2007年01月18日12:54
夜半亭さんが謎句を小出しにする。それを看過できない私が珍解釈をする。いつまでつづくのだろうw
■珍解釈1
○日本の風呂吹といへ比叡山 其角
「日本の」と大きく出たのは、比叡山が日本仏教の母山ということでしょう。
ネット記事より
【比叡山延暦寺は天台宗の総本山で、また、日本仏教の母山でもあります。この比叡山は多くの名僧・高僧を輩出しました。浄土宗の法然上人、日蓮宗の日蓮上人、浄土真宗の親鸞聖人、曹洞宗の道元禅師、臨済宗の栄西禅師等々、後に日本仏教の各宗派をお開きになった開祖・宗祖が一度は比叡山に登り、その修行の中で悟りを開かれたことから、仏教の母山と呼ばれています。】
比叡山では、現在、秋の紅葉祭と除夜の鐘で、大根炊きをして参詣者にふるまっているようです。場所は例の天台根本中堂前w 今でも多くの寺が大根炊をしており、母山の昔からの行事なのでしょう。
http://network.biwako-visitors.jp/event/event_3457_city101.html
http://www.linkclub.or.jp/~mcyy/kyo/yamanobe/02.html
風呂吹と大根炊は、厳密には料理として違うのでしょうが、大根を炊き、あつあつを食べることが共通しています。
其角はこの状態と寺に対する思いを句に仕立てたのでしょうか。
ほめているか(比叡山は精進料理のチャンピオン、風呂吹大根も日本一だ)か、ちゃかしてけなしている(比叡山は日本仏教の母山というが、仏教界、僧侶の堕落はどうだ、幕府の手先となり葬式仏教に成り下がり、修行もしないで大根炊きばかりしているなら、日本一の風呂吹きとでも改名したらどうだ)かどちらかでしょうか。私は後者のような気がします(^^)
■珍解釈2(別の日に)
○日本の風呂吹といへ比叡山 其角
其角は江戸の出身と思っていたら近江だという記事をみて、ネットの地図で調べてみました。其角の父は堅田の出身で膳所藩の医師。
堅田は琵琶湖の南。
その南隣が平安時代からにぎわったという雄琴温泉。雄琴温泉は、東が琵琶湖の畔、比叡山の山麓で昔は男の遊び場だった。
南隣は、比叡山坂本(明智光秀の坂本城があったところ)。
風呂吹は、蒸し風呂を吹くこととして。
これらをふまえて、くだんの句を解釈すると、
比叡山の麓の雄琴温泉の繁盛ぶりを見ていると、あたかも比叡山が雄琴温泉の風呂吹きをしているように思えることよ。日の本の風呂吹きだ。
風呂はもともと寺僧との関係から出て来たようですね。ネット記事。
【「風呂」という言葉はどこから来たのかというと、昔、僧侶が風呂屋者(ふろやもの)という人たちに石や土の室(むろ)を築かせ、ここに蒸風呂を作らせたことが始まりと言われます。】
また【風呂屋者とは、風呂屋にいた遊女。ふろおんな。湯女ゆな。】ともあります。
若い頃大阪に赴任したとき、最初の社内旅行が雄琴温泉でした。雄琴温泉に行くというとみんなにやつくのです。その理由は行ってわかりました。
後者の意味の風呂屋者が商売をしそうな施設がきらきらとたくさんあって、うぶなわたくしは、恥ずかしかったとですw 信長が焼き討ちした頃とか、比叡山のすすんだ僧たちも通っていたのでしょうか。寺の風呂としてw
其角さんの句は、どうも男の遊び場の方にすぐ結びついてしまうようです(^^)
■半藤一利『其角俳句と江戸の春』の解釈
比叡山の天台根本中堂の「台根」で大根、叡山三千房を、三千本としゃれたのではないかとしています。この説は夜半亭さんによれば、江戸時代の其角研究家の「坎窩久蔵」も採っているとのこと。半藤さんはひらめいたとしているが果たしてどうか。ネタがばれてしまったということでしょうかw
0 件のコメント:
コメントを投稿