2010年2月28日日曜日
萱草第六 雑連歌(九)
2007年05月27日10:47
京都大学附属図書館所蔵 古典籍 宗祇『萱草』(わすれぐさ)
たれもただおもへば夢のかたちにて
いづかたも旅の心やうかるらん
身はたのみなやこの世後の世
しのぶもくるしたえね玉のを
後の世にならば昔の人やみむ
思ふもかなし迷ふ身のはて
のちの世をなしとだにいふ人もがな
とはむ人なくなれるふるさと
後の世の事をたのまむ友もがな
ききてもむかふここちこそすれ
みずもがなわが後の世のますかがみ
おもふばかりはなにかあらまし
をくれしの後の世とても知ぬ身に
玉くしげふたりの心ひとつにて
親のそだてし身をあだにすな
のこるをしへもあればこそあれ
かかる身に猶親なくばいかがせむ
むかふかがみのつらき後の世
かたちさへ親には生れおとりきて
よそにちる文をふたりのとがにして
つたへぬをしへ親もうらめし
むまれぬさきのふるさともがな
しらざりし親のおやさへ恋しきに
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0079.html
しらざりし親のおやさへ恋しきに
おもひあはする涙こそあれ
といふ句に
われなくばいかにといひし親もがな
さだかにもなき面影を身にとめて
むかしわかれし親の恋しさ
わかれしのちの恋しさぞそふ
おりおりに親しあらばと袖ぬれて
かへらぬ事のつらきいにしへ
おやになどなをざりにては過つらん
たのむかげなき身をいかにせん
ひとりだにのこると親をおもはばや
おどろく時ぞ身のとがをしる
親をさへとをき別れに忘きて
わびぬるとても身をばくださじ
たらちねやかかる我をも祈らん
あだに過ぬる身をなたのみそ
子や親にいつもそふべく思ふらむ
ねぬほどは夜の枕もさだまらず
なけばこころをそふるみどり子
おどろく時ぞ身をなげきける
みどり子を寒きはたへに猶そへて
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0080.html
なにによるべき心なるらむ
みどり子の入なん道はしらまほし
ゆくすゑしらぬ事ぞはかなき
みどり子に年をいそげば身の古て
うき中にかたみのなくばいかがせん
あはれさきたつあとのみどり子
ことかはすほど立ならふ中
いとけなき子のおとといのかたらひて
みをくるうちにきゆる面影
ますかがみせめて昨日の身ともがな
年へてや水のゆくゑもかはるらん
瀧のよどみのしるきかみすぢ
うきわが心たれにくらべん
霜はいまふりわけかみの遠き世に
人ををそれぬことはりぞある
しろかみはさらにすくなる道なれや
きえむのみこそ身はたのみなれ
さりともの望もつきぬ我よはひ
山にすむ身のいつを待らむ
おさまれる世はありともの我よはひ
七世すぐるも夢の春秋
むまれしをいはふや老と成ぬらん
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k107/image/1/k107s0081.html
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