猫の戀初手から鳴て哀也 野坡 (炭俵)
芭蕉の晩年に現れて軽みの第一人者と後世に言われる志太野坡(しだやば)であるが、いろいろ句をながめてもどこが?と思うのは私だけだろうか。芭蕉や去来、許六が当時そう言ったからそうなのかしら。近年、奥の細道の野坡本が出て芭蕉の自筆草稿本と認定されたようであるが芭蕉の信任のほどがうかがえる。しかし、もう少し芭蕉が長らえていたらどうだったろうか。別の新風が出てそれについていけなければやはり使い捨てにされただろうか。上の句からふと新風の軽みについていけず使い捨てにされた越智越人(おちえつじん)の猫の戀の句が浮かんだ。
うらやまし思ひきる時猫の戀 越人 (猿蓑)
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