2006年08月25日08:02
贈晋氏其角書 去来から其角へ
■解釈
先師芭蕉翁が奥の細道から京に入られたとき、蕉門の俳諧
はすでに一変しました。我らは師を石山の幻住庵や洛西の
落柿舎に迎えて、ほぼその新風の趣旨を理解しました。
瓢、猿蓑がこれです。その後、また新風を師は起こされま
した。炭俵、続猿蓑です。
私(去来)は師に聞きました。「師の風雅に関する見解は
次韻で変わり、みなし栗に移って以来しばしば変わります。
門人はその流行(新風)に浴したいと思ってきました。」
師は答えて言いました。「句には千歳不易(不変)の姿が
ある。また一時の流行の姿がある。これを両輪に教えてき
たが、その根本は一つである。一つなのはどちらにおいて
も風雅の誠をめざすからである。
不易の句を知らないと立つ基盤が成り立たないし、流行の
句を学ばなければ俳風は新しくはならない。よく不易を理
解している人は、往々にして俳風が変わらないということ
はない。
たまたま一時の流行の俳風に合わせうまく句を詠めても不
易を理解していなければ、別の流行の俳風が起きた時、立
ちゆかなくなるだろう。」
考えてみますと、其角子は能力として流行(新風)の句が
できないわけではありません。かつ才麿や一晶らのように
見識が狭く道を狭め師を損ずるような方でもありません。
自分でできないことは書にかき、口で言う方です。
しかし、詠まれた句を見ますと、不易の句においては、と
ても奇抜絶妙です。ところが流行の句は、近頃おもむきを
失っています。特に其角は世の中で大きな座の宗匠であり、
蕉門の高弟です。先師芭蕉翁と俳風が違うことは、多くの
世の人を迷わせ、同門人のうらみを買っています。
師は言われました。「あなた(去来)の言うことはわかる。
しかしおよそ天下に師匠たるものは、まず自分の形・位を
定めないと人が寄ってきようがない。これが其角が旧い姿
を踏襲して私の流行(新風)を実践しない理由なのだ。
今老いた私に寄ってくるひとは雲霞が風に変化していくよ
うに、朝、夕そこここに現れては消えていく風来の狂客ば
かりだとしても、風雅の誠を知っているならば、しばらく
は句の流行が同じでないとしても、またそれをお互いに励
むよすがとしていけばいいのだ。」
去来は言いました。「師のお言葉に返す言葉はありません。
ですが俳風は詠む句に表れます。本歌どりといっても代々
の宗匠の様は同じではありません。俳諧は新しみが命です。
水雪が清くてもとどまって動かなければ、かならず汚くな
ります。今日の多くの人のために古い格式をあらためない
のだと其角が言うとしても長くこのままとどまるなら、私
は劔であった其角は菜切り包丁になったといいます。」
師は言いました。「言葉を慎みなさい。其角が今私の流行
(新風)に遅れているとしても、これから先、多くの風流
をなし始めるかも知れない。」
去来は言いました。「そういう事もあるでしょう。それを
待つ年月が思いやられます。」とつぶやきつつ退きました。
師が亡くなり、むなしく四年の歳月が流れました。私(去
来)も年をとりましたが、この書を書いてあなた(其角)
に贈ることができ幸いに思います。其角先生、これをいか
んとされるべきでしょうか。
■コメント
この内容のいくつかの断片と同じ趣旨の文章を去来抄など
でも見たことがある。著者が同じだから当たり前か。
ここでの不易流行論はわかりやすく、二元論対一元論の論
争に発展していくとは思えないのだが。
■参考文献
1、『許六 去来 俳諧問答』横沢三郎校注 岩波文庫
1996年復刊
2、『芭蕉俳諧の精神』赤羽学 清水弘文堂 1984年
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