2007年02月16日09:14
昭和十七年に結成された日本文学報会(会長徳富蘇峰)の俳句部会(会長高浜虚子)に連句委員会が設立され、昭和十八年に式目が制定された。これを昭和俳諧式目と呼ぶ。
昭和十九年十一月号の『ホトトギス』に、合冊の『俳諧』四〇号に、昭和俳諧式目は高浜年尾の記事として掲載された。また昭和二十一年六月十五日に『俳諧手引』高浜年尾著として発刊された。この中で、高浜年尾は以下のように述べているが、全面的に共感できる。
「旧派の立場は、むしろ形式に重きを置いて、俳諧式目の精神を忘れて居るようである。今回の昭和俳諧式目は、かつて説かれてあった芭蕉俳諧の教えに従っていることは勿論であるが、その枝葉末節に拘泥することなく、その精神に立脚して、努めて平易に束縛を弛めるように考えたものである。そこに昭和俳諧の行く道を見出して、文芸としての俳諧を確立して行くことが、とりもなおさず今日の俳諧人の務めでなければならない。」
昭和俳諧式目
○俳諧(連句)は日本伝統の文学にして、その一巻に於ける、発句はもとより、脇句以下の附句も、各々一句としての独立性を有し、且つ各句間に於いては常に調和と変化に留意して、発展性あるものたるべきなり。
○附合の捌きは指導者の裁量に待つべし。去嫌に関しては、似寄りたる事柄及び言葉を避け、句形相似たるもの亦避くべし。
○連衆は一座の芸術的興奮を尚び、常に即吟を心がけ、時間を守り、濫りに一座の空気を妨ぐる如き動作あるべからず。
○両吟、三吟、四吟は順により、連衆多き場合には出がちと為すべし。
○新らし味は俳諧の華にして、昭和俳諧の根本理想の確立を本義とすべし。
○俳諧(連句)は歌仙を以て標準とす。
○季の句は春、秋は三句(但し五句までは差支えなし)、夏、冬は一句(又は二句)に止む。
○月、花の句は古式に従ひ、二花三月に定められた座に出すが適当にして、恋の句亦古式に従ひ、各所に一所以上出し、二句及至三句を続け、一句にては止むべからず。
○表六句は、成るべく穏やかに運ぶべし。
○脇句の留字は、古来体言留と規定されしも、必ずしも拘束すべきに非ず。但し必ず、発句の季に従ひ同季の句を以てすべし。
○第三の留字は、古来「て、にて、に、らん、もなし」等に限られてをりしも、必ずしも拘泥すべきに非ず。但し附合の変化を促す初の句なれば、主として連用形或は助詞、助動詞を用ゆるやう心掛くべし。
引用文献
村松友次『夕顔の花 −虚子連句論−』永田書房
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