2009年4月17日金曜日

蒲公英草紙 常野物語



『蒲公英草紙 常野物語』恩田陸 ネタバレ
 時代は明治の日清戦争のころ、少女だった私(峰子)は、宮城県南部の大地主、槙村家の病弱なお嬢様、聡子のお話相手としてお屋敷に週二日上がるようになった。蒲公英草紙は峰子が自分の日記に付けた名前で、数十年後それを読みつつ当時を回想する。

 食客の洋画家椎名と仏師の永慶は、競って聡子の肖像画を描く。聡子は椎名が描いた洋画は聡子の今現在のありのままの忠実な写実であり、永慶の描いた日本画は聡子の過去や未来も含めたもっと長い時間の流れを聡子を通して表現しているから簡略なのだと洞察する。
 
 ある日、春田という一家が槙村家にやってきてお屋敷の天聴館に逗留する。この一家は旅を住処とする一族「常野(とこの)」で霊感や予知能力(遠目)、超人的な記憶力があり、他人と「響きあう」と、その他人の心持ちも含めて一切をまるまる自分の中に「しまう」ことができるという。実は常野の血は何代か前に槙村家にも入り込んでおり、聡子はこれから先に起きることが分かるらしいのだ。

 収穫で忙しい村で聡子と峰子は子供たちを集め、お菓子を配りお話し会をし始めた。雨が強くなりやがて風も伴って来た。今で言う局地的なゲリラ台風だ。裏山が崩れ鉄砲水が襲ってくる。二人は間一髪子供たち全員を避難させる。しかし聡子は胸が苦しくなって動けなくなり濁流に流されてしまう。

 三日後聡子の遺体が見つかる。常野の光比古少年は聡子を「しまって」いると言い、聡子の見て来た風景や心の中の風景(思い)をみんなの目の前に映し出す。聡子は病弱な自分が村の子供達のために一生懸命頑張れたことが嬉しい、今までとても幸せだった、これからも槙村の空や地となって皆さんを見守っていきたい、悲しまないでください、聡子はいつもみなさんのそばにいます、と言って消える。

 常野の一家はやがて天聴館を離れまた旅に出る。いつまた逢えるかわからない。峰子は最後に光比古に「あなたたちは、だれ?」と尋ねる。光比古は「僕たちは、峰子さんさ」「え?」「というか、みんななんだ。僕たちは、みんなの一部なんだよ。みんなの一部が僕たちなんだ。みんなが持ってる部分部分を集めたのが僕たちなんだって」

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