2006年08月28日15:28
「冬の日」尾張五歌仙では、名古屋方の宗匠、荷兮は、
芭蕉より転じがうまくいつも全体を見ている感じで、さ
すがと思いましたが。ここにその荷兮に対する去来の感
情的な非難が出てくるとは思いもしませんでした。
D:自分の門戸を張るため師を批判し自分の優位を強調
するもの というのは荷兮らのことでしたか。
『俳諧問答』の解釈6ー 答許子問難辨(3)
去来から許六へ 続続
■解釈
許六:ああ、諸門弟の中に秀逸の句がないのは悲しいです。
去来:二十、たしかに、共に悲しむだけです。またたとえ
あっても、それをわかる人がいないのも悲しいことです。
許六:師の没後、俳諧の賊やあぶれものどもが出てきて蕉
門の恥辱です。
去来:二十一、あなたの言う通りで、誠に嘆かわしい。蕉
門の高客は全国に多く、正統の蕉風をさまたげることはな
いと思いたいですが。師の在世時に名前を聞かなかった輩
も多いです。とは言え孫弟子や先師が慈悲をもってわが弟
子とした人も多いでしょう。これらを今排除するのは穏や
かなことではありません。
近頃、尾張の荷兮は一書を作り、所々に先師の句を引用し
あざけっていると聞きます。まだ見てはいませんが、荷兮
は師を信奉していました。一年後ゆえあって野水、凡兆と
ともに師から遠ざかりました。師は恨みを捨てて京にいく
途中、名古屋の荷兮の柴の戸を訪れ一二日親しく話をされ
ました。荷兮が師をあがめ貴ぶことは昔日のようでありま
した。師が亡くなったとき江戸の其角、嵐雪、桃隣らと共
に蕉門人として東山で追悼の会に参加しました。
それなのに、今書を作り師をあざけり、自分が優ると宣伝
するのはもっとも憎むべき所業と言えます。師の在世時は
浮世の便として師をうり、没後は師をあざけり、自分が優
ると師をうり、初心のやからをあざむいています。荷兮が
師を難ずる内容を聞くとまことに笑うべきものです。私は
やつの耳を切り、邪な口を裂きたい!
師の在世時、師の句をそしるものがいました。私はそやつ
と争おうとしました。師は争ってはいけないと言いました。
師は「私は自分の句がまだ至らないと思うものが多い。私
の句を三、五句挙げてそしられるのは、私は名人と同格に
なったのかとむしろうれしいくらいだ。」と言われ大笑い
されました。
このことを思うと荷兮を憤り、ののしるには及ばないかも
知れません。師を荷兮が非難するのは彼が師を名人と考え
ているわけですからね。
コメント:去来の一途は痛いほど。でも弟子が師から見切
りをつけて離れるのはこのような文芸の宿命ではないか。
それを去来はわからない。くっついている側から見れば、
離れる人、師を追ってこない人は皆、裏切り者に見える。
しかしゆえあって荷兮らが一年師を遠ざかったというゆえ
とはなんだろう。
許六:最近の撰集はミスが多いです。高弟去来のあやまり
と言われますよ。
去来:二十二、なんと言われますか。多くの撰集は私が預
かり知らないものです。浪花集はかかわりましたから私に
責任があります。あと嵯峨の為有・野明、長崎の魯町・卯
七・牡年は面倒みていますが、その他は知りません。
許六:あやしいもののあやしい撰集を防ぐ手だてはありま
すか。
去来:二十三、なげかわしいことですが、手だてはないで
しょうね。
許六:惟然坊は特に大賊で真の俳諧の句は一句もないです。
去来:二十四、当たっている部分もありますが、言い過ぎ
でしょう。先師は彼の性が素で深く風雅に志しよく貧賎に
耐えていることをあわれんで熱心に指導されました。先師
の誉め過ぎ気味の賞賛や色々な俳論に迷ってはいますが、
人をたぶらかしてはいないと思います。
許六:惟然坊の撰集はひどいものです。
去来:二十五、これらは惟然の罪ではありません。彼が助
成した撰集でも意にそわず半ばで逃れたもの、できてから
頼まれて、彼がちょっと見たものもあり、彼の名を利用さ
れ彼の撰集と思われているかも知れません。その他に彼の
撰集はないですよ。
許六:撰集は惟然坊の生計・世渡りの手段でしょう。
去来:二十六、坊はそういう人ではないでしょう。
許六:浄瑠璃の情で俳諧、金山談合の席で名月の句を詠む
やからもいますね。
去来:二十七、あなたの言葉に失笑しました。
コメント:其角さんのことか(^^)
許六:私は、短才未熟ながら大敵に一番に討ち込んで死ぬ
鉄石の覚悟をしています。
去来:二十八、勇者には必ずしも義はありません。これは
其角のたとえです。義者には必ず勇がある。これはあなた
のことです。
許六:この書は諸門弟に見せてもかまいません。
去来:あなたは道の志が深くこの言葉に至ったのでしょう。
感涙しました。湖南の丈草や正秀にも送り胸のうちを聞い
てみましょう。
許六:私の願いはあなたと蕉門をかため守ることです。
去来:あなたの言葉はたのもしく私も勇み立つ思いです。
しかし、性が柔弱で敵にあたる器ではありません。十月初
より病を得て投薬中です。弓を引き矛を振るう力がありま
せん。強将の下に弱兵はいません。ますます兵を養って、
陣を練って大敵を破って下さい。あなたのような人は実に
蕉門の忠臣、一方の大将軍です。
元禄十年十二月日 落柿舎嵯峨去来拝
五老井許六先生
追伸 病後で精力がなくこの一書は風國に頼んで清書し
てもらいました。誤字脱字もありましょうが、お考えを
披見下さいますよう。語意が伝わらないものがありまし
たら再質問をお願いいたします。
つづく。
次回は、『俳諧問答』の解釈7ー 再呈落柿舎先生
許六から去来へ
■参考文献
1、『許六 去来 俳諧問答』横沢三郎校注 岩波文庫
1996年復刊
2、『芭蕉俳諧の精神』赤羽学 清水弘文堂 1984年
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