2007年03月05日16:49
田中善信『元禄の奇才 宝井其角』新典社を読んだ。
談林派の在色は、貞享以後の芭蕉の俳諧を「連歌の腰折れ」と『誹諧解脱抄』で評している。俳諧の重要な要素である笑い(滑稽)と洒落がなく、かといって正風連歌には及ばない、連歌の出来損ないという意味である。両派の俳諧観の違いとしてこの証言は興味深い。
この頃、其角はこの意見にいかにも同調しそうなものだが、黙って芭蕉の風に合わせている。其角が宗匠(俳諧師)と認められるのは貞享三年であり、それまでおとなしく角を隠しているしかないか。
芭蕉は、江戸を離れ旅をしつつ地方の連衆と真面目路線の新しい蕉風を興して行く。一方、其角は、西鶴や荷兮に接近する。西鶴の磊落さと即興性、荷兮の作意性に其角は共感していたのだろう。
芭蕉は、作意を否定する。芭蕉と其角の俳諧観の違いが鮮明になるのは、「猿蓑」が編まれた元禄三年(刊行は四年)で、このとき其角は「いつを昔」を刊行し、作意の重要性を説いている。
芭蕉(不作意/まじめ路線)対 其角(作意/滑稽洒落路線)という図式。荷兮は、芭蕉を離れたが其角は離反しなかった。しかし、芭蕉の軽みなどは無視し、後に洒落風と呼ばれる独自路線を突っ走って行った。
そして作意をつきつめて行った果てに多くの謎句が生まれた。同時代の同門の門人でもわからなかったようだ。支考はこれらを「唐人の寝言」と呼んだ。在色は「むだ句多し」と評し、其角が好きな蕪村も褒める直前に「めでたしと聞ゆるは二十句にたらず覚ゆる。其角の句集は聞こえがたき句多けれど。。。」と述べている。
現代の学者の評として、鈴木勝忠の「才能の枯渇をかくすため学を衒い虚勢、奇怪の言語であがいた」は手厳しい。田中善信の「俳諧が文芸として邪路に陥った。しかし遊び心を根底にした江戸文芸への影響は多大である。」は穏当か。
現代の連句人としては、腰折れ連歌でもなく唐人の寝言でもない所をめざしたいわけであるが、どこらへん?
まじめ(誠)
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●芭蕉 |
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不作意<ーーーーーーー・ーーーーーーー>作意
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| 其角●
V
滑稽洒落
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