2006年01月27日13:32
本を二冊読んだ。
鈴木牧之『秋山記行』現代語訳・磯部定治 恒文社 1998年
鈴木牧之『北越雪譜』現代語訳・池内紀 小学館 1997年
豪雪による孤立で話題になっている栄村の秋山郷
や魚沼郡津南。江戸時代にその自然や風俗を本に
まとめて世間に知らせたいと思った男がいた。本
当の民俗学の草分けだ。出版までの経緯も面白い。
●『秋山記行』
越後塩沢の縮仲買・質屋の鈴木牧之(1770-1842)
は、縮の商いのかたわら江戸や大阪の文人たちに
知遇を得た。
「東海道中膝栗毛」の十返舎一九からは、秘境秋
山郷の話をすすめられた。1828年9月、一週
間の探検を決行する。3年かけて、実録版と戯作
版の二つを書き上げた。一九に送るが、一九は他
界していた。実録版が日の目を見たのは牧之の死
後であった。
湯本(切明)温泉、マタギの話、猿飛橋など興味
をそそる。今年の夏行ってみようか。牧之は、休
憩や宿泊した所には必ず、お礼に短冊で狂歌や俳
句を書いて置いていった。牧之は自分を偽俳諧師
と言っており、田舎俳諧の点者だったようだ。
一九が存命だったら、面白い戯作となっていたか
もしれない。原稿に3年もかかったのは、慣れな
い戯作版も書いたことと、もう一つの本「北越雪
譜」の原稿も同時に書いていたからであろう。
●『北越雪譜』
北越の自然や風俗を本にしたいと牧之が思って書
き始めたのは30代はじめ。山東京伝に話を持っ
行ってから滝沢馬琴、岡田玉山、山東京山と原稿
は出版されないまま転々とし、京伝の弟、京山の
尽力によりようやく、牧之67才の1837年に
出版された。熊に助けられた人の話が特に面白い。
二つの本は、田舎ほとりの無名人が本を出版した
いと思った時の難しさを教えてくれる。自分の文
才、自分が名声を望むのか、生活の糧としたいの
かどうかが問題となる。
たとえば柳田国男は「遠野物語」により一躍、民
俗学の草分けだとして名声を確固としたものにし
た。一方、柳田に題材を提供した遠野在住の佐々
木喜善は忸怩たる思いであった。共著という甘い
言葉に、集めていた昔話を提供したのだが、君の
文章は使えないと、共著どころか、一行のお礼が
はしがきに書いてあっただけであった。喜善は、
めげずに昔話を収集し独自に出版したがあまり知
られていない。
牧之は、名声や糧を喜善ほどは期待していなかっ
たようで、世間にとにかく雪国の現状を知ってほ
しいという一念だったらしい。俳諧もたしなむ縮
仲買・質屋の旦那の余技だった。
0 件のコメント:
コメントを投稿