2006年08月30日11:04
荷兮ら名古屋衆との最初の歌仙『冬の日』において、芭蕉
はこがらしの発句を詠んだ。
狂句凩の身は竹斎に似たる哉 芭蕉
「去来抄」には、荷兮と去来のこがらしの句がなかよく
並んでいる。荷兮は、この句によって「凩の荷兮」と称
されたという。
凩に二日の月のふきちるか 荷兮 (元禄二年頃)
凩の地にもおとさぬしぐれ哉 去来 (元禄三年頃)
去来の句ははじめ、凩の地迄おとさぬしぐれ哉で、迄が
いやしいとして芭蕉に直された。そして去来は荷兮の句
の方が優れていると謙遜したところ、芭蕉は荷兮の句は
二日の月がなければさしたることはない。あなたの句は
何という詞がなく全体的に好句と言ったと記している。
許六との「俳諧問答」(元禄十年十二月)において、去
来は、荷兮が俳論書を出し、先師の句を非難して自分の
優位を吹聴している、これは先師をうるものだと激怒した。
その俳論書とは、元禄十年二月の荷兮の「橋守」と思わ
れる。芭蕉の句は次のように取り上げられている。
○発句の哉どまりにあらざる体
狂句凩の身は竹斎に似たる哉 芭蕉
蔦の葉は残らず風の動哉 荷兮
荷兮の句は、去来抄でも悪い例として取り上げられ、
発句というものはくまぐま迄言い尽くすものではな
いと芭蕉に言われ、同席していた支考は驚嘆し発句
とはそういうものだったのかと合点したという句。
○俳諧にあらざる体
雲雀より上に休らふ峠かな 芭蕉
郭公またぬ心の折もあり 荷兮
この二句は俳諧味が弱い例であると荷兮はしている。
辛崎の松は花より朧にて 芭蕉
凩に二日の月の吹き散るか 荷兮
この二句はある人から言わせるとそれぞれ三カ所の
難があると指摘されていると荷兮は述べている。
○艶なるは、たはれやすし
山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉
○留りよろしからざる体
霜月や鸛のつくつく並びゐて 荷兮
荷兮が芭蕉の句を嘲ったと去来がいうのはこのあたり
のことか。荷兮は一派の指導のため例句を提示しなが
らまじめに論じており、自分が芭蕉より優れていると
は言っておらず、悪意をもって芭蕉をあざけるような
ことはしていない。
芭蕉を信奉する去来からすれば、芭蕉のすべての句は
ありがたい教えであり批評することさえ憚れるものだ
ったのだろう。
荷兮が芭蕉の狂句こがらしの句をどう見ていたかは明
らかになった。あの歌仙で同様な趣向の遠輪廻風の句
を詠んだのもその思いの表れかも知れない。
参考:
岩波書店 日本古典文学大系「連歌論集・俳論集」の
付録「去来の立場」宮本三郎
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