俳諧歌論(わざごとうたのあげつらひ)
高田与清(たかだともきよ 1783-1847)
原文:
桃青といふえせものが漫(みだり)に正風といふ名をいひ出せしより、こよなう俳諧歌は廃れたり。まづ正風体といへるは、歌にもはやくよりいへりし事にてその真の体をいへる名也。然れば俳諧歌の正風とはをかしみあるをいふべきにこの法師が、
意訳:桃青(芭蕉)という偽者が考えの浅いまま正風という名を言い出してから、この上なく本来の俳諧歌(滑稽味を帯びた歌の一体)が廃れてしまった。正風体というのは和歌にも早くから(古今集:六体、定家:十体)定義されており、それらを指す言葉である。正風体の俳諧歌とは滑稽味のある歌であると言うべきなのにこの法師は、
原文:
山路来て何やらゆかしすみれ草 夏草や兵士どもが夢の跡
春雨や蜂の巣つたふ屋上の漏 旅烏古巣は梅に也にけり
むざんやなかぶとの下の蛬 ものいへば唇寒し秋の風
初しぐれ猿も小蓑をほしげ也 道のべの木槿は馬に喰れけり
おくられつおくりつはては木曽の秋 蝶のとぶばかり野中の日影かな
原文:
などいへるたぐひ(ここには泊船集、芭蕉句選などいへる中にてその難なきを挙たり。此外の発句どもおほかたは体をなさず。)みなさびしげなる手ぶりにて少しも俳調(わざことぶり)にかなはず。こは正風の字を心得ひがめて戯たることなきをいふとおもひしなるべし。
意訳:
などという類いの句を詠んでいる。(ここでは泊船集と芭蕉句選から難(きず)のないものを列挙した。この他の発句はほとんど体をなしていない。)どれも寂しい感じの風調でちっとも面白味と滑稽味がなく俳諧という正しい風体に叶っていない。これは正風という言葉を自己流の意味付けでゆがめて解釈し、戯れの要素がないことを正風の俳諧と言うようにしたにちがいない。
原文:
尾張国名古屋人士朗が枇杷園随筆に、許六が曰く、発句は正風体を宗とする也。見聞たる所を句につくる也。幽玄のさびしみ、ほそみへかけて人の感ずることをす也とあるにて、此徒(ともがら)のひが心得せし事しられたり。されど俳諧歌の上の正風は、俳調なるをいふべきにて然らぬ体は邪事(よこしまごと)になんありける。
意訳:名古屋の井上士朗(1742-1812)の『枇杷園随筆』の中に、「許六が曰く、発句は正風を旨とする。作為や想像でなく、見たり聞いたりしたことを発句に作れ。幽玄なさびしみやほそみを心掛けて人が感動するように詠めとある。これで桃青らの輩の正風と俳諧に対する間違った解釈と行いが明白にわかる。昔から俳諧歌の正しい風は、面白味滑稽味であり、そうでない風体は正しくないのだ。」
原文:
俳諧童子教にむかしの俳諧は俳諧を体とし、今の俳諧は風雅を体とす。故に芭蕉翁は俳諧に古人なしと密に申されけるぞといへり。これによりておもへばふるき正風にもよらずみだりにおのれが仕出したるえせ事をいひはらんとて、古人なしなどともいひけるにや。
意訳:嶋順水『俳諧童子教』に「むかしの俳諧は俳諧を体とし、今の俳諧は風雅を体とする。その故に芭蕉翁は俳諧に古人なしと密かに言われた。」と書いてある。これからすると昔からの正風、俳諧の解釈に依らないで自己流の間違った解釈を主張して、古人なしなどと言ったのだろうか。
原文:
されどこの作者が後に桃青が心におしあてて附会せしにや。動(と)もすれば桃青がかくいひおきたりとて、おのれが私事をいひ出し、古き道をもきたなき口つきもていひ消んとするは、俳徒(わざことびと)の常也。
意訳:しかし、芭蕉がそう言ったのではなく、嶋順水が芭蕉の心を汲み取って言ったのだろうか。芭蕉がそう言い残したとしても自分勝手な解釈を言い出して昔からの解釈をないがしろにしその伝統的なものを消滅しようするのは、こういう偽の輩の常である。
原文:
つらつらおもふにかかるたぐひの者世にはあまたありていかに道理をさとしてもおもひあきらめずいよいよ邪道(よこしまのみち)にかたまる輩(ともがら)いとおほし。邪宗の賊など国の害におよびしもこれがゆゑ也。ー略ー
意訳:よくよく考えるとこのような類いの偽者は世に沢山居り、どのように道理を尽くして説いてもその考えを捨てずますます邪道に入り込んでいく輩は大変多い。間違った宗教の信者の増加などで国に害が及ぼされるのも同じ理由である。
原文:
かかればこの法師が歌は俳諧の発句にもあらず、また俗語を雑(まじえ)て、雅言をつくさざれば真の片歌にてもなく。右に挙たる桃青が発句どもは真の片歌ともいひつべけれどなほ純粋の詞(てぶり)にあらず、いはんや俳諧体なる発句はたえてなかるをや。わづかに 菜畑に花見がほなる雀かな といへる一歌はその体を得たりといふべし。
意訳:従って、この法師、芭蕉らの歌(575)は正しい意味の俳諧(滑稽味)の発句でもなく、俗語を混じえ雅びでもないので真の片歌でもない。右に挙げた桃青の発句は真の片歌とも言えないことはないが、純粋な片歌の風調ではない。さらに正風の俳諧体の発句は絶えて存在しない。強いて言えば、菜畑に花見がほなる雀かな は滑稽味があり俳諧体となっているか。
原文:
名もなき漫歌(みだりうた)とこそいひつべけれ。此はむねと活計(よわたり)のわざをのみおもひかまへて、いかなる痴人にもたやすく詠出らるべき調(てぶり)をもて誘つつ、空しきからの名を売たりしもの也けり。
意訳:全体的に見れば、芭蕉らの歌は漫歌(みだりうた)とでも呼べようか。自派の隆盛と自分の生活の糧を得ることをまず考え、どんな阿呆でも簡単に歌を詠めるような風調で人々を派に誘い、空しい虚名を売ったと言える。
感想:
批判は一理あるか。芭蕉が昔からの解釈をネグって新しい解釈に置き換えていくのは、俳諧という言葉もそうだが、軽みという言葉もそうかもしれない。従来の面白おかしい俳諧は狂歌・狂句と呼び、これからは誠の俳諧だけを俳諧と呼びま〜す。従来の面白おかしい俳諧の軽みは、これからは重みと呼びま〜す。そして作為のない軽みだけを軽みと呼びま〜すとか(^^)
土芳『三冊子』のしろさうしの冒頭にも、芭蕉の俳諧は名はむかしの名にしてむかしの俳諧に非ず、誠の俳諧なりと、いけしゃぁしゃぁと悪びれず、宣言している。
若干芭蕉の弁護をすれば、連歌と俳諧の違いは、俳諧が俗言を使うだけで両者は同じだという認識が貞徳などにもあった。和歌・連歌人からすれば、雅で真面目な歌の合間に息抜きの余技で、俗言を使い面白味・滑稽味を加味して俳諧歌を楽しんだのだろう。芭蕉は俳諧で、宗祇が雅言をもって到達した正風連歌の境を目指した。俗言を使ってその境を目指した先人はいないということで俳諧に古人なしと言った。このとき俳諧に面白味と滑稽味が付随していてはその道は遠いというか到達不可能と思われた。よって俳諧から面白味と滑稽味を排除して、風雅の誠路線を正風俳諧という名を唱えて進んで行ったのだ、と思う。
参考文献:
江戸人物読本 松尾芭蕉、楠元六男編、ぺりかん社 1990年
俳優(わざをぎ)
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