2010年2月25日木曜日

更級日記・和泉式部日記を読む

2006年05月07日12:35

更級日記 

十三才の作者、菅原孝標女(1008-1059?) が、上総(千葉県)に赴任していた父と継母、姉らとともに京に戻る心細い旅の記録から始まる。これは、土佐日記や伊勢物語の東下りを連想させる。

続いて、京での生活。物語が大好きで、源氏物語を読みふける少女時代。宮仕え、橘俊通との結婚、仲俊らの出産、夫の単身赴任、夫の死。仏教への帰依など。日々の日記ではなく、回想と思われる。

  わが心慰めかねつ更級や
       姨捨山に照る月を見て  古今集

和泉式部日記 

和泉式部(978-?)の日記というより、恋愛の経過の記録(物語)である。女(和泉式部 25才)は、愛人(冷泉院第三皇子、為尊親王 26才)が亡くなり、寂しい思いをしている。そこに愛人の弟(冷泉院第四皇子、敦道親王 23才)の使いが花橘の一枝を持って訪れる。

  五月まつ花橘の香をかげば
      むかしの人の袖の香ぞする 古今集

女も男も世間では好き者という噂があるが、双方至ってまじめなおつきあい。最後に男は自分の邸宅に女を住まわせるが、本妻が姉の所へ出て行こうとするところで、プツンと終わる。

タイトルから受けるイメージと違い、物語としても変化に乏しく期待はずれ。和泉式部本人が作者だとすると、妻の座を争って本妻を追い出したいやな女の手柄話ということになる。歌の交換が多く、歌が得意な別人が書いたという説もある。

和泉式部は、1008年から1010年、道長の娘中宮彰子に出仕。紫式部は、同じ彰子に、1005年から1013年まで出仕し、両者はオーバーラップしている。紫式部日記には、和泉式部の歌は、格別ではないが新風で、見るべきものがあると評価している。

■王朝日記随筆集 井上靖/森三千代訳他訳 
 国民の文学7 河出書房

0 件のコメント: