『川柳探求』前田雀郎著 1958 有光書房
自分の区にはなく、余所の区の図書館から借りて読んだ。川柳と俳諧の部分から、
【谷中竜泉寺に慶紀逸の墓があると聞いて、明治38年、川柳中興の祖、阪井久良伎らが訪ねたら寺の僧は知らず、どうやら無縁仏となってしまったらしい。
紀逸は連句(俳諧)から単独で面白い付句を選んで『武玉川』を編んだ。これは好評を博し、前句付の点者であった柄井川柳はそれに触発されて、前句付から単独で面白い付句を選んだ。それを呉陵軒可有が編んで『柳多留』と題し出版した。
やがて前句が形骸化し、前句なしで独立した面白い句を詠むようになっていった。それは点者の名前をとって川柳と呼ばれるようになる。
これは俳諧の平句が独立したことを意味する。子規は俳諧の発句のみを文学とみなし、俳句として独立させたが、それよりずっと前に平句は川柳として独立していたのだ。
俳諧 発句ー>俳句 季語を使った花鳥諷詠の詩
平句ー>川柳 季語からフリーな人間諷詠の詩 】
慶紀逸の『武玉川』がなければ、『柳多留』はなく、<川柳>はなかったと雀郎は言っている。私も谷中散策の折りに竜泉寺に立ち寄ったことがあるが、寺の女に白い目で見られ、とりつく島の無い感じだったので尋ねるのはやめた(^^;)
俳諧(連句)のほとんどは平句(歌仙36句ー発句/脇/第三/挙句4句=32句)であり、平句=川柳とすれば、俳諧はほとんどが川柳からできている。俳諧は俳句を連ねるものではなく、発句の俳句に川柳を連ねるものと言える。俳諧はむしろ川柳なのだ。
しかしながら、俳句は花鳥諷詠に飽き、現代川柳に影響されて、人間諷詠(探求)も範疇にしていったようである。川柳と俳句の違いは季語/切れの有無くらいと言われる。無季俳句や切れのある川柳もあり違いはますます微妙になってきた。俳諧は俳句を連ねる、俳諧は川柳を連ねると言ったところで、今や実質的な違いはないのかも知れない。
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