2010年4月15日木曜日

子規も虚子も俳諧は短歌を連ねるということが分かっていた

#jrenga 連歌 俳諧 連句

俳諧の発句(俳句)のみ文学性を肯定し、俳諧の連句の文学性を否定した子規も、その弟子で俳諧の連句を肯定した虚子も、俳諧は俳諧之連歌であり短歌を連ねるものであることを分かっていた。

○子規『芭蕉雑談』—新聞『日本』明治二十六年十二月二十二日

 ある人曰く、俳諧の正味は俳諧連歌に在り、発句は則ち其の一小部分のみ。故に芭蕉を論ずるは発句に於てせずして連俳に於てせざるべからず。芭蕉も亦自ら発句を以て誇らず、連俳を以て誇りしに非ずやと。

答へて曰く、発句は文学なり、連俳は文学に非ず、故に論ぜざるのみ。連俳固より文学の分子を有せざるに非ずといへども、文学以外の分子をも併有するなり。而して其の文学の分子のみを論ぜんには発句を以て足れりとなす。

ある人又曰く、文学以外の分子とは何ぞ。

答へて曰く、連俳に貴ぶ所は変化なり。変化は則ち文学以外の分子なり。蓋し此変化なる者は終始一貫せる秩序と統一との間に変化する者に非ずして、全く前後相串聯せざる急遽倏忽の変化なればなり。例へば歌仙行は三十六首の俳諧歌を並べたると異ならずして、唯々両首の間に同一の上半若しくは下半句を有するのみ。


○虚子「連句論」『ホトトギス』明治三七年九月

 余が今爰に連句といふのは所謂俳諧連歌の事である。昔の歌の上の句に下の句をつけ、下の句に上の句を附ける、即ち連歌の起原ともいふべきものを聯句といふて居る本もあるやうであるが、其も一般に通用する用語では無いやうぢゃ。

俳諧といへば俳諧連歌の事である事はいふ迄も無いが、此明治の俳運復興以来文学者仲間には俳諧連歌は殆ど棄てゝ顧みられ無いで、同時に発句が俳句と呼ばるゝやうになつて、俳諧といふ二字が殆ど俳句といふ事と紛らはしくなつてしまつた。其処で所謂俳諧の発句といふべきを略して俳句といふが如く、俳諧の連句といふべきを略して連句といふ方が俳句に対して裁然と区画が立つやうに覚えられる。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=13126368&comm_id=1303056&page=all No.38 No.40

0 件のコメント: