2010年2月26日金曜日

芭蕉 狂句こがらしの後日談

2006年08月30日11:04

荷兮ら名古屋衆との最初の歌仙『冬の日』において、芭蕉
はこがらしの発句を詠んだ。

  狂句凩の身は竹斎に似たる哉 芭蕉

「去来抄」には、荷兮と去来のこがらしの句がなかよく
並んでいる。荷兮は、この句によって「凩の荷兮」と称
されたという。

  凩に二日の月のふきちるか  荷兮 (元禄二年頃)
  凩の地にもおとさぬしぐれ哉 去来 (元禄三年頃)

去来の句ははじめ、凩の地迄おとさぬしぐれ哉で、迄が
いやしいとして芭蕉に直された。そして去来は荷兮の句
の方が優れていると謙遜したところ、芭蕉は荷兮の句は
二日の月がなければさしたることはない。あなたの句は
何という詞がなく全体的に好句と言ったと記している。

許六との「俳諧問答」(元禄十年十二月)において、去
来は、荷兮が俳論書を出し、先師の句を非難して自分の
優位を吹聴している、これは先師をうるものだと激怒した。

その俳論書とは、元禄十年二月の荷兮の「橋守」と思わ
れる。芭蕉の句は次のように取り上げられている。

○発句の哉どまりにあらざる体

  狂句凩の身は竹斎に似たる哉 芭蕉
  蔦の葉は残らず風の動哉   荷兮
   
 荷兮の句は、去来抄でも悪い例として取り上げられ、
 発句というものはくまぐま迄言い尽くすものではな
 いと芭蕉に言われ、同席していた支考は驚嘆し発句
 とはそういうものだったのかと合点したという句。

○俳諧にあらざる体

  雲雀より上に休らふ峠かな  芭蕉
  郭公またぬ心の折もあり   荷兮

 この二句は俳諧味が弱い例であると荷兮はしている。

  辛崎の松は花より朧にて   芭蕉
  凩に二日の月の吹き散るか  荷兮

 この二句はある人から言わせるとそれぞれ三カ所の
 難があると指摘されていると荷兮は述べている。

○艶なるは、たはれやすし

  山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉

○留りよろしからざる体

  霜月や鸛のつくつく並びゐて  荷兮

荷兮が芭蕉の句を嘲ったと去来がいうのはこのあたり
のことか。荷兮は一派の指導のため例句を提示しなが
らまじめに論じており、自分が芭蕉より優れていると
は言っておらず、悪意をもって芭蕉をあざけるような
ことはしていない。
 
芭蕉を信奉する去来からすれば、芭蕉のすべての句は
ありがたい教えであり批評することさえ憚れるものだ
ったのだろう。 

荷兮が芭蕉の狂句こがらしの句をどう見ていたかは明
らかになった。あの歌仙で同様な趣向の遠輪廻風の句
を詠んだのもその思いの表れかも知れない。

参考:
岩波書店 日本古典文学大系「連歌論集・俳論集」の
 付録「去来の立場」宮本三郎

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