環七の梅島から日光街道(国道4号)に入る。草加から春日部まで芭蕉の旅に想いを馳せながらたどる。「奥の細道」*で芭蕉は草加宿に泊まったのかと思わせるような記述を残しているが、曽良の随行日記では春日部に泊まったと明記されている。どの宿に泊まったのかまでは記されていない。名乗りを挙げている寺が三つあるらしい。
*奥の細道【ことし元禄二とせにや、奥羽長途の行脚、只かりそめに思ひたちて、呉天に白髪の恨を重ぬといへ共、耳にふれていまだめに見ぬさかひ、若生て帰らばと、定なき頼の末をかけ、其日漸早加と云宿にたどり着にけり。痩骨の肩にかゝれる物、先くるしむ。只身すがらにと出立侍を、帋子一衣は夜の防ぎ、ゆかた雨具墨筆のたぐひ、あるはさりがたき餞などしたるは、さすがに打捨がたくて、路次の煩となれるこそわりなけれ。】
草加
草加松原
高瀬煎餅店でおみやげに小袋の四種の煎餅を買う。
春日部
東陽寺
寺の由来 by 東京絵の具さん
山門前に「伝芭蕉宿泊の寺」の碑
本堂の階段脇に曽良の随行日記の部分「廿七日夜カスカベニ泊ル 江戸ヨリ九里余」が書かれた碑がある。
砂場清三郎で昼食。なんでも屋になってはいるが二八の手打ち蕎麦にはこだわっている感じがする。
小渕山観音院
寺の由来 by 東京絵の具さん
芭蕉句碑「毛のいへば唇寒し秋の風」 寺男さんに句碑はどこにあるんですかと聞いたら、あそこってぶっきらぼうな答えが返ってきた。たしかにもの言えば唇寒し、みんなやられているらしいw
最勝院
寺の由来 by 東京絵の具さん
古利根川
粕壁の古利根川のさゝら波おもへば遠き奥の細みち 春蘭
150日にわたるという奥の細道の第1日目はここまで。来た道を引き返す前に畔の埼玉銘菓むら山で古利根まんじゅうとかすかべ餅を買った。
写真はすべて借用。ご容赦。
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