2012年12月4日火曜日

蕉門の前句の意を転ずる妙法

見立・趣向・句作の定法十三条  所収:原田曲齋『七部婆心録』


俳諧の連歌において付句は、以下の三つのプロセスによって行われる。
(1)見立:前句の意を転ずる案じ方で前句をどういう場面と見立てるか、
決める。
(2)趣向:初念の見立に対し付句をいかなる場、人、体、用、情、趣意
の趣向(付けの物柄)とするか、前句に対しいかなる姿勢、重ー起
情、中ー会釈、軽ー遁句で付けるか、起情、会釈は曲節ありなしの
どちらでいくか決める。
(3)句作:見立と趣向を掛け合わせ、古語、俤取り、余情などを加味し 
て一句を仕立てる。
この三つを備えない句は大方、前句の註(説明)か一向に付かない句で
ある。

見立の五条
一、前句の上中下に言葉を添えて魂を替える法。

一、に留て留の句を見替えるには、に、ての後ろに言葉を添えること
定法なり。

一、何に対してかく言うと前句を咎める案じ方あり。

一、前句を虚(嘘)に言う言葉と見て、付句にその続きの戯言を付ける。
付句例 鼓手向くる弁慶の宮、麻刈といふ歌の集む

一、即体 其用や其情の句が並んだとき体ある物に見立てる。

趣向の五条
一、准(なぞらえ)付 人情をものに譬えた前句には其のものに対
して付ける。

一、逆付(後付) 前句より先に起こるべき事象を後から付ける。

巾に木槿を挟む琵琶打
牛の跡弔ふ草の夕暮に

一、裏付 前句の言葉の裏の意味を読み付ける。

道のべに立ち暮らしたる禰宜が麻
楽する頃と思ふ年延

一、それにつけてもの用 前句の内容であるが、それにつけてもと
案じる。

一、空撓め 前句とは何の付け筋もなくふと思い浮かんだ姿をもっ
て直感的に句を付ける。それでいながら無心所着(短歌として意
味不明)ではない。蕉門の秘法・妙法とも言われるが芭蕉自身も
直弟子にも具体的に説明し得ない絶妙の術と言う。支考は証句と
して以下を挙げたが、七部集を繙き付け筋はわからないが意味は
通じる付句を探して、自分で判断し学ぶしかないのかも知れない。

障子に影の夕日ちらつく
婿殿はどれぞと老の目を拭ひ

句作の三条
一、相係り(前句の見立に半ば係りの言葉があれば付句も前句に
半ば懸けて作る。)、係付(前句を平生ならず見立てるとき
は、見立ての中の言葉で前句にもたれるように作る。) 結
付(前句に情か用の言葉がありその意を転ずるときは、付句
は其場、其体をもって作る。)

一、不用の用 後句を付けやすくするために付句には不用な言葉を
付加する。

一、執中の法 前句の余情から中心となる一二三字の単語を連想し意
味的には直接関係のない句を付ける。

糊強き袴に秋を打うらみ
鬢の白髪を今朝見付けたり    老を連想

手紙を持ちて人の名を問ふ
本膳が出ればおのおのかしこまり   振舞を連想    

此の秋も門の板橋崩れけり
赦免にもれて独り見る月      左遷を連想

感想:
曲齋の『貞享式海印録』は、芭蕉俳諧の作法がどういうものだったか窺う
には最適な書である。芭蕉門には前句の意を転ずる妙法なるものがあるか
ら古式のような式目は不用なのだという記述が含まれている。

その妙法とは匂付け(余情付け)、執中の法、空撓め、見立て替えかと私
は見当を付けたが自信はない。評釈が嫌いできちんと読んだことがなかっ
た芭蕉七部集の評釈本『七部婆心録』の註釈の仕方を解説した中に上述の
コンパクトな記述を発見(^^)した。曲齋はこれを基に『附句見立鏡』という
書を構想していたらしい。実際に発刊したのかは今の所不明である。

曲齋が考える妙法には、私が見当を付けた四項目は含まれていたがそれば
かりではなかった。また、すべての付けは、前句の見立てなのだという考
えに立っており、連句は見立て替え(曲解)の文芸なのだという説の論拠
になり得そうである。難解で正しく咀嚼できたかは自信がない。今まで見
立、趣向、句作を一緒くたにしてきた自身の付け転じに光明となることを
祈る。

上述を踏まえて平易な短い言葉で芭蕉流の付け転じ方を縮めて言えば以下
のようになるだろうか。

【前句の言外に言ひ残したるもの・余情・曲解から見立て、趣向は遠く、
句作は近く(短歌になるように)付けるべし。】

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