2010年4月30日金曜日

鹿の糞

下萌や落葉を掻けば鹿の糞

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2010年4月26日月曜日

山ノ方ニ居リマス。




4/27〜5/9

2010年4月25日日曜日

井上ひさしの至言

むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく おもしろいことをまじめに まじめなことをゆかいに ゆかいなことをいっそうゆかいに (劇団こまつ座の機関誌「The 座」に寄せて '89)

むずかしいことをやさしく 
やさしいことをふかく 
ふかいことをゆかいに 
ゆかいなことをまじめに
書くこと 井上ひさし (色紙 ’93.1.23 )

むずかしいことをやさしく やさしいことをおもく おもしろいことをおもしろく (永六輔『大往生』で引用 '94.3)

むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく (別冊歴史読本に寄稿 '95.5)

『吉里吉里人』は、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、ゆかいなことをいっそうゆかいにだった。つるつるずん(爆)

2010年4月22日木曜日

連歌百韻『阿蘭陀を』の巻










#jrenga 連歌 俳諧 連句
2010.4.16〜4.21 座・ツイッター連歌 @zrenga
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式目
               
発句 阿蘭陀をゆるりと渡る朝寝かな    春 リュウ     
脇   風の光れば目蓋まぶしき      春 不夜
第3 清明のみずの流れに壷洗う      春 百
4   蛙ひそりと見つめる川面      春 彼郎女
5  せんかいのとんびひとこゑぴぃひょろろ  私
6   色なき風の螺旋階段        秋 不夜
7  満月に支配されたり展望台     秋月 彼郎女
8   茸汁など召し上がりませ      秋 百

9  待ち合わせハチ公の鼻撫でながら     リュウ
10  鳴き声の方ハットふりむく       ひろぶみ
11 小道具は視線を隠すサングラス    夏 リュウ
12  プールサイドの君をみていた   夏恋 彼郎女
13 ふたごころ靴投げてやる東慶寺    恋 リュウ
13 申し分なき淑妻の肩越しに      恋 私
14  悴む猫を抱きしめて月      冬月 リュウ
15 コンビニのホットコーヒー和ませて    ひろぶみ
16  面接の列の先頭に立つ         百
17 オーディション握りしめたるトーシューズ 不夜
18  水平思考で夢を実現          リュウ
19 にょっぽりと隅田の空を突くタワー    私
19 農場の門に廻れり大風車         ふない
20  ドン・キショットの旅の道連れ     リュウ
21 花過ぎの夜のヴィーナス薄化粧   春花 百
22  ショーウィンドーにシャボン玉とぶ 春 不夜
二オ
23 遠足のリュックサックを並べたる   春 ふない
24  チョコと酢昆布フラスクの酒      リュウ
25 行き詰まる作家はペンを放り投げ     不夜
26  癒しの女神マリリン・モンロー     リュウ
27 プレビューの小窓のなかに蘇る      ふない
28  消えしデータに泣く青簾      夏 不夜 
29 新発意に還俗迫る熱帯夜      夏恋 リュウ
30  法衣の胸を薮蚊ふと刺す     夏恋 ふない
31 来客に着替えもせずに出てみれば     彼郎女
32  親の後からうり坊のいで      秋 百
33 手品師の弟子の手際に秋の声     秋 不夜
34  身はほっそりと顔は爽やか     秋 私
35 月照らす湖面に杜甫のつぶやけば  秋月 不夜
36  いよいよ高き天に猿嘯       秋 私
二ウ
37 盲腸の手術も三日にて出社        不夜
38  未読メールはパンドラの箱       彼郎女
38  空港閉鎖で赴任できない        百
39 キャンセルの言い訳だけは出来たけど   彼郎女
40  強面上司声も冷え冷え       冬 リュウ
41 年々に宛先の減り賀状書く      冬 リュウ
42  取り柄はひとつ強き筆勢        私
43 神頼み絵馬に最後の望みかけ       不夜
44  玉兎を背なに爺の朧目      春月 リュウ
45 バス停の時刻をぼかす春時雨     春 海霧
46  目立つ空き地にめぐる草萌え    春 私
46  遍路の脚をすこし休めて      春 彼郎女
47 合併で謂われ判らぬ地名増え       リュウ
48  表札替える仕舞屋の主         ふない
49 技と術競い合うなり大花火     夏花 リュウ
49 新家に思いがけない帰り花     冬花 不夜
50  呼ばれるがごと集ふ人びと       彼郎女
50  冬将軍がみせた微笑み       冬 彼郎女
三オ
51 蓬莱は近しと告ぐる水夫の声       不夜
51 着ぶくれて断腸亭を探る巴里     冬 リュウ
52  ボタン違えてフロックコート      百
53 控え室あたらしき父大笑す        ふない
54  婿と呼ぶより自慢の息子        彼郎女
55 合歓の花娘といえど人の妻     夏恋 百
56  ゆだちのあとのそでのつゆけき  夏恋 私
57 ドアの裏朱きルージュのなぐり書き  恋 不夜
58  何でもありのファンタジーです     リュウ
59「無礼講!」下戸の上司を酒で攻め     私
60  佐藤義清さらり隠逸          不夜
61 銀色の猫の毛並みを一瞥し        彼郎女
62  水をたっぷり挿芽にかける     春 百
63 あたたかな春三日月の土の肌    春月 ふない
64  胡乱な民も赦す青帝        春 リュウ
三ウ
65 山鳥の尾のしだり尾は瑞兆か     春 不夜
66  水天宮へ帯をもらいに         リュウ
67 石段のすこし滑るも危ながり       ふない
68  鳩が豆くってまたアンケート      百
69 支持率は水ものなれや乱高下       私
70  皆で乗りませジェットコースター    彼郎女
71 俳諧の諧は和すてふ意味にして      私
72  笑ひ絶えざる古池の庵         不夜
73 名月をうつす水面はしづまれど   秋月 彼郎女
74  予報によれば台風近し       秋 彼郎女
74  台風の眼をつつく予報士      秋 不夜
75 キャスターは龍田姫とぞ呼ばれたる  秋 不夜(74両句に)
76  人格変はる野球観戦          私
77 花吹雪誰も舞台の人となり     春花 百
77 天よりの贈り物らし飛花落花    春花 リュウ
78  一眼レフが捕らう初蝶       春 海霧
ナオ
79 うららかな岬の白き灯台に      春 不夜
80  喜怒哀楽も共に古希まで        リュウ
81 誓いしは五十余年の前となりぬ      ふない
82  関羽張飛のいまはいづくや       不夜
83 平原にジープの走るやかましさ      ふない
84  駆け足速きマサイの子供        不夜
85 食卓に濃き牛乳の香は流れ        ふない
86  異常気象の穀物相場          百
87 夕凪の瀬戸内海を貨物船       夏 不夜
88  割れし土台に浜茶屋の立つ     夏 ふない
88  デッキに小さき鯉幟たて      夏 百
89 一の倉汗が塩っぱく一休み      夏 海霧
90  ときにとぎれる蟻の行列        私
91 月夜茸闇夜に毒を育ており     秋月 百
92  土をしとねに眠る落蝉       秋 彼郎女
92  朝寒のなか共に眠らん      秋恋 彼郎女
ナウ
93 謎かけを問い詰め直す西鶴忌    秋恋 リュウ
94  love と rob との半角の距離    恋 リュウ
95 テムジンの父は狼母は鹿         私
96  ここに世界の歴史始まる        不夜
97 銀盤に霧らふアクセル四回転       リュウ
98  その身にまとふ風は光りて     春 彼郎女
99 花のもと卒寿の媼紅さして     春花 百
100 大和三山かげろいの中       春 百
100 草を摘み出し皆にとめらる     春 私
100 目も耳にして百千鳥きく      春 私

※同じ番号の句は、ことわりがなければ、最後の句に次の番号の句が続いたことを示す。
 
写真提供はフォト蔵さん

2010年4月20日火曜日

執中の法


能勢朝次『連句芸術の性格』
 
速度と付け方との調整 ー 執中の法 

(一)
付句の性格は前句に付くことにその根本がある。

心敬が「前句に心の通はざればただむなしき人の、いつくしくさうぞきて並び
居たるが如くなり。前句の取り寄りにこそ、いかばかりに浅はかなる言の葉も、
らうたきものには成り侍るなり」と言った言葉は、芭蕉もこれを門弟に示して、
付句は前句に十分に付くべきものであることを説いている。

この点では、貞門や談林においては、あるいは理知的に物付けで連ね、あるい
は連想の赴くままに、心付けを以って付けてゆくのであるから、付け方も容易
であり、付けたところの道筋も明らかに知り得られる。

しかるに蕉門では、前句の情を引きくることを嫌い、前句はいかなる人、いか
なる場と、そのわざや位を見定めたうえで、前句を突き放して付けるべきこと
が要求せられる。


これは談林のごとくべた付けとなることを嫌うものであり、二句の間を相当に
引離して、幽かなる余韻の薫り合う味わいを求め、そこに風雅の詩趣を醸し出
すことに芸術的意義を発見したためにほかならない。

しかし、かような付け方は、芭蕉や彼の高弟などのごとく、十分なる詩趣を創
造し、隠微なる風韻を感得するに足るだけの修行を積んだ者には、比較的容易
であるが、しからざる者に至っては容易ではないことも明らかである。

去来が「今の作者、付くる事を初心のやうにおぼえて、曾て付かざる句多し。
聞く人も又、聞き得ずと、人の言はん事を恥ぢて、付かざる句をとがめず。却
ってよく付きたる句を笑ふ輩多し」と、当時の作者の弊を指摘して、心の通い
なき句を作る者に警告をあたえているのは、這般の消息をよく伝えたものと思
う。

ここにおいて起こる問題は、かような隠微な気分象徴的な付句を付ける行き方
と、連句の付合における相当の速度を以って付け進めるべき要求と、この両者
の調和の問題である。沈思すれば速度は鈍り、速度をもっぱらとすれば付かな
い付句となる怖れがある。これをいかにさばき扱うべきか。こうした要求に従
って案出されたものに、支考の唱える「執中の法」がある。

これは、匂い・響き等の付け方の心法に比べると、第二義的な啓蒙的な方法で
あるが、実用的であり便利な方法であったために、芭蕉没後の蕉門では、相当
に重んぜられたものであった。

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(二)
支考の『芭蕉翁二十五箇条』に

 付句は趣向をさだむべし。其趣向といふは、一字二字三字には過べからず。
 是を執中の法といふなり。物、その中を執りて前後を見る時は、百千の数
 ありても前後は近し。人は始めより案じて終りを尋ぬる故に、その中隔た
 りて必ず暗し。

とあり、蓼太は『附合小鑑』にこれを敷衍して、

 芭蕉翁二十五條の内、付句に執中の法あり。執中とは中をとるといふこと
 也。案じ方の肝要とす。源氏物語などの大部なる物も、須磨の左遷より筆
 をたてて、前後は枝葉なりとぞ。浄瑠璃の五段続きも、先づ三段目の面白
 き所を作して、さて初後は寄せもの也。

 付句も左の如く、前句に対して付くべき物は、一字二字三字には過ぎず、
 是を弁へざれば、句に向かって趣向を求むる事遅し。ここに至りて執中の
 法を用ふべし。

 其一字二字に、てにはを加へ、延べもし縮めもして、二句連綿すること也。

 付句は蓮の茎を切りはなして、中に糸を引くがごとく、情のかよひたるを
 上品とす。つらねうたといふも此の心にや。

と説き、例句として

      糊強き袴に秋を打うらみ
     鬢の白髪を今朝見付けたり
                    付けは老の一字

      手紙を持ちて人の名を問ふ
     本膳が出ればおのおのかしこまり
                    付けは振舞
     
      此の秋も門の板橋崩れけり
     赦免にもれて独り見る月
                    付けは左遷

のごときものを出している。これらによって見ると、その意味するところは
前句をよく見る時は、その中において、付句の眼目となすべきものは、こ
れを一文字か二文字の単語として求め得られる。その中心となるものを執る」
という意である。ただし、これは前句の中にそうした語があるというのでは
なくて、前句よりおのずからに発展して付句の中心となるべき語の意である。


例によって言えば「糊強き袴に秋を打うらみ 」という前句からは「老」という
一語が付句の中心として発展して来、「手紙を持ちて人の名を問ふ」という前
句からは「振舞」という一語が付句の中心と浮かんで来、「此の秋も門の板橋
崩れけり」 という前句からは「左遷」という一語が付句の中心となるべきもの
として現れてくるというのである。

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(三)
      糊強き袴に秋を打うらみ
     鬢の白髪を今朝見付けたり
                    付けは老の一字

たとえば、第一例の「糊強き」の例でいえば、袴の糊の強くて身になじまぬこ
とに、秋のうらさびしさを感じているような心持があるが、そうした気分をた
どってゆくと、その中になんとなく老人らしい感じが彷彿としてくる。その
「老」というものは結局前句の気分の一標微であるから、その標微たる「老」
を、付句においては具象的な姿で以って表現すればよい。

そこで、これを初老の人の、老を感じて驚き始めた姿において処理して「鬢の
白髪を今朝見付けたり」と句作りすると、此の前句と付句との間には、初老の
人のなんとなきうらさびしさの余情が通いあうことになる。かくすることによ
って、自然に蕉門の匂い付けや移り付けの行き方に合致した付句が得られると
いう結果となるのである。

      手紙を持ちて人の名を問ふ
     本膳が出ればおのおのかしこまり
                    付けは振舞

第二例「手紙を持ちて人の名を問ふ 」は、手紙を持ちながら、大勢の人々の集
まっている席に出て、その手紙の宛名主が、そこにおられるか、おられればどな
たであるか、などと尋ねている光景である。こうした場面は、現代では、多人数
の集まりの席へ、給仕が面会人の名刺を持ちながら、「誰某さんはいらっしゃい
ませんか」などと、呼び出しに来るのと似ている。

そこで、この前句から、何かの饗応に招かれて多勢の者が参会している場所のよ
うな気分を感じ取り、それを「振舞」という一語に集約し、これを付句の中心と
して、付句にはその振舞の席の様子を具体的な姿で描き出して「本膳が出ればお
のおのかしこまり」と付けたのである。

前句と付句は意味のうえからは独立したものであることは、蓮根を切断して左右
へ引き離したごときものでありながら、その蓮根の間には「振舞の席」という無
言の領域の糸が、かすかに両句の間に繋がっているのである。

      此の秋も門の板橋崩れけり
     赦免にもれて独り見る月
                    付けは左遷

第三例の「此の秋も門の板橋崩れけり」という句は、なんとなく荒廃の感じがい
っそうに強まり、この秋はあるいは新しく修理せられることもあろうかと、ひそ
かに期待していたような予想も、裏切られたような感じもある。「門の板橋」は、
板橋だけが朽ち崩れるというのでなくてその邸宅全体の荒廃を、板橋の腐朽とい
うところに焦点を合わせた表現であって、人の出入りもまったく絶えていること
を、強く感ぜしめる巧みさを持っている。

そうした前句の気分を感じ取って、その気分を「左遷」という一語に集約したの
が「執中」の中を執るという手法である。そこで付句においては、この左遷とい
うものを、具体的に描きくればよいので、「赦免にもれて独り見る月」と、左遷
された人物が、月を仰いで、愁嘆の溜息をついているような場面を展開したので
ある。この付合における「左遷」の一語は、二句を連ねる蓮根の糸であること、
前の「振舞」や「老」と同様である。

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(四)
付句におけるかような行き方は、その源をさぐると、支考の独創にかかるものと
は言い難くて、その源流は芭蕉の付句指導の中にも求め得られるかと思われるふ
しがある。それは『去来抄』に

      綾の寝巻にうつる日の影
     泣く泣くも小さき草鞋求めかね 去来

  此の前出て、座中暫く付けあぐみたり。先師曰はく、「よき上臈の旅なるべ
  し」やがて此の句を付く。

という有名な逸話が見えている。「綾の寝巻にうつる日の影」に対して、一座に
どうしてもよい付句が思い浮かばず、人々が困っていたさいに、芭蕉が「よき上
臈の旅であろう」という助言を与えた。その一語によって、去来はこの句を作っ
たというのである。

この芭蕉の一言は、支考的な立場で言えば、まさに「執中」に当たるものである。
もちろんこれを「執中の法」などど厳めしい名目をつけて、わが門の秘法呼ばわ
りをしたのは支考であろうが、そうした案じ方は、芭蕉が時々門弟に示したもの
ではあるまいかと思われる。

かように執中の法は、前句より発展し来たるべきもの、換言すれば、付句
と前句の間を連ねる蓮の糸に当たるものを、一語の中に把握する活動を言うの
であるが、その効果は、いかなるところにあるかといえば、付句を作るさいに、
その一語を、巧妙に具象化すればよいということになって、作句がはなはだ容
易である
ということである。

「老」とか「振舞」とか「左遷」とか、あるいは「上臈の旅」とか、そうしたも
のを題として、五七五または七七の句を作ることさえ行えば、「老」のいかなる
具象、「振舞」のいかなる具象を句作しても、めったに「前句に心の通わない句」
となる怖れはなくなるゆえである。

前句全体に付けるということと、一語に対して付けるということでは、作者とし
ての難易の度ははなはだしく異なる。その点に実用的な効果があらわれ、付句は
はなはだ容易に付き、したがって付合の時間的速度を快調ならしめる効果も上が
るのである。


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(五)
第二の実用的な効果は、打越と前句との世界からの離れぎわの見事さと、付句に
おける変化のおもしろさが、この執中の法によって、巧妙に実現できるというこ
とである。
たとえば「綾の寝巻」の句は『物の種』には

      世は成次第いも焼いて喰ふ   凡兆
     萩を子に薄を妻に家建てて    芭蕉
      綾の寝巻に匂ふ日の影     示石
     泣く泣くも小さき草鞋求めかね  去来

となっている。「萩を子に薄を妻に家建てて」と「綾の寝巻」との間には、富有
な風雅人が別荘でも作り、子の慰みに萩を、妻の慰みに薄を、それぞれに前栽に
植え、その妻などは、日闌けて起き出でて、綾の寝巻には日影が匂うている、と
いうような場面が想像せられてくる。そうした気分が一座の作者たちの心を流れ
ていると、ややもすれば、そうした情趣の糸がどこまでもまとわりついて、容易
にこれを転ずべき趣向が浮かんでこない。

そうしたさいに、前句だけを睨んで、それの中心を、上臈に置き、日闌けた風情
に、旅の疲れの朝寝を思い寄せて、「よき上臈の旅」と執中する時には、今度は
前句を突き放して、その旅の風情を具象的に描けばよく、修練を経た作者であれ
ば、即座に「泣く泣くも小さき草鞋求めかね」ている場面を展開させてくること
ができる。かくして、打越と前句との世界をきわめて巧妙に転じ、かつ変化の妙
趣を発揮して、一座の感興を増すことができるのである。

「手紙を持つて」の句は、『百囀』によれば、

      白いつつじに紅のとび入る   芭蕉
     陽炎の傘ほす側に燃えにけり   支考
      手紙を持つて人の名を問ふ   支考   
     本膳が出ればおのおのかしこまり 芭蕉

というふうな連句の進み方である。「陽炎の」句と、「手紙を持つて」の句の示
す世界は、飛脚が、宛名人の宅がどこであろうかと、春日和に門口などに出て傘
を乾している人に向かって、尋ねているような風光である。そうした付合の打越
・前句の世界を見事にはなれて、付句を作るためには、「手紙を持つて人の名を
問ふ」の境を、「振舞」という一語に執中してしまうことが有利であり、付句の
句作りにおいては、振舞の場面というものを、最も俳趣ゆたかにおもしろく作る
ことに全力を傾けてゆけばよいのである。



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2010年4月19日月曜日

歌仙『春うらら』










     歌仙『春うらら』    
                  2010.3.31〜4.18
                   座・mixi連歌

発句 スカイツリー川面に映えて春うらら 春  亮
脇    光の中をたゆたへる蝶     春  よはんな
第三 永き日を漆文箱を出してきて    春  百
四    幼き頃の手形可愛い         青波         
五  看板に小愛男ひょいとのり     秋月 合
六    蔦の絡まる名画座の壁     秋  草栞

一  学生街ぬけてきたればそぞろ寒   秋  鉄線
二    親子三代同じ舞台に         みかん
三  お嫁さんすでにおほきなお腹なり     春蘭
四    からだに馴染むやわらかな布     亮
五  ペテン師の言葉巧みに操られ       栞
六    心に決めた人を裏切る     恋  百
七  月冴える街を背にして搭乗し    冬月 波
八    荷物受け取るサンタクロース  冬  合
九  軽やかにテーマソングを口ずさむ     栞
十    密約かなし美しき島         線
十一 潮風にふかれるベンチ花つかれ   春花 み
十二   かけ声に止む鳥のさへづり   春  蘭 
ナオ
一  忘れ角両手に持ったせんとくん   春  合
二    またも求める地酒地ビール      亮
三  温泉を掘るもそれほど新味無く      波
四    新空港の韓国ツアー         百
五  憧れの人想ひ出す夏木立      夏恋 栞
六    幻住庵に残る空蝉       夏恋 合
七  泣きながら携帯電話握りしめ       み
八    ねえ教へてよ右か左か        線
九  ナイッショッ!の声はかゝれど眼鏡飛び  蘭
十    古希の祝いのテニス大会       百
十一 万感を託すオカリナ月の庭     秋月 亮
十二   来客有りて虫時雨止む     秋  波
ナウ
一  仏前へ野菊を献じ留守の庵     秋  百   
二    栞代りに紅葉挿みて      秋  栞
三  リモコンの電池が切れた日曜日   合
四    ひょうたん島は波の彼方へ   み
五  きりきりと舞ふは残花か降灰か  春花  線
挙句   ことしは遅い野火のたなびく  春  蘭

2010年4月16日金曜日

連歌百韻『つみ草や』の巻


#jrenga 連歌 俳諧 連句
2010.4.10〜4.16 座・ツイッター連歌 @zrenga
アバターrenga.heroku.com
式目
               
発句 つみ草や背なに負ふ子も手まさぐり  春 不夜庵太祇        
脇   うらなふごとく散らすアネモネ   春 彼郎女
第3 やはらかな東風にロンゲのゆらめいて 春 私
4   朝のキャンパスやや急ぎ足       不夜
5  図書館のいい席窓は風景画        私
6   眠気をさますコーヒーの香       百
7  痩せ細る月に誘われ開ける窓    秋月 彼郎女
8   隣の秋刀魚にほふゆふぐれ     秋 私

9  塹壕に虫の音しのぶふるさとは    秋 不夜
10  わが許嫁いかにいますや      恋 私
11 ラブソング今日も唄ふよ窓の下    恋 不夜
12  音のはずれる隣のピアノ        海霧
13 片陰にひそと佇む修行僧       夏 不夜
14  出入禁止と門に立て札         私 
15 パチンコに勝ちすぎたれば詮もなし    不夜
15 チューリップ開いて閉じて通学路   春 百
16  足をとられて春泥に泣く      春 不夜
17 蜃気楼それと知らずに追いかけて   春 彼郎女
18  レールのかなた朧昇りぬ     春月 ふない
19 飛花うけてほすも一興馬上杯    春花 私
20  はらはら揺れる手元あやしく      彼郎女
21 氷上のスピン止まれば決めポーズ   冬 不夜
22  寝てはならぬと冴えわたる星    冬 草栞
二オ
23 大気圏突入迫る操縦席          不夜
24  機動戦士の命運いかに         栞
25 君からの電話が鳴って消すテレビ   恋 彼郎女
26  デート遅れた言い訳さがす     恋 不夜
27 逆ナンをされてふらふらついてゆき  恋 私
28 「性別なんて関係あるの?」       彼郎女
29「その件は善処しましょう」汗しとど  夏 不夜
30  鴨の川原の床で接待        夏 私
31 論なかば人斬り以蔵席をたち       不夜
32  後に残った渋面三つ          ふない
33 手作りの差し入れ届く部室にて      彼郎女
34  絵の具の汚れ落とす宵闇      秋 不夜
35 かりがねの手の内見せぬ骨董屋    秋 百
36  新酒ぶらさげ秘湯の探訪      秋 海霧
36  九月よきひの旅の算段       秋 不夜
二ウ
37 今週は美人女将の特集号         彼郎女
38  目を皿にする仲居一同         ふない
39 宴会がはじまる前から酔つてゐる     私
40  太祗うろつく昼の遊廓         不夜
41 求むれど粋な企画も見当たらず      栞
42  作家の尻を叩け新人          不夜
43 私有地の林を抜ける徒歩五分       ふない
44  君と初めてキスをした場所     恋 彼郎女
45 想ひ出すプールサイドに夏が来りや 夏恋 栞
46  水面に映る短夜の月       夏月 彼郎女
47 橋超えて駆るフェラーリの排気音     不夜
48  朝靄けぶる峪に木霊す       春 栞
49 分け入れば行者纏はん花ごろも   春花 私
50  ツァラトゥストラの洞につばくろ  春 不夜
三オ
51 あす下山まさに没落の時は来て      ふない
52  城址といえど石垣ばかり        不夜
53 老若の視線あつめるバスガイド      不夜
54  蓋をひらけば蒸し寿司の湯気    冬 ふない
55 冬の浜ぽつりと残る玉手箱      冬 彼郎女
56  うらに小さく朝鮮の文字        私
57 ブランドがえらく安いと思つたら     私
58  道頓堀に小糠雨ふる          不夜
59 蝶ネクタイちびれ箒で溝を掃き      ふない
60  さらさら積もる銀杏の黄葉     秋 彼郎女
61 しめやかに月の光が舞い降りて   秋月 彼郎女
62  衣打つなり趣味の教室       秋 不夜
63 ふる里へ帰省ついでに見合する      栞
64  いまさら気付くほんとの気持    恋 不夜
三ウ
65 言うべきか言わざるべきかまだ迷う  恋 百
66  恋は駆け引きあと出しジャンケン  恋 不夜
67 負けてやることも時には必要で      彼郎女
68  引退間近強がりばかり         不夜
69 なかんづくおのれを知るは難しく     私
70  ギリシャ神殿風化する額        不夜
71 背高きオレンジの木に砂埃        ふない
71 理科室の標本に無い冬木かな     冬 百
72  小春日和につくる押し花      冬 不夜
73 古ぼけた国語辞典の「つ」のページ    彼郎女
74  月みて気づくけふは銀婚     秋月 私
75 ひややかな望遠鏡を窓に据え     秋 ふない
76  雁の消えゆく雲の白さよ      秋 不夜
77 しづかなる花の内より暮れはじむ  春花 百
77 薄墨の花の下にて詠む連句     春花 海霧
77 夕霧に色も褪せたり花紅葉     秋花 彼郎女
78  つゆのいのちをゝしめわかうど   秋 私
ナオ
79 兎に角も歳の流れに老ひツイッター    栞
80  なんとばね指通院中で         海霧
81 短夜にくわつと目覚むるサイボーグ  夏 不夜
82  タオルケットが舞う四畳半     夏 彼郎女
83 まあそこへ座りたまえと足で指す     ふない
84  子規漱石に俳句教授す         不夜
85 坊っちゃんは季節に興味あるのかね    彼郎女
85「坊っちゃんは季節に興味あるのかねぇ……」彼郎女
86  執事とメイド声をひそめて       不夜
87 満月になるとおかしい旦那様    秋月 私
88  かまどうま指し親友と言う     秋 海霧
89 鹿火屋守更け行く夜こそ淋しけれ   秋 不夜
90  にはかに風の猛けり山鳴る       私
91 われらみなバベルの塔の裔なれば     リュウ
91 虚仮威し地震雷おやじギャグ       栞
92  永年勤めるコンパ担当         私
92  鬼軍曹と渾名頂戴           不夜
ナウ
93 愛読書ライトノベルのあたしなのに    彼郎女
94  ブックカバーが並ぶ本棚        ひろ(東京文献)
95 良く言へばデジャヴュとなれど物忘れ   栞
96  チワワを連れて黙礼の人        ふない
97 下萌えの道に足音やはらかく     春 不夜
98  卒業の娘の袴なびかせ       春 リュウ
99 校庭をなべて被へり花吹雪     春花 リュウ
99 結い上げた髪にはらりと花の片   春花 彼郎女
99 感極み花の命も長からむ      春花 栞
100 高嶺はいまだ残る白雪       春 私 (99全句に)

※同じ番号の句は、ことわりがなければ、最後の句に次の番号の句が続いたことを示す。

写真提供はフォト蔵さん

2010年4月15日木曜日

子規も虚子も俳諧は短歌を連ねるということが分かっていた

#jrenga 連歌 俳諧 連句

俳諧の発句(俳句)のみ文学性を肯定し、俳諧の連句の文学性を否定した子規も、その弟子で俳諧の連句を肯定した虚子も、俳諧は俳諧之連歌であり短歌を連ねるものであることを分かっていた。

○子規『芭蕉雑談』—新聞『日本』明治二十六年十二月二十二日

 ある人曰く、俳諧の正味は俳諧連歌に在り、発句は則ち其の一小部分のみ。故に芭蕉を論ずるは発句に於てせずして連俳に於てせざるべからず。芭蕉も亦自ら発句を以て誇らず、連俳を以て誇りしに非ずやと。

答へて曰く、発句は文学なり、連俳は文学に非ず、故に論ぜざるのみ。連俳固より文学の分子を有せざるに非ずといへども、文学以外の分子をも併有するなり。而して其の文学の分子のみを論ぜんには発句を以て足れりとなす。

ある人又曰く、文学以外の分子とは何ぞ。

答へて曰く、連俳に貴ぶ所は変化なり。変化は則ち文学以外の分子なり。蓋し此変化なる者は終始一貫せる秩序と統一との間に変化する者に非ずして、全く前後相串聯せざる急遽倏忽の変化なればなり。例へば歌仙行は三十六首の俳諧歌を並べたると異ならずして、唯々両首の間に同一の上半若しくは下半句を有するのみ。


○虚子「連句論」『ホトトギス』明治三七年九月

 余が今爰に連句といふのは所謂俳諧連歌の事である。昔の歌の上の句に下の句をつけ、下の句に上の句を附ける、即ち連歌の起原ともいふべきものを聯句といふて居る本もあるやうであるが、其も一般に通用する用語では無いやうぢゃ。

俳諧といへば俳諧連歌の事である事はいふ迄も無いが、此明治の俳運復興以来文学者仲間には俳諧連歌は殆ど棄てゝ顧みられ無いで、同時に発句が俳句と呼ばるゝやうになつて、俳諧といふ二字が殆ど俳句といふ事と紛らはしくなつてしまつた。其処で所謂俳諧の発句といふべきを略して俳句といふが如く、俳諧の連句といふべきを略して連句といふ方が俳句に対して裁然と区画が立つやうに覚えられる。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=13126368&comm_id=1303056&page=all No.38 No.40

2010年4月10日土曜日

杭全神社の連歌作法・式目


現代の日本で正風連歌を守っている所は本当に数えるほどしかない。その一つ大阪平野地区の杭全神社 (くまたじんじゃ)の作法・式目 である。前にちょっと投句していた縁でここに勝手に掲載させていただく。実に単純明快である。

平野連歌八則 宗匠 浜千代清

一、法楽の連歌を宗とすること
一、歌仙、世吉のほか百韻もありたきこと
一、雅馴なる表現を基本とし漢語、外来語等もこれによって取捨あるべきこと
一、脇体言留、第三て留のこと
一、花は折に一、但し名残折は揚句の前を定座とす 
  月は面に一、名残折裏はなくともよし
一、同語五句去り、同季七句去りのこと
一、のの字、体言止の連続に配慮あるべきこと
一、春、秋、恋は三句を基準とすること 但し恋は二句にてもよし
                                 以上

写真提供はフォト蔵さん

2010年4月9日金曜日

連歌で短歌


   おのが身の虚空に同ず只管打座ふと気がつけば膝に猫寝る     

75 おのが身の虚空に同ず只管打座 私
76  ふと気がつけば膝に猫寝る  〃 座・ツイッター連歌百韻『花曇る』

国境無き猫もふ団:写真の肉球が証明。
 

2010年4月7日水曜日

完了!連歌新式追加并新式今案等の翻刻・読解(16)和漢篇―2



底本:京都大学附属図書館所蔵 平松文庫『連歌新式追加并新式今案』 [ ]は訳者注。

 和漢篇[つづき]

一 隔三句之物 可隔二句
 [三句隔つものは二句隔つべし]

  嫌打越之物 同連歌式目
 [打越を嫌うものは連歌式目に同じ]

一 山類 水辺 居所等 不可有躰用之分別事
 [山類、水辺、居所など体用の分別は有るべからずこと]

一 万物異名就本躰可定其季但可為本躰事
 [万物の異名は本体に就いて其の季を定むべし 但し本体と為すべきこと]

 假令金鳥は日 銀竹は雨 金衣は鴬 鳥衣は燕 霜蹄は馬 鯨は鐘(如此之類)可依連哥異名物之例
[けりょう、鳥は日 銀竹は雨 金衣は鴬 鳥衣は燕 霜蹄は馬 鯨は鐘(此の如きの類)異名物の例は連歌に依るべし]

[以下の聯句中可定其季等字之事の部分を連歌初学抄に含めた本がある。]

一 聯句中可定其季等字之事
 [聯句中、其の季等を定むべき字のこと]

 暖芳(花の意あり) 紅(同じ)淑気 焼痕 踏青 芳草(此の如きの類は春なり) 新緑 霖(雨) 暑 炎熱 草木の茂字 清和(四月此の如きの類は夏なり) 初涼(新涼同じ) 冷爽 金気 黄落(此の如きの類は秋なり) 枯(草木の心なり 拾枯 薪なり) 臘 探梅 春信 守歳(此の如きの類は冬なり) 信(書信) 客(賓客にあらぬ客) 一葉身(舟) 帰字 漂泊(此の如きの類は旅なり) 錦字 御溝葉 私語(此の如きの類は戀なり) 人名(人倫と為すべし 姓は人倫と為すべからず 但し事に依るべし) 名利塵(世の意) 浮跡 出処(此の如きの類は述懐) 一絲(釣絲の意 水邊と為すべし) 禅定 錫(此の如きの類は釋教なり)

 応安以来新式之今案之追加条々並近代用捨篇目等 依多其端 末学常迷之商量而今彼是勒以為一冊 但猶未一決之事 或暫漏之或先載之以待後君子志同者従之亦宜乎

[応安以来新式の今案の追加の条々並びに近代の用捨の篇目等は、其の端の多さに依り、末学は常にこれに迷う 今よりあれこれ商量(条件・状況を判断)して勒し(抑えとどめ)以て一冊と為す 但しなお未だ一決せぬ事 或いは暫くこれを漏らす 或いは先ずはこれを載せ以て後の君子、志を同じくする者を待つ、これまた宜しや]

  文亀辛酉林鐘上澣  肖柏

 [林鐘 りんしょう:陰暦六月]
 [上澣 じょうかん:月の上旬]
   
右之八冊法橋紹巴左以自書之本加校合本
[右の八冊は、法橋(ほうきょう)紹巴自書の本を以て本に校合を加え左(たすく)] 
   
[里村紹巴 さとむらじょうは:1525-1602 連歌師の第一人者 貞徳の師]




感想:
種々異本がある。戦国時代の連歌師の第一人者、里村紹巴がかかわっているとの文が最後にあり、筋の良い本だと思われる(思いたい)。紹巴の弟子に松永貞徳がおり一般の通説では彼から俳諧が創始されたとされる。連歌師の宗祇をはじめ連歌師兼俳諧師の貞徳、俳諧師の芭蕉が皆この連歌新式(応安新式+追加変更)を見て連歌・俳諧を仕切っていたと思うと身が引き締まる。

連歌で使ってよい言葉は当初雅語・歌語だけであった。二条良基らによって歴史的には早々とその禁が解かれたが、実際は長いことその禁は守られたようだ。連歌新式は去り嫌い等を具体的な言葉(インスタンス)によって記述しているため煩雑な印象を受ける。限られた数の雅語・歌語だからできた記述法であろう。

だが、最後まで読むとその読みにくさを忘れ、これだけ?と誰もが思うことだろう。この記述法では俗語・漢語・仏語もよしとする俳諧ではさらに煩雑の度を極めること必定である。そこで貞門以後(maybe)の俳諧では分類の型の言葉(タイプ)レベルで去り嫌い等の式目は説かれることになる。

連歌新式追加并新式今案等の翻刻・読解(15)和漢篇―1


底本:京都大学附属図書館所蔵 平松文庫『連歌新式追加并新式今案』 [ ]は訳者注。

  新式今案奥書
右応安新式者此道之亀鏡也 永不可違背 但未定之事 近日相論之題目等 或以愚意料簡[之]又訪宗砌法師意見粗所記置也 此外漏脱条々及満座諍論之 自他加斟酌後日訪先達可決是非者也

[右、応安新式は此の道の亀鏡なり 永く違背するべからず 但し未定の事は近日題目等これを相い論じ 或は愚意を以てこれを料簡し 又宗砌法師の意見を訪ね粗く記し置く所なり 此の外、漏脱の条々は満座これを諍論に及び自他斟酌を加え後日先達を訪ね是非を決すべきものなり] 
  
                後常恩寺殿  御判
  享徳元年 壬申 十一月日  [一条兼良]

初学抄 後常恩寺殿御作 賦物之事 異本在之

[この写本では、一条兼良作の連歌初学抄の部分は異本としてカットされている。]


 和漢篇
一 大概法可用連歌式目事
  [大概、法は連歌の式目を用うべきこと]

一 和漢共以五句為限 但至漢対句 可及六句事
  [和漢とも五句を以て限りと為す 但し漢の対句に至すは六句に及ぶべきこと]

一 景物草木等員数 和漢可通用事 但雨嵐昔古暁老等之類 和漢各可用之
  [景物草木などの員数は和漢に通用すべきこと 但し雨嵐昔古暁老などの
   類は和漢各これを用うべし]

一 同季可隔七句
  [同季は七句隔つべし] 

  同字並戀 述懐等可隔五句(同連歌式)
  [同字ならびに恋、述懐等は五句隔つべし 連歌式と同じ]

  自餘隔七句之物 可隔五句(月与月之類也)
  [自余(じよ:そのほか)七句隔つものは五句隔つべし(月と月の類なり)]

  隔五句之物 可隔三句(山類与山類 水邊与水邊 木与木之類 日与日 
  風与風猶同字嫌物也) 
  [五句隔つものは三句隔つべし(山類と山類、水辺と水辺、木と木の類
   日と日、風と風なお同字を嫌うものなり]

  隔三句之物 可隔二句
  [三句隔つものは二句隔つべし]

連歌新式追加并新式今案等の翻刻・読解(14)句数・躰用事




底本:京都大学附属図書館所蔵 平松文庫『連歌新式追加并新式今案』
[ ]は訳者注。

一、句数
 春 秋 戀(以上五句 春秋の句は三句に至らずばこれを用いず 戀句は只一句にて止める事無念云々) 夏 冬 旅 神祇 釋教 述懐(懐旧無常は此の内にあり) 山類 水邊 居所(以上三句これを連ねる)

一、躰用事
 岡 嶺 洞 尾上 麓 坂 そば[岨]谷 嶋(水邊にもこれを嫌う) 山の関(以上山の躰なり) 梯 瀧 杣木 炭竈(以上此の如きの類は山の用なり 他これに准ず)

 海 浦 江 湊 堤 渚 嶋 沖 磯 干潟 岸 汀 沼 川 池 泉 洲(以上水邊の躰なり) 波 水 氷 塩 氷室(以上此の如きは水邊の用なり) 清水がもとなどいひても水邊の用なり 

 浮木 船 流 塩焼 塩屋 水鳥類 蛙 千鳥 杜若 菖蒲 蘆 蓮 真薦 海松(夏なり) 和布(若和布は春なり 和布刈は夏なり) 藻塩草 萍 海士 閼伽結 魚 網 釣垂 手洗水 下樋(以上は躰用の外なり 新式の詞相違あり なおこれを用捨す)

 軒 床 里 窓 門 庵 戸 樞[とぼそ] 甍 壁 隣 墻[かき](以上は居所に躰なり) 庭 外面(用なり)

 人 我 身 友 父 母 誰 関守(此の如きの類は人倫なり) 主 独 媒(前に同じ) 月をあるじ 花をあるじ そうづ 山姫 木玉 ふたり(以上は人倫にあらず) 花のあるじ 月の友(花をあるじ月を友といふにはかはるべし 句躰に依り人倫と為すべしや)

右大概准建治式作之 但当世好士所用来多不及取舎 只為止当座之諍論 粗所定如件

[右、大概は建治式に準じてこれを作る 但し当世の好士の用い来る所は取捨に及ばぬもの多し ただ当座の諍論を止めて粗く定めたるはくだんの如し]

   応安五年十二月 日    後普光園摂政殿  御判
                [二条良基]

 To Be Continued. 

2010年4月6日火曜日

連歌新式追加并新式今案等の翻刻・読解(13)可分別物―2




















底本:京都大学附属図書館所蔵 平松文庫『連歌新式追加并新式今案』 [ ]は訳者注。

一、可分別物
 [ふんべつ(ぶんべつ)すべきもの:今まで述べてきた式目(分類、四季、去り嫌い)の原則を杓子定規には適用できない言葉の具体例をその分類とともに列挙する。]

 夜寒 身にしむ(以上秋なり) 淡雪 涙の時雨 庭火 木葉衣 紅葉散て物をそむる 北祭(賀茂臨時祭なり) 豊明節會(夜分にあらず) 小忌衣 日蔭絲(共に神祇) 年内立春(以上冬なり) 椿 柏 蓬 葎 浅茅 忘草 蜻蛉 鴎 鳰(同浮巣) 松緑(以上雑なり 緑立つ若緑は春なり) 塩屋 宮居 寺 家を出る(釈教なり) 里神楽(以上居所にあらず) 都 御階 百敷 雲上 九重(以上居所にあらず名所にあらず) 簾(居所の用なり) 床 御座(以上居所なり) 草枕 柴戸 松門 杉窓 菅笠 篠庵 草庵 浮木 流木 爪木 柴取 絵に書く草木(其の物に依り其の季有るべし) 催馬楽等の名(絵に准ずべし) 衣裳の色 花木(植物と為すべからず。但し其の色に依り其の季有るべし)

 木をきる しをり あし鴨 蘆田鶴 竹宮(名所に為す 以上植物にあらず) 軒菖蒲 末松山 篠枕 稲筵 苔筵 蓬宿 葎宿 夕顔宿 草莚 草を刈(以上植物なり) 水鶏(水邊なり) 螢 蚊遣火 筵 枕 床(ゆかは昼なり) 又寝 神楽 夕闇 いさり(以上夜分なり) 浮ね鳥 心の月(釋教なり) 鶉の床 心のやみ 其暁 夢の世 常灯 明はてて 明過て 朝ぼらけ 三日月の出 有明の入 鐘のかすむ(以上夜分にあらず) 焼火(影と云ても猶夜分と為すべからず) 夕月夜(夜分にあらず) 宵(夜分にあらず) 夕に日晩[ひぐらし] 時雨に時の字 名所の春日に春字日字 橘に花 雷に神字(これを嫌わずといえども然るべからず 打越にこれを嫌う) 槿に朝字(但し其の意不庶幾[不切望]うんぬん)

 日に昼 稲妻に月日(以上これを嫌わず) 下紐 ひれ(衣裳なり) 帯 冠 沓 衣々(衣裳にあらず 但し衣に打越を嫌うべきや云々) 佐保姫の衣(衣類にあらず) 平秋の句に戀の秋の句付て又平秋の句(これを付けるべからず 他これに准ず) 朽木と云う句に杣と付て又杣の名所これを付けるべからず 生田と云う句に森と付て又杜の名所隠題にもこれを付けるべからず 槙には木の字を憚るべからず 真木柱 真木戸には木の字五句これを嫌うべし(良木の故なり) 躑躅 卯の花(木なり) 藤(草なり) 海士 小舟 泊瀬山(舟字に付て水邊にこれを嫌うべし)

 棹姫(春なり) 立田姫(秋なり) 山姫(雑なり 以上神祇にあらず) 無常 述懐 懐旧(引合て三句これを用うべし) 述懐 釈教の詞これを一句と為す時は釋教[方]に付けるべきことなりてには字相合を[これを]付けるべからず 東遊 求子(神祇なり) 野の宮(前に同じ) 神楽の名の蛬[きりぎりす](絵に准ず 但し秋季にはこれを用いるべからず 神の方を本と為すべし)

 桜鯛 桜貝(名に付て春と為すべきか云々) 桜人 桜田(植物と為すべし) 菜摘(春と為す) 野遊(春にあらず) 詞の花(前に同じ) あたゝかなる(日の暖なるは春と為すべし云々) 水のぬるむ(春なり) かすむると云う詞(霞字にあらず 但し詞のつゞきやうにて聳物を嫌うべきか霞の心に用うべきは春の季をもつべき[な]り) 若葉(春夏両説有り 花を加えれば春と為す 然かれども夏の季は大切の間夏と為すべし云々) ねらひがり(獣の事なり 夏なり) 紅葉橋(大河と為す事の間植物に為すべからず 句に依り二句隔つべきなり)

 初塩 色鳥(秋なり) 思草(植物なり 秋と為すべきなり) 戀草(植物にあらず) 戀摺(前に同じ) 頭雪 眉の霜(降物にあらず 冬にあらず) 夜の更る 露ふけて(時分にあらず) 御祓にはらふ 蛙に河字 つれなきに無の字 いさりに舟 釣に舟海士等(これを嫌わず) 夕ま暮(間の字真の字共にこれを嫌わず) 山の滴 軒のしづく(降物にこれを嫌わず) 老に若を嫌う事(其の謂れは無きや 若年壮年等の次第なり 親に子弓に矢を嫌う[類]にはかはるべし) 深きに浅き 遠きに近き(この「き」文字嫌う事此の類これ多し 然るべからず付句にもこれを嫌うべし) 何字に幾字(付句にこれを嫌う 打越にこれを嫌わず)

 さ夜 さをじか等に小舟 小篠の小字(前に同じ) 鷹に狩(付句にこれを嫌わず) 民のかまど(居所にこれを嫌わず) 夜の明に戸をあくる(付句事にこれを嫌う) 横川(水邊にあらず) 蓬杣(山類にあらず) 山がつ(山類にあらず 山字に五句これを嫌うべし) 山鳥(前に同じ) すそ野(山類なくてもす?べし) 龍(獣類に用いたる事もあり 然かれども別種の類たるべし 龍は吾知るあたわず 先聖の語なり) 鷺(水邊にあらず) 菅(前に同じ) 舟(海路渡舟は旅なり 句躰に依り旅と為すべからずなり)

 さか月の光りなど月によそへたらば月に二句これを嫌うべし 然れども秋と為すべし 鞠の庭(庭の心ならば一の外如何) 國名と國の名(三句隔つべし) 國名と名所(打越を嫌うべし) 國の海(名所なり) 名神(名所にあらず) あづまに越路等(打越を嫌うべきか) もろこし過て 唐國とはあるべし

 To Be Continued. 

2010年4月5日月曜日

連歌新式追加并新式今案等の翻刻・読解(12)可分別物―1















底本:京都大学附属図書館所蔵 平松文庫『連歌新式追加并新式今案』 [ ]は訳者注。



一、可分別物
  [ふんべつ(ぶんべつ)すべきもの:今まで述べてきた式目(主に分類)の原則を杓子定規には適用できない言葉の具体例をその分類とともに列挙する。]

 花の波 花の瀧 花の雲 松風の雨 木の葉の雨 河音の雨 月の雪(夏の詞入ては降物と為すべからず)月の霜(前に同じ)桜戸 木葉衣(この如きの類は両方にこれを嫌うべし) 花の雪(植物にこれを嫌うべし 降物にこれを嫌うべからず)涙の雨(降物にこれを嫌うべからず) 波の花(水邊に可嫌之 植物に不可嫌之)波の雪(冬也 両方に嫌之)袖の露 涙の露 涙の時雨

  水邊躰用事
  [この見出しはふさわしくないの無視すべし。]

 假令[けりょう:たとえば]波として浦と付て、又水塩などはすべからず、蘆・水鳥・舟・橋などはすべし、為各別物之故也 須磨 明石(可為水邊 上野岡非水邊 他准之) 難波 志賀(非水邊他准之) 杜若 菖蒲 芦 蓮 薦 閼伽結 懸桶 氷室 手洗水(已上水邊也)都鳥(同前)蓬屋 霞細[網]小田返 布曝 硯水 涙川(為名所者可嫌水邊也)月の氷 袖行水 たるひ 軒の玉水 苗代 早苗(已上非水邊)

 山にある関は山に嫌之 浦にある関は浦に可嫌之 岩橋 薪 爪木 猿 瀧 津 瀬(已上非山類)宇治 川嶋(非山類 凡そ川嶋同之)泊瀬寺(山に在る関に准ず 山類に為す 餘は之に准ず)清見寺(浦に在る関に准ず 水邊と為す)難波寺(水邊に非ず)木曽路 鈴鹿路(小野芳野奥に准ず 山類を遁るべし)鶴林(植物と為すべし)鷲嶺(山類躰と為すべし)
 
 杣人 炭焼 雪山(山類と為すべし)室八嶋(山類水邊に之を嫌わず)冨士 浅間 葛城(などばかりは山類の躰用の外なるべし)松嶋(山類に之を用い来ず)田蓑嶋 三嶋(山類と為すべからず)戀山(句に依り名所に為すべからず)遅桜 松花 萩焼原 鳥巣(春なり 水鳥の巣は夏なり 鶴の巣は雑なり)雉子(きじと云ても猶春なり 但し狩場の雉は冬と為すべきなり)

 氷のひま 荒玉の年 春日祭(両度の祭、初めを以て正と為す)南祭(石清水臨時の祭なり)縣召[あがためし] あらればしり 須磨の御祓(春と為すべきなり)心の花 白尾鷹 継尾鷹(以上春なり)志賀山越(これを春と為す説有り しかれども近来春に非ず)神楽 榊取 杜若 牡丹(杜若牡丹は両説に哥題といえども景物に依り少夏に之を入る)

 毛をかふる鷹並鳥屋鷹(以上夏なり)平野祭(夏なり)鴬(時雨にむすびては夏なり)鮎(夏なり 若鮎は春なり さびあゆは秋なり)須磨のながめ(夏なり 但し其の儀あたらずば夏と為すべからず)清水(雑なり むすぶと云ては夏なり ただ水をむすぶは雑なり)

 日晩 稲妻 鳩吹 楸 裏枯 蔦 芭蕉 忍草 穂屋つくる 初鳥狩 初鷹狩(鳥屋前に同じ)小鷹がり 鶉衣(非動物) 萱 枯野の露 草枯に花残る 初嵐 露 霜 露時雨 つかさめし 相撲 放生(神祇なり)星月夜(月と云字に五句へだつべし)秋去衣(七夕の具なり)願絲(同上)鵙[もず]草茎(植物なり)千鳥(雁にむすび入ては秋なり)扇をゝく(秋と為す事句に依るべきなり)冷(物に依り秋の由と為すべからず)

2010年4月3日土曜日

連歌新式追加并新式今案等の翻刻・読解(11)可隔三・五・七句物




底本:京都大学附属図書館所蔵 平松文庫『連歌新式追加并新式今案』http://is.gd/aOqn8 ( )は原文小文字、一部のみ。[ ]は訳者注。

一、可隔三句物
  [三句へだつべきもの]

 月 日 星(如此光物) 雨 露 霜 霰(如此降物) 霞 霧 雲 煙(如此聳物) 木に草 虫に鳥 鳥に獣 名所と名所 七夕に月日

一、可隔五句物
 同字 日と日 風と風 雲と雲 煙と煙 野と野 山と山 浦と浦 波と波 水と水 道と道 夜と夜 木と木 草と草 鳥と鳥 獣と獣 虫と虫 戀と戀 旅と旅 水邊と水邊 居所と居所 暮と暮 述懐と述懐 神祇と神祇 釋教と釋教 袖と袖 衣裳と衣裳 山と山之名所 浦と浦の名所 原 朝月日 夕月日

一、可隔七句物
 同季 月と月 松と松 竹と竹 田と田 衣と衣 夢と夢 涙と泪 船と船 船[舟]字 衣字 松字 田字 竹字
 
 To Be Continued. 

連歌新式追加并新式今案等の翻刻・読解(10)可嫌打越物―2




底本:京都大学附属図書館所蔵 平松文庫『連歌新式追加并新式今案』http://is.gd/aOqn8 ( )は原文小文字、一部のみ。[ ]は訳者注。中点・は列挙を示す。

一、可嫌打越物
  (打越を嫌うべきもの)

 野分に野字・分字 木枯に木の字 青に緑 家風に嵐 木曽に木の字 野邊・山邊にほとり 天に空 淡路に道 晨明に有字 入逢に入字・逢字 荻の聲・嘆を木によそへたらん 植物に可嫌打越 齢のみそぢ・よそぢ等に年の字 魂に玉の字 ながめに見 形見に見 努々と云詞 物思に物字・思字 憂に懶 憂につらき・かなしき なごりに名の字・残字 思やるに思 すくなきに無の字 はかなきに無字 

 知に物のしるし しるべ・あらましに有字 いづく・いつ・なに・なぞ・などといかに・いづれ なりとなり なれとなれ なるとなる なり・なれ・なる(付句嫌之打越不嫌之成字には不嫌之) たどるに尋 玉章に詞 哥に言の葉 敷嶋の道に哥 偽に真 生死に命 齢に老 翁に老 親に子(以上付句共可嫌之)文字余事

 蝉と日晩[ひぐらし]昔と古 楓と紅葉 世と浮世・世中 前世と後生 捨世・捨身等の捨字 東路と東屋 寝覚と閨・ぬると云詞 眠に寝字 冴と寒 捨世に桑門の世捨人 戀世と述懐・釋教の世 一文字 三字假名事 御字 比[頃]字 老と白髪 筆跡と鳥跡 跡字 岩と石 真砂に石・岩 篠としの 竹とすゞ 神字に神楽 九重と都 都と大宮 
 
 To Be Continued. 

2010年4月2日金曜日

連歌新式追加并新式今案等の翻刻・読解(9)可嫌打越物―1




底本:京都大学附属図書館所蔵 平松文庫『連歌新式追加并新式今案』http://is.gd/aOqn8 ( )は原文小文字、一部のみ。[ ]は訳者注。中点・は列挙を示す。

一、可嫌打越物
  (打越を嫌うべきもの)

[居所] 岩屋・関戸・隠家・栖・すまゐ(以上の居所に嫌之)居所に田庵 居所に村霧・籬(同前)・濱庇 皇居の古郷に居所  
[天象] 霧に降物 霰に朧 松・竹・草・水などの煙に聳物 雲上人・雲居・庭等に胸の煙・思ひの烟(同前)あられはしりに降物 時分と時分 夕暮と曙の類 月に日・次の日 日に月・次の月
 
[植物]種まく野の色付・冬枯の野山等に植物・埋木(同前)・山色・野色 植物[うえもの]に草かり 秣[まぐさ]・園・藪・秋田・竹に草木・心の松・心の杉 苗代・下もえ・冬枯の芦屋・蘆火等に水邊・浮島原
[人倫]人倫と人倫 老に昔 砧に衣・裳の類 
[生類]生類に贄[いけにえ]・放生[ほうじょう:生き物を逃がす]・驛・馬のはなむけ(同前)
[名所]津の國のなにはの事・山しろのとはぬなど・忍のうらみわびなど云句以上打越嫌之
 
 雲にくもる 温と日・長閑 涼に冷 寒に冷 身にしむに寒 古に故郷 梢に末 松に子日 音に聲・響 顧に見 夕に春秋の暮 樵夫に木の字 おも影にかげ 影に陰 遠に遥 袖ぬるるに涙 涙に袖の露 泣に涙 別に帰 別にきぬぎぬ 思に火 ぬとぬと すとすと・過去のし文字 夢にうつゝ ね覚に夢 明に曙 今日に昨日・明日 弓に矢 簑に笠 夕立に暮の字 明暮に夕の字 朝夕に暮の字 しののめにあした たそがれに夕の字 遠にをち 窓に戸 ことわざに詞・いふわざ くらきに暮 光陰によるひる・月日

 To Be Continued. 

2010年4月1日木曜日

上句下句

『連歌辞典』を徒然に眺めていて、ふと上句・下句の項目に目が止まった。そうなのだ、この式目以前の基本中の基本の原理を解っていない現代連句人が意外に多いのだ。

上句下句(かみのくしものく):和歌と同様に、上句とは五七五の句、下句は七七の句をいい、連歌では長句・短句ともいう。(『連歌辞典』)

下句起こし(しものくおこし):下句から詠みかけること。(『連歌辞典』)

◯俳諧は上下取り合わせて歌一首と心得べし。(支考『芭蕉翁二十五箇条』)

しかるに、連歌・俳諧・連句を学んできた過程で出会った珍説。
 連句では上句・下句という概念はない。
 連句は二句で短歌になる必要はない。
 連句は連歌ではない。だから名前が違うのだ。連句は連詩だ。

こういう考えで句を連ねている会派は多いのではないか。私がたまたま入った二つのネット会もそうだった。連歌・俳諧・連句と名前は違うが、上句に下句を付け、その下句に上句を付け、短歌となるように詠む。この基本原理は変わらない。

◯俳諧に迷ひて俳諧の連歌といふ事を忘れたり。... 俳諧の連歌の名目をからず、はいかい鉄砲となりとも乱声となりとも、一家の風を立らるべし。(『去来抄』)

これに違反するものは、芭蕉在世時にもいたようで、去来は、はいかい鉄砲、乱声(らんじょう)と呼んだ。今はさしずめ、連詩とでも呼ぶのか。

四道九品

宗牧『四道九品』 in 『中世の文学 連歌論集四』三弥井書店

「四道とは、さかふ 引はなつ 
 したがふ そふ。
                (太田氏蔵本)(伊地知氏蔵本)
  音する水は氷とけけり
 雪埋む深谷の小川春寒て       添     逆

  時のまにいたるとぞきく西の空
 唐土までの春のはつかぜ       随     放      

  たもとにかすむありあけの月
 鳥のこゑ花のにほひに山こえて    放     添 

  鳴とりもあはれとやみむ谷の庵
 夕かぜあらき花のしたかげ 」    逆     随

さかふは逆ふ。引はなつは引き放つ。したがふは随ふ。そふは添ふであるが、上の四組の付合いの付け方が、逆・放・随・添のどれにあたるのかは蔵本で違う。話の展開の順番としては、添・随・放・逆が論理的であろうが、宗牧は逆から展開し、その例句がその順ではないというミスを犯したのかも知れない。私は太田氏蔵本の見方が正しいように思われる。