2007年01月05日12:28
江戸川柳の「日本」考
「日本」が詠み込まれた江戸川柳をピックアップして解釈し、それを適用することで、最後の難解な俳句の意味を探る。
「日本」の読みは、四文字なら、ひのもとかにっぽん、三文字なら、にほんかやまと。
○日本を越すとありんす国へ出る (船汀 川傍柳二)
解釈:日本堤を越えると新吉原に出る。
日本堤:浅草聖天町から三ノ輪に至る山谷堀の土手。1620年荒川治水の目的でつくられたもの。新吉原に通う道でもある。新吉原は1657年に日本橋の吉原を移転してつくられた。
安藤広重の江戸百景に、よし原日本堤(月に雁で堤の道には出店がたくさん:写真2)と郭中東雲(桜と遊郭:写真3)の絵がある。
○日本の地へ踏込むと酒手なり (船汀 川傍柳三)
解釈:日本堤(新吉原を含めて)に入ると酒代(チップ)
がいる世界だ。
○花の外には日本で団子なり (鼠弓 川傍柳三)
解釈:日本堤(新吉原を含めて)では、花(桜、花魁)
の外には団子が名物だ。
○日本から京の短冊竹がみえ (川傍柳初)
解釈:日本橋から京橋方面を見ると京橋の竹河岸の竹置
き場が短冊をならべたように見えることよ。
池波正太郎『江戸切絵図散歩』に「京橋の北岸を竹河岸と呼ぶのは、この河岸地が竹の置場となっていたからで、情景として趣が深いので私も小説に何度も使った。」とある。
安藤広重の江戸百景に京橋竹がし(川岸にぎっしりと長い竹が壁のように置かれている:写真4)の絵がある。
○日本の掘出しものは冨士の山 (甲鼠 川傍柳三)
解釈:買い物をする日本橋での掘り出し物は富士山だ。
安藤広重の江戸百景に、するがてふ(日本橋駿河町の三井越後屋と富士山:写真1)の絵がある。
ネットの記事に、【明月や不二みゆるかとするが町 素龍
<めいげつや ふじみゆるかと するがちょう>。「するが町」は、江戸日本橋地内の町の名。ここから富士がよく見えたのでこの名がついたといわれている。あまりに月が明るいのでこの分では日本橋駿河町からなら富士の峰が見えるかもしれない。】
○日本の衣で折れぬかきつばた (川傍柳五)
解釈:着物の袖や裾がふれたくらいじゃ杜若は折れない。
この句は次の歌を意識していそう。
かきつばた衣に摺りつけ大夫の着襲ひ猟する月は来にけり
大伴家持 万葉集
大夫:ますらを
安藤広重の江戸百景に、堀切の花菖蒲(中央に菖蒲の間を着物の女性が二人散策している:写真5)の絵がある。
意味が不明とされる問題の俳句に、上の川柳での意味を演繹的に適用すると。
○月花や日本にまはる舌の先 (畦石 俳諧桃桜)
解釈:月と花を見に日本堤に行こうと舌の先まででかかっ
ている。月と花を愛でるときは、やはり日本堤(新
吉原も含めて)の方に気持ちが向いてしまう。
写真1:する賀てふ(日本橋駿河町)
写真2:よし原日本堤
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