2010年2月27日土曜日

其角の鎌倉の蝸牛

2006年12月24日11:06

鎌倉やむかしの角のかたつぶり 其角

河東碧梧桐は『其角俳句評釈』において、次のように述べている。「蝸牛角上の争いというような古語とを思い出して、昔の鎌倉は蝸牛角上の小争を事としておったが、今の蝸牛も鎌倉という土地だけに矢張り相応な角を出している、という句意である。

昔のままのという心持を直ちに「昔の角の」と思い切って大胆に言うたのが、この句の生命で奇想天外から落ちている。蕪村のいわゆる「句は磊落をよしとす」というのはかような場合であろう。

事実において鎌倉時代の蝸牛が今まで残っておろうとは思わぬけれどもその事実と合せぬようなことを構わず言い下したところに面白みがある。無論これは鎌倉でなければ適せぬ句で、政権争奪にも殊に干戈を動かすことの多かった連想も自然に湧いてくる。詞を弄すること其角より甚だしきはないが、往々にしてかかる名言を吐き得るに到っては、一奇才たる名に恥じぬ。」


永田耕衣は『鬼貫のすすき』において、力点を鎌倉に置く河東碧梧桐の「評釈は、常識的な正直さで、黙っていた方がいいことを表立って言い過ぎたため、其角の秘密を穿ちすぎた景色となってしまったのではあるまいか」としている。

それで、耕衣は、「そのむかしから、一向に姿形を変えぬ蝸牛の素朴な純正さ可愛さが目にあまるのだ。したがって、鎌倉の歴史感などは、この蝸牛角上から、ひとたまりもなく吹っ飛んでしまうのである。」と、力点を鎌倉には置かない評釈をしている。

どっちが其角の思いに近いのかは本人に聞いてみないとわからない。芭蕉没後、西鶴を兄とし芭蕉を弟と記したという其角とすれば、芭蕉の句への対抗上、須磨明石といういにしえの源平の合戦の場と同じ路線で鎌倉を出したにすぎないようにも思える。別に鎌倉でなくてもよかったのか。

蝸牛角ふりわけよ須磨明石   芭蕉
鎌倉やむかしの角のかたつぶり 其角


角隠し芭蕉をはふやかたつぶり 春蘭

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