「蕉門の附句は前句の情を引來るを嫌ふ。ただ前句は是いかなる場、いかなる人と、其事・其位を能く見定め、前句をつきはなして附べし。」 蕉風俳諧の最高峰と言われる猿蓑の歌仙の中に、前句の情に引きずられた芭蕉の付句があるのを高弟許六はみとめていた。
『俳諧問答』許六・去来
一、猿蓑下巻誹諧に云、
前 草村に蛙こわがるゆふ間ぐれ
蕗の芽とりに行燈ゆり消す 翁
(猿蓑『市中は』歌仙)
この句、「ゆり」の字、前にもたれてむづかし。「行燈さげ行く」としたし。
前 咳聲の隣はちかし縁づたひ
添へばそふほどこくめんな顔 翁
(猿蓑『梅若菜』歌仙)
この「添」の字、前句の噂(注:説明)なり。「見れば見るほど」ゝしたし。
「ゆり」の字は前にしたし(親し)。「添」字は一向に前句の噂也。深川集に出る予が宅の誹諧に云、
今はやるひとへ羽織を着連立
奉行の鑓に誰もかくるゝ 翁
(深川集『洗足に』歌仙)
一巻出来終て師の云、此「誰」の字、全く前句の事なり、是仕損じなりといへり。今此句に寄て見る時は、右両句(注:猿蓑の二つの付句)前句にむづかし。予閑に察して云く、第一時代の貴あり。亦は師名人たりといへども執着の病あり。師さへかくのごとし。門人猶以たるべし。前句に着し、題に着する事、人情の病なり。
毎度この誹諧をよむ時、したしき様に覚ゆ。退て吟味すれば、この二字前句にむづかし。師在世のとき、この事沙汰侍るらずなり。先師よく知り給はんや。次でながらしるす。外へは彌(いよいよ)さたなし。
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