鉢で水まわしを一心不乱にやっている大将の背中が見えた。なるほどと思った。
奥の細道 (草加)
【ことし元禄二とせにや、奥羽長途の行脚、只かりそめに思ひたちて、呉天に白髪の恨を重ぬといへ共、耳にふれていまだめに見ぬさかひ、若生て帰らばと、定なき頼の末をかけ、其日漸早加と云宿にたどり着にけり。痩骨の肩にかゝれる物、先くるしむ。只身すがらにと出立侍を、帋子一衣は夜の防ぎ、ゆかた雨具墨筆のたぐひ、あるはさりがたき餞などしたるは、さすがに打捨がたくて、路次の煩となれるこそわりなけれ。】
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