2010年2月26日金曜日

『俳諧問答』の解釈7ー 再呈落柿舎先生

2006年08月29日10:45

   許六から去来へ

■解釈
許六:難問に御返答をありがとうございます。決して先生
(去来)と論争するこころざしはありません。私の筆が短
く意味がそちらに伝わらないものについてと、過論を謝罪
するため、また返事を書きました。

また、書簡の奥に自賛、発明の二論をしたためました。こ
れらはすべて自分の傲慢から書いた訳ではありません。長
編になったのは俳諧の議論を展開しているからです。文法
を飾らず、平話を交えて書きました。
                    以上

 其の書に云う
(ここに返事が項目別に列挙されているが、内容的に更な
 る論争に発展していくものはない。唯一、不易・流行論
 は両者平行線をたどっているが、それらについて許六は、
 添付の自賛論などを見てくれと述べている。)

添付:
 俳諧自賛論 69ページ
 自得発明弁 36ページ
 同門評判  38ページ

■コメント
書簡の後ろに許六の膨大な主論が添付されている。これに
は、去来も答えようがないだろう。よって書簡での『俳諧
問答』はこの書簡をもって終了した。

でもまじめな去来は自分の『旅寝論』などで、許六の『篇
突』なども含めて許六の説を引用し答えているとか。同じ
ように正統な蕉門を守り芭蕉風を理解していると自認する
二人だが、不易・流行、さび・しおり、かるみ、句作りな
ど両者はことごとく考え方が違い平行線をたどっている。

許六が自分を芭蕉風の血脈と自認するに至った経緯の記述
が自賛論にある。芭蕉の前で多くの弟子が迷いできなかっ
た「軽み」の句をいとも簡単に許六は案じてみせた。芭蕉
は長年探していた血脈を見つけたと言ったという。

芭蕉はよほどうれしくて、そういうことも言ったかも知れ
ない。師は弟子を鼓舞するため過分に賞賛する傾向がある
から注意しろと去来は前の書簡で述べている。それでも許
六は師の言葉を額面通り受け取りわれこそ血脈と言う。
去来は、私も前の書簡で許六をさらにおだててしまったと
苦笑したかも知れない。

だが、許六は、血脈とは芭蕉の俳諧精神そのものであり、
それを体得した人は皆血脈なのだという考えである、蕉門
を牛耳る野心はさらさらない。同門評判にあるように門人
を見渡して見て、芭蕉の俳諧精神を正しく理解し体得した
人は自分以外にいないと判断している。

書簡での『俳諧問答』は終わりだが、両者の俳論書による
俳諧問答はこれから始まることになる。

おわり

■参考文献
1、『許六 去来 俳諧問答』横沢三郎校注 岩波文庫 
  1996年復刊
2、『芭蕉俳諧の精神』赤羽学 清水弘文堂 1984年

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