2006年06月09日14:08
芭蕉は、俳諧におけるきまり事(型や式目)を格という言葉で示し、『芭蕉文集 祖翁口訣』の中で、以下のように述べている。凡人はなかなか三番目の境地になれそうにもない。
格に入りて格を出でざる時は狭く
格に入らざる時は邪路に走る
格に入り、格を出でて、初めて自在を得べし
付句の型(前の句にどう句を付けるか)について書いてほしいと門弟から請われたが、ものに書いてしまうとそれにとらわれ、進歩がそこにとどまってしまうとして退けた。
一方の式目(ルール)についてはどう考えていたのだろうか。芭蕉はなぜ一門として式目を定めなかったのか。何を拠り所としていたのかを探る。
●卯七曰く、「先師は俳諧の法を用ひ給はずや。」 去来曰く、「是を成ほど用ひて、なづみ給はず。思ふ所ある時は、古式を破り給ふ事もあり。されど私に破らるるは稀なり。」(去来抄 故実)
意訳:卯七が去来に質問した。「先師芭蕉は俳諧の式目を使わなかったのですか?」去来が答えた。「師は式目を利用されましたが、拘わりませんでした。思うところがある場合は、古い式目を破ることもありました。でも好き勝手にされたことはありません。」
●俳諧の式の事は、連歌の式より習ひて先達の沙汰しけるなり。(三冊子 土芳)
●「和歌は定家、西行に風情あらたまり連歌は応安の式に定まる。」(忘梅の序)
注:連歌の式、応安の式とは、二条良基の『連歌新式』(応安五年 1372年)のこと。これに良基自身による増補『追加』と、1452年の一条兼良、宗砌による増補『連歌新式今案』がある。1501年、肖柏はこの三つをまとめ、『連歌新式追加並新式今案等』(*1)とした。三冊子にもこの次第は明記。
●是(*1)を大様、俳諧の法とむかしよりするなり。貞徳の差合の書、その外、其書世に多し。その事を問えば、師「信用しがたし。その中に『俳無言』といふあり。大様よろし」と言えり。(三冊子 土芳)
意訳:『連歌新式追加並新式今案等』が大体、俳諧では式目として昔から使われてきた。貞徳による式目の書をはじめ、多くの式目の書が世の中にはある。そのことを師に聞くと「ほとんど信用できないよ。ただ『俳無言』(梅翁の俳諧無言抄のこと)だけは大方よろしい」と答えた。
●「差合の事もなくては調へがたし。師の門にその一書あれかし」といへば、曰く「甚だつつしむ所なり。法を置くといふ事は重き所なり。されども花の下などいはるる名あれば、その法たてずしては、其名の詮なし。代々あまた出で侍れども人用ひざれば何が為ぞや。」(三冊子 土芳)
意訳:「式目を定めて書いておかないと格好がつかないのではありませんか。師の門として式目の書がほしいと思いますが」と土芳が師に言うと、「そのことは大変慎むべきことである。式目を定め置くということは軽々しくできることではない。
しかし、花の下と呼ばれる連歌・俳諧の宗匠ともなれば、自分の式目を定め置かないと、その名からして格好がつかないだろう。そういう代々の宗匠による式目がたくさん出てはいるが、使うのは自分の門下だけで、世の人が広くそれを使わなければ、なんの意味もない。」
●「法を出して私に是を守れとは、恥かしき所なり。差合の事は時宜にもよるべし。先づは大かたにして宜し。」となり。「ただ志ある門弟は、直に談じて信用して書き留むる物、密かに我が門の法ともなさばなるべし。」(三冊子 土芳)
意訳:「式目を書いて発表しても、広く使われず、それを自分の門下の狭い範囲で守っていくというのは恥ずかしいことである。また、式目はいつ、なんどきでも定めた式目を絶対適用するという筋合いのものではなく、座の連衆や句の前後関係などで適宜計らうべきものである。先ずは大体式目に沿っていればよしとすべきだろう。ただ、その気がある門弟が、門で使われている式目を信用して書き溜め内々に使うならそれはそれでいいだろう。」
注:『連歌新式今案』と『連歌新式追加並新式今案等』の原本の画像は以下にある。翻刻・注釈本はあるとしても需要が限られているので高そうだ。原文解読? 拘らないほうがベターか(^^;)
http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/kicho/04-24.html
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