談林時代の芭蕉
「談林の俳人で、談林風の俳諧に於て、且つ連吟に於ても、西山宗因に匹敵するほどの
軽妙洒脱な作風を示し得た者は、西鶴でもなく、高政でもなく、江戸の松意でもなくて、
実に芭蕉であったのである。
此の事はあまり人々の言はない所であり、蕉風以後の芭蕉の光に圧倒された為か、談林
時代の芭蕉にあまり着目する人もないのであるが、彼の延宝時代の作品、例へば素堂と
両吟の江戸両吟集、素堂信徳と江戸三吟などは、如何なる談林俳人も傍へ寄り附き得ぬ
ほどの巧妙さを示して居るのである。かやうに談林俳人としても傑出した才能を持って
居たればこそ、蕉風開眼といふやうな、大事業を成し得たものだと私は考えてゐる。」(1)
臍の緒の吉原がよひきれはてて 桃青
かみなりの太鼓うらめしの中 信章
地にあらば石臼などと誓ひてし 桃青
末の松山茎漬の水 信章
千賀の浦しほがま据て庭の隅 桃青
雪隠さびて見え渡るかな 信章 (江戸両吟集 其の一)
「偉大な人間は、大衆の好みに合ふやうに伝説化され、その裏の人間性や生活などを歪
められて語られてゐることが多いものである。ことに国民的な存在、大衆に最も親しま
れてゐるやうな人間になると、それがはなはだしいやうである。芭蕉もその例にもれな
い。しかし、それが却って彼の作品ならびに人間の真の価値の認識を誤らしめてゐる。
そこで、彼の生活を、いままでの通説をはなれて、できるだけありのままに見なほし、
芭蕉の作品の偉大さは、さうした彼の芸術的生活そのものを通して創り出されたもので
あることを明らかにしたいと思ふ。」(2)
あら何共なやきのふは過て河豚汁 桃青
寒さしさつて足の先迄 信章
居あひぬき霰の玉やみだすらん 信徳
拙者名字は風の篠原 青
相應の御用もあらば池のほとり 章
海老ざこまじりに折節は鮒 徳
醤油の後は湯水に月すみて 青
ふけてしば/\小便の露 章 (江戸三吟 其の一)
「延宝年間、談林時代に於ける芭蕉の生活は、有望、有力にして積極的なる談林派俳諧
師としての在り方をつらぬいたものであって、さういふ市井の、町人の俳諧師としての
生活を通じてこそ、あの生気溌剌、多彩豪華、奔放絢爛たる作品を多く作り出し得たの
であった。その作品と生活は表裏をなして居ったのであって、不可分のものであったの
である。決して貧僧を思はせるやうな、寒厳枯木の如き、孤独隠遁の生活を送ったもの
ではなかったのである。」(2)
杓子はこけて足がひょろつく 桃青
やゝ暫し下女と下女とのたゝかひに 信章
赤前垂の旗をなびかす 信徳
酒桶に引導の一句しめされて 桃青
つらつらおもんみれば人は穴蔵 信章
うらがへす畳破れて夢もなし 信徳
蚤に喰はれて来ぬ夜数かく 桃青
君々々爪の先程思はぬか 信章
しのぶることのまくる點とり 信徳
戀よはし内親王の御言葉 桃青
乳母さへあらば黒がねの楯 信章 (江戸三吟 其の三)
■引用文献
(1)『 連句藝術の性格』能勢朝次
(2)『芭蕉の生活 ー談林派時代に於けるー』廣田二郎
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