2010年2月25日木曜日

蜻蛉日記を読む

2006年05月08日17:39

作者は、藤原倫寧の女、藤原道綱母、19才から39才(954年ー974年)までの回想である。19才のとき、藤原兼家(26才)と結婚。道綱を生む。

兼家は、このころ蔵人頭で、日記では大納言昇進までが記述されている。のち、一条天皇の摂政、関白、太政大臣にまで出世する。

他にも妻が複数おり、途絶えがちな訪問を悩み苦しむ女の心情が全体のトーンとなっている。夫が出世するのは、普通は妻としてはうれしいはずだが、逆に訪問は遠のいていくばかりでうれしくない。

悩みを打ち明け、なぐさめてもらいたいが、父は地方周りの国守、母は早々と亡くなる。道綱は元服し、従五位下になる。弓はうまいが、父からは凡庸と思われている節があり、それも母としては悩みのたね。

初瀬、般若寺、鳴滝の山寺、賀茂神社などに参詣したり、山籠りしたりするが憂さは晴れない。

異腹の夫の娘を探し出して引き取る。夫は、これは誰か尋ねる。あんたの子ですよと妻。とっくに死んだと思っていたと夫。一夫多妻だと当たり前の会話なのか。

この娘への右馬助のアプローチと、大和守の娘への道綱のアプローチが両方うまくいかない様子を書いて日記は終わる。

Wikipediaによれば、
藤原兼家(929−990) 986年摂政。のち関白、太政大臣。
藤原道綱母(936−995)歌人。菅原孝標女は姪。
藤原道綱(959−1024)大納言、中宮太夫。異母弟の道長と親しい。

藤原道綱母の項に、「晩年は摂政になった夫に省みられる事も少なく寂しい生活を送ったと言われている」とある。蜻蛉日記という名の由来は、日記の中に、日常あるかなきかの感じがするからかげろう日記とでも名付けようかという記述があり明らかである。

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