2010年2月28日日曜日
孤高の人(一)
2007年06月01日20:37
『孤高の人』新田次郎
孤高の人とは、神戸の造船技師で天性の登山家、加藤文太郎のこと。明治三十八年の生まれは父と同じだ。(父も胸板が厚く頑強だったし孤高の人だった。)
加藤文太郎は登山界に新風を吹き込んだ。山岳会に属さず単独行で驚異的な登山記録を残していく。ヒマラヤを夢見ていたが槍の北鎌尾根で不帰の客となる。まだ三十歳であった。
『単独行』加藤文太郎
新田次郎が『孤高の人』を書くにあたって参照した本。八ヶ岳に関する記述だけ抜粋しておこう。そしてその跡をいつかたどりたい。
加藤文太郎は単独行が好きだったのではない。単独行しかできなかったのだ。その気持ちはよくわかる。心が通い一緒にいて楽しく、無理して話さなくても苦痛にならない友というのはなかなか得られないものだ。
植村直己は同郷の加藤文太郎に少年期から憧れていた。植村はエベレスト遠征に裏方として参加したが、抜群の体力を買われてエベレストのアタック隊員となり日本人初登頂に成功した。しかし、大量の人員・物資をつぎ込んでごく少人数しか登頂できないやり方に疑問を持ち、それ以降は単独行に傾いていったという。
『単独行』より抜粋
私の登山熱
八月終りには戸台を経て仙丈岳を極め引返し駒ヶ岳へ登り
台ヶ原へ下山、大泉村から権現岳を経て八ヶ岳連峰を縦走し
本沢温泉へ下山、沓掛より浅間山に夜行登山をなし御来光を
拝し小諸へ下山等の登山をした。
八ヶ岳
権現岳の避難小屋に一泊したが、風通しのよいのに驚いた。
雨は降る、風は吹く、雷の電光が遠く下の方で光って、夜は更
けて行ったが、やっぱり小屋に寝たのだが、風も引かず、愉快
に八ヶ岳を縦走することができた。小屋はこの他たくさんあっ
て登りよい山だ。眺望もなかなかアルプスに引けを取らぬ。
(一九二六・五・一)
冬/春/単独行
八ヶ岳
昭和三年十二月三十一日 快晴 茅野六・三〇 上槻ノ木
一〇・〇〇 一二・三〇スキーを履く 夏沢温泉四・〇〇
汽車が塩尻に着いた頃は空がどんより曇っていたので心配し
たが、明るくなるにつれて天気となり諏訪の高原はとても寒い
風が吹いていた。茅野の駅に下りて、まだ夜の明けたのを知ら
ない静かな街道を一人トボトボと歩いていると、初めての冬山
入りの淋しさがしみじみ身にしむ。
駅から泉野村小屋場まで定期に自動車が通っている。スキー
をかついで新田のあたりを登っていると、それらしい自動車が
下りてきた。
小泉山の下で東の空に判然と浮んだ真白い八ヶ岳連峰に驚き
の目を見張る。この道の最後の村である上槻ノ木で温泉の様子
を聞く。今年は経営主が変ったため番人がいないことや、温泉
までの道も左へ左へと登っていくことを教えられた。
僕は本沢温泉の方は一度歩いたことはあるが、この道は初め
てなので心配していた。魔法瓶に湯を入れてもらって出発し、
だいぶ奥まで木を引き出す馬の歩いた跡を伝う。
左へ左へと登ったため、地図の道と離れて鳴岩川に近い方を
歩いた。一四〇〇メートル辺でスキーを履き、一四六七メート
ルを乗越して地図の道に入った。
スキーは五寸くらい沈み睡眠不足がこたえてくる。しかし積
雪量が少ないので夏道がよくわかるし、後を振り返るたびに真
白い南の駒や仙丈、さては中央の山々、北の御嶽、乗鞍等が
次々に現れて慰め励ましてくれる。
鳴岩川の対岸に温泉でもできるのか大工のノミの音がこだま
してくる。エホーと声をかけてみたが返事がない。近いようで
もなかなか離れているのだろう。
谷が狭くなって両側の山が大きくなりだしたとき、一陣の西
風がサーと吹いてきてタンネの森がジワジワとおののき、山は
ゴーと凄い音を立て、青空はすでに刷毛で掃いたような雲にお
おわれて明日の荒天を判然と示してきた。
温度も急に下り、僕はなんだか身顫いするような不安に襲わ
れた。だがそれから間もなく夏沢温泉に着くことができホッと
した。この温泉は地図で見ると峰ノ松目の北にあたる岩壁の所
から一、二町らしい、ここからその岩壁がよく見えるから。
温泉は障子のままにしてあるので風通しがいい。しかし森林
地帯だからさほど強い風は吹かぬし、明るいので気持ちがい
い。温度が低いので火は焚けなかったが、畳が敷いてあり、蒲
団がたくさんあるので寒くはない。水は少し硫黄臭いが小川が
前を流れている。積雪量は二尺くらいだ。
昭和四年一月一日 雪 温泉出発九・〇〇
夏沢峠一一・二〇 温泉帰着一二・三〇
昭和四年の元旦は吹雪で明けた。予想はしていたものの山の
中の一軒屋にいて雪に降られるのは淋しい。元気を出して夏沢
峠まで行ってみる。道はよくわかるし危険と思われるようなと
ころはない。スキーは昨日と同じく五寸くらい沈む、峠の頂き
に雪が四尺ほど積っている。随分寒いのですぐ帰って蒲団の中
に滑り込む。
今日は元日だ、
町の人々は僕の最も好きな餅を腹一パイ食い、
いやになるほど正月気分を味わっていることだろう。
僕もそんな気分が味いたい、
故郷にも帰ってみたい、
何一つ語らなくても楽しい気分に浸れる
山の先輩と一緒に歩いてもみたい。
去年の関の合宿のよかったことだって忘れられない。
それだのに、それだのに、
なぜ僕は、ただ一人で呼吸が蒲団に
凍るような寒さを忍び、
凍った蒲鉾ばかりを食って、
歌も唱う気がしないほどの淋しい生活を、
自ら求めるのだろう。
写真提供:フォト蔵
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