『連歌辞典』を徒然に眺めていて、ふと上句・下句の項目に目が止まった。そうなのだ、この式目以前の基本中の基本の原理を解っていない現代連句人が意外に多いのだ。
上句下句(かみのくしものく):和歌と同様に、上句とは五七五の句、下句は七七の句をいい、連歌では長句・短句ともいう。(『連歌辞典』)
下句起こし(しものくおこし):下句から詠みかけること。(『連歌辞典』)
◯俳諧は上下取り合わせて歌一首と心得べし。(支考『芭蕉翁二十五箇条』)
しかるに、連歌・俳諧・連句を学んできた過程で出会った珍説。
連句では上句・下句という概念はない。
連句は二句で短歌になる必要はない。
連句は連歌ではない。だから名前が違うのだ。連句は連詩だ。
こういう考えで句を連ねている会派は多いのではないか。私がたまたま入った二つのネット会もそうだった。連歌・俳諧・連句と名前は違うが、上句に下句を付け、その下句に上句を付け、短歌となるように詠む。この基本原理は変わらない。
◯俳諧に迷ひて俳諧の連歌といふ事を忘れたり。... 俳諧の連歌の名目をからず、はいかい鉄砲となりとも乱声となりとも、一家の風を立らるべし。(『去来抄』)
これに違反するものは、芭蕉在世時にもいたようで、去来は、はいかい鉄砲、乱声(らんじょう)と呼んだ。今はさしずめ、連詩とでも呼ぶのか。
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