2009年5月26日火曜日

同苦



『阿修羅を究める』興福寺監修 小学館

「仏教に敵対する神であった阿修羅が、天平時代に奈良・興福寺でなぜ清楚な表情の少年像に造形されたのか?隠された謎に多方面から光を当てる。」と帯にある。阿修羅展で間近に阿修羅像を観て、同じ疑問を持った。またこれを造った光明皇后の思惑も探りたい。


  ゆくりなきもののおもひにかかげたるうでさへそらにわすれたつらし  会津八一

  けふもまたいくたりたちてなげきけむあじゆらがまゆのあさきひかげに    同


衆生とともに苦しみ悲しむ(同苦する)ような阿修羅像の切ない表情に多くの人が惹かれるというのはわかる。それはキリストの磔像(十字架)とある意味同じだろう。733年に光明皇后は母橘三千代のために清楚な阿修羅像などを造ったという。その22年前の711年に同様な造形の阿修羅の塑像が法隆寺五重塔北面に造られている。

金光明最勝王経 キーワード=懺悔
祖父の藤原鎌足、父の藤原不比等、母の橘三千代がやってきたこと。歴代の天皇をあやつって一族の繁栄に邪魔な人達 e.g.有馬皇子、大津皇子、長屋王等を次々に抹殺していった。 その懺悔か? 

写真提供はフォト蔵さん

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