『柳人 前田雀郎 ー俳諧から川柳への軌跡ー』櫻井子黄
宇都宮出身の柳人前田雀郎の事蹟を資料ベースで克明に記述し
ている。従って資料としては大変有益なものであろう。しかし
惜しむらくは、雀郎の伝記というところまでは構成や描写がこ
なれていない感じがする。
同じ柳人ものでも田辺聖子の『道頓堀の雨に別れて以来なり ー
川柳作家・岸本水府とその時代』などに比べたら大きな差があ
る。学究の素人と大小説家の違いだからいたしかたない。
内容的にメモしたくなったことは、以下の五点。
1、天明期の俳諧(蕪村・太祇など)を新川柳のベースとする。
ここには西鶴の自由、鬼貫のまこと、芭蕉のわび・さびが調
和されて含まれており、俳諧の全き姿を見ることができる。
わびさびてかくてかるみがほしくなり(芭蕉) 蘭
2、川上三太郎と前田雀郎は対立しているように世間では見える
かも知れないが、本人たちは仲がよくそう思われていること
を面白がっている。雀郎は川柳とは何かを追求し、三太郎は
川柳をどうもっていくかを追求するという棲み分けの協定が
あるという。
3、雀郎「批評というものは褒めるに限ると悟るようになった。
だから近頃では何も言わない。」思うがままに批評して猛反
撃の災難を受け懲りたようだ。
酷評は素直な弟子に限定し(雀郎) 蘭
4、俳諧から川柳が分岐していく分岐点は几圭、蕪村の時代と
雀郎は主張している。
貧乏もついに面だましいとなり 雀郎
母と出て母と内緒の氷水 雀郎
音もなく花火のあがる他所の町 雀郎
花火の句などは抒情性と叙景性を兼ね備えたいい句だと思う
が花火を季語とする俳句と言われても通りそうである(蘭)
5、『川柳と俳諧』と『川柳探求』は参照しているが全貌がわか
らない。読めば1、4に関してももっと詳細にわかってくる
だろう(蘭)
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