2010年7月2日金曜日

俳諧の独立宣言だった守武千句の跋

#jrenga 連歌 俳諧 連句

守武千句

  跋

【右誹諧は、そのかみどくぎん千句立願ありけれど、うちまぎれ、又は成がたく過しけるも、そらおそろしく、いかゞはせんの余りに、鬮(くじ)をとるべきに、一ならばもとより、二ならばはいかいのあらましごとにて、哀れ二をりよと念じければ、二をりぬ。】

 解釈:(右の俳諧の経緯を述べる。以前、独吟千句を立願したことはあったが、日々うち紛れ、また出来そうもないと過してきた。空恐ろしくもあり、どうしようか思いあまって神意をうかがった。一なら成就しない、二なら俳諧の念願成就するとして、どうか二が下るようにと念じたら二が下った。)

【有がたさ限なく、大かた千句は三日なれば、これわづかに二日にもたらざらんに、おもひの外に永びき、夜はね覚がちにもよほし、かのえさるには二百いんにて、五日につゞりぬ。】

 解釈:(成就するであろうと神意が下りその有り難さは限りない。連歌千句は大方は三日の興行である。俳諧なら二日で十分だろうと思ったが、思いのほかに長引いて庚申の日は二百韻、全部で五日かかった。)

【其おりふしにや有けん、周桂かたへ、「此道の式目いまだみず、都にはいかん」と、大かたのむねたづねしかば、「かゝる式目は、予こそさだむべけれ。定めよ。其を用ふべきの」ざれたる返事くだりあはせ、さらば此度斗(ばかり)心にまかせんと、所にいひならはせる俗言、わたくしびれたる心詞、一向はうほつ、うつゝなき事のみもなれど、あまたの中なれば、うすくこく打まぜけり。】

 解釈:(その折だったか、周桂に「俳諧の式目をまだ見ないが、京ではどうか」と大方の状況を尋ねたところ、「そういう式目は、あなた(守武)が定めるべきだ。定めなさい。そうしたらそれをこっちも利用しますよ」と戯れた返事だった。じゃぁ今度ばかりは自分の心にまかせ土地土地の俗言と自己一存の心と詞で詠もうと考えたものの、一向にはっきりとしなかった。千句という数多い句の中では、その方針をあるときはうすくあるときはこくとうち混ぜて詠んだ。)

【さて、はいかいとてみだりにし、わらはせんと斗はいかん。花実をそなへ、風流にして、しかも一句たゞしく、さておかしくあらんやうに、世々の好士のをしへ也。此千句は、其をもとぢめず、とくみたし度き初一念斗に、春秋二句結びたる所も有ぬべし。されども、正風誰人の耳にも入るまじきに、いさゝかもきこえん、はからざるさいはいならん哉(や)。】

 解釈:(さて、俳諧と言ってみだりに、笑わそうとばかりするのはいかがであろうか。花実(詞・心)をそなえ風雅で一句として正しく(独立して意味がわかり、前句に付いている=前句と二句一連の短歌として意味が通じる)した上で、おもしろいように詠むべしと先人の連歌師たちも教えている。しかし、この千句ではそれを全体にわたって、し遂げ詠んだわけでもない。早く千句の結果がみたいという初一念ばかりが先行し、春秋が二句で終わった所もあるだろう。しかし、正風というものは誰の耳にも入るわけではなく、そういう人達にはこういったことはすこしも理解できないだろうから、自分の不行き届きに気付かれず、望外の幸いなのかも知れない。)

【其うへ、ふんこつの妙句なきにしもあらず。又さしあひも、時代によるべきにや。しいてなをさんも、しうしんいかゞ也。然るに、はいかい何にてもなきあとなしごとゝ、このまざるかたのことぐさなれど、何か又世の中其れならん哉。本連歌に露かはるべからず。大事ならん歟(か)。】

 解釈:(その上、渾身の妙句は中にないこともない。また指合いも時代によって違うであろう。無理に去り嫌い等の式目を適用して句を直すことに執着するのもどうであろうか。俳諧は連歌の余興の取りとめないもので言い捨てるべきものという、私には好ましくない言葉があるけれども、どうしてまた世の中の大勢もそうなのだろうか。俳諧は連歌の付け足しの余興ではなく、また連歌に置き換えられるものでもない。俗言による連歌として独立した大事なものなのである。)

【兼載このみにて、心ものび、他念なきとて、長座には必ずもよほし、庭鳥がうつぼになると夢をみせ、むこ入りに一つばしをわたり、宗碩は文かよはしの自讚に、入あひのかねをこしにさし、宗かんよりたびたび発句などくだし侍り。近くは宗牧一二座忘れがたく、其らをたよりにて、おもひよる事しか也。追加五十いんおほけれど、祇公三嶋にて千句二おりを、おもひいづるものならし。】

 解釈:(兼載は、俳諧が好きで心ものびのびと雑念が入らないと長い座では必ず催し、

  こころぼそくもときつくるらん/庭とりがうつぼになるとゆめにみて (犬筑波)
  あぶなくもありめでたくもあり/むこいりの夕べにわたるひとつばし (同)
 と詠み、宗碩は、
  ほんには人のかよふたまづさ/むかしよりその文月のこひのみち   (同)
  けふのくるるとかへるばんじやう/山寺のいりあひの鐘をこしにさし (同)

 と詠み宗鑑(犬筑波編著)からたびたび俳諧の発句の仰せがあった。近年の人では宗牧の俳諧の一二座が忘れられない。それらを根拠にして思い寄せたことが以上述べて来たことである。追加の五十韻は多いが、宗祇公の三嶋千句を思い出してあやかったものである。)
 
【さて、古来まれなるどくぎん千句成就、松のはの正木のかづら、目出たくや侍らん。】

 解釈:(さて、古来まれな独吟千句がここに成就した。松の葉ように常緑で変わらない定家蔓ともたとえるべき俳諧千句の成就、目出たいことだ。)

引用文献:
 『守武千句注』飯田正一編、古川書房、1977年

※其角の『類柑子』には、其角が勢州山田の住反朱子がもとに、右(跋文)の真蹟があるを涼菟斎をして書写せしめた旨の記事がある。

※私の解釈はかなりいい加減かつ意訳以上なので注意w 

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