2006年08月24日17:15
元禄七年に芭蕉が没したのち、門人はどうしたのだろうか。参考文献1によれば、4つのタイプがあったという。四分五裂したのはたしかのようである。
A:芭蕉の俳諧を忠実に理解し守ろうとするもの
B:師は師とし自分の好むところに従おうとするもの
C:自分が理解する師の俳諧を自分の俳風に引きつけ宣伝するもの
D:自分の門戸を張るため師を批判し自分の優位を強調するもの
蕉門十哲といわれるのは、其角、嵐雪、去来、丈草、支考、北枝、許六、曽良、野坡、越人or杉風であるが、それぞれどこに属するのだろう。去来、許六はA、其角、嵐雪はB、支考、北枝はCあたりか。丈草は隠逸の士でこの分類外とのこと。Dはだれだろう、十哲以外か。
『俳諧問答』は、A型の去来から、B型の其角をやんわりなじることから始まった。
それは書簡ではなく風国の『菊の香』への寄稿であった。今でいう公開質問状、だが其角はそれに答えることはなかった。ただ自分の撰集『末若葉』の巻末にほぼそのまま去来の文を載せた。完全無視ではなかったが、おちょくった感じもある。まぁ、去来も其角に対して失礼ではある、ことわりや挨拶がなくいきなり公開の場で一方的に言われてしまうわけで、おあいこといったところか。
これでは問答は成立しない。そこに横から去来の文を読んだ、やはりA型の許六が其角を弁護する形で参戦した。去来、許六ともに誠実の士でありみにくい罵倒合戦ではなく、むしろ芭蕉俳諧の神髄にせまる格調高い俳論となっているという。
特に許六は芭蕉風と蕉風は同じではなく、自分こそ芭蕉風を正しく理解しており、芭蕉の血脈は自分であるとまで言ってはばからないのだ。
次回は、俳諧問答の発端となった去来の「贈晋氏其角書」を見てみよう。原文は著作権侵害になるので載せない。つたない解釈文のみとする。原文は参考文献1にあり、ネットの古本で700円(送料別340円)ほどで買える。
参考文献
1、『許六 去来 俳諧問答』横沢三郎校注 岩波文庫 1996年復刊(注:註釈はほとんどないに等しい。もともとそれが著者の考え。)
2、『芭蕉俳諧の精神』赤羽学 清水弘文堂 1984年
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