2009年10月17日土曜日

芭蕉の「軽み」の付け方

   
   いまだ軽みに移り兼ねしぶ/\の俳諧散々の句  
             (元禄七年八月九日の去来宛芭蕉書簡)

序:
富山奏氏(1)は従来の芭蕉の軽み論は、軽みについて具体的に語っている幾人かの門人の言説に頼ってきたが、芭蕉は門人のレベルに応じて方便を使い教えを垂れるので門人の言説をいくら集め総合したところで芭蕉の真意には迫れないとする。

またほとんどの論客は軽みを発句中心に論じて来たが、よくよく芭蕉の言説を調べると、軽みについてはほとんどが連句の付けに対して述べており驚きさえ覚えるとし重大な片手落ちだったとする。この二つを氏は反省点として芭蕉の言説に依拠し連句による論を展開する。

本論:
元禄七年八月九日の去来宛芭蕉書簡には「いまだかるみに移り兼ねしぶ/\の俳諧散々の句」とある。富山奏氏はこの芭蕉の言を、元禄七年七月二十八日、猿雖亭夜席で巻かれた歌仙『あれあれて』を主に念頭においていると推論する。

この歌仙を巻いたときの芭蕉の真筆草稿が存在し、そこには芭蕉が伊賀連衆の句を添削した跡が載っている。添削部分のみ示し詳細な説明は省略。なぜそう添削されたかは、下の芭蕉の「軽み」の付け方に要約されている。

    歌仙『あれ/\て』
    
       元禄七七月廿八日夜猿雖亭

  あれ/\て末は海行野分哉  猿雖
   鶴の頭を上る粟の穂    芭蕉
   。。。
ウ                     (芭蕉の添削後)
   崩れかゝりて軒の蜂の巣  卓袋
  花盛真柴をはこぶ花筵    土芳  焼さして柴取に行庭の花
   柳につなぐ馬の片口    木白   こへかきまわす春の風筋

二ウ
   行儀のわるき内の六尺   望翠   行儀のわるき雇ひ六尺
  花盛湯の呑度をこらへかね  配刀  大ぶりな蛸引あぐる花の陰
   戸を押明けてはいる朧夜  木白   米の調子のたるむ二月


■芭蕉の「軽み」の付け方:
【要約すると次の如くなる。先ず桜に柳と言ったような固定した型にはまった言葉付けや、或は意味付けにしても、「行儀のわるき雇ひ六尺」に「花盛湯の呑度をこらへかね」と言った全く同じ内容を繰り返した停滞した付け方や、「大ぶりな蛸引あぐる花の陰」に「戸を押明けてはいる朧夜」と言った同一人の動作を続けて説明したような飛躍の無い付け方を否定するものである。

しかも、「崩れかゝりて軒の蜂の巣」に「花盛真柴をはこぶ花筵」と言ったような前句の中の一部分の意味のみに応じて、他を捨て去るような付け方は、如何に句境を転じ飛躍させる為であっても容認しないのである。

即ち、前句の意味や気分を逃すことなく、あくまでも尊重しつつ、然も軽やかに句境を進転させて行くのが「軽み」の付け方なのである。そして、その為には、当然一句そのものの調子も、あくまで軽やかで、前句から受けついだ調子の流れを塞き止めるような句を作ってはならない。

自分の句のみに力みすぎて下手に趣向を凝らす時、丁度糸の途中に結び目が出来た様に、そんな句が出来るものである。さりとて、平板安易で何の曲も無い句では話にならないのである。此処が「軽み」に言うべくして行い難き点であろう。】

■芭蕉の「軽み」の発句:
【ところで、発句に於ける「軽み」も、本質に於てはこれと同じ精神である。下手に趣向を凝らすと句がもたつくし、平板安易一方では何の曲も無い駄作となってしまうのである。

従来「軽み」が平易通俗な句体であるとか、濃艶・繊巧の美を排するものであるとか、或はまた、景気とあらびを尊重して情辞のねばりを排し、通俗卑近性や現実性を重んじて古典性を拒否するなどと言われるのも、皆此の精神の発現する種々相に触れたものである。

芭蕉自身が「手帳にあぐみ」(杉風宛書簡)と言って、わざとらしい趣向に依る拵え物の句を排しているのも、同じ精神の現れた一つの場合である。ー以下略ー 】

感想:
本論で富山奏氏が指摘する<芭蕉の軽みの付け方>は、我々現代の連句人も守るべき基本的なものであろう。これを読んで耳が痛いとか何も感じないなら、<いまだ軽みに移り兼ねしぶ/\の俳諧散々の句>ということであろう。

大学の卒論が『芭蕉の軽み』で、それ以来研究し続けているという富山奏氏は、新版近世文学研究事典では「芭蕉が発句の詠出法として強調した「かるみ」とは本意として内に深遠な伝統的風雅心を宿しながらも、その表現は素朴に、さりげなく眼前の実景描写のように行う手法であった」としている。これは一般向けでそれはそれで発句中心の穏当な定義であろう。

芭蕉は他の作法についてと同様にきちんと理論的で実例的な軽み論を文書として残さなかった。軽みにおいては門人の誤解と脱落離反という憂き目に会った。後世の芭蕉学者も当時の門人同様、ああでもないこうでもないと終わることのない論争に巻き込まれている。芭蕉が秘すればこそ論が百花撩乱と花開くというところであろうか。

参考文献:
(1)富山奏『異端の俳諧師 芭蕉の藝境』、和泉書院、1991年
(第一章 芭蕉晩年の「軽み」の藝境 第一節 元禄七年の芭蕉の藝境 ー特に従来の「かるみ」の解釈への反省としてー)

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