2007年02月17日12:37
案内板がないので、梅翁と自堕落先生の墓はどこかいなと適当に墓地の中をうろうろ。でも見つからない。墓守か庭師か見かねたのだろう、「先生の墓はこっちだよ。」と案内してくれた。なんと本堂の真ん前の参道脇に馬鹿でかく長いオベリスクのような墓、いろいろ碑文が四方に書いてある。
生前に自分の葬式をし墓を創ったとか。ふざけた先生だ。本名は山崎北華、『蝶の遊』という紀行文を書いている。『続奥細道』とも呼ばれる。芭蕉の奥の細道をたどり松島まで旅をする。北華は、松島で夢を見て、芭蕉と問答する、そして、夢で見た象潟のイメージを壊したくないと江戸に引き返す。
参考:「蝶之遊」日本紀行文集成第四巻 日本図書センター
月花の雫や凝りて島小島 北華
象がたや我蝶々の遊び所 同
春うらら自堕落先生笑ふ声 春蘭
梅翁、西山宗因の墓は、さっき墓守に声を掛けられたところであった。西山宗因は談林時代の芭蕉の師、宗因なくんば今の自分や蕉門はないとまで芭蕉が評したひと、念入りに拝んだ。談林派の句碑(雪、月)と並んでいる。梅翁を花と見立て雪月花とした西鶴の趣向のようだ。
梅翁花脇をかためる雪と月 春蘭
写真は、養福寺正面、自堕落先生の墓碑、梅翁の墓地
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