2010年2月25日木曜日

和漢朗詠集を読む

2006年05月19日20:20

はじめに

和漢朗詠集との出逢いは古い。大学の書道部に入ったとき先輩や同期の書くものを見て、そろそろ自分も楷書以外の書体を学ばないと格好がつかないなと思った。

神保町の書道専門書店に行き、行書、草書、隷書、篆書のほかに求めたのが藤原行成の『御物和漢朗詠抄』。藤原行成は、小野道風、藤原佐理と並ぶ三蹟。

端正な書風に、いつか自分もこうなりたいと思いつつ臨書。しかし内容を味わうところまでは至らなかったし、部分しか読んでいない。

源氏物語ー>白氏文集ー>和漢朗詠集のつながりで今回はちゃんと読むことにした。


本文

作者は、藤原公任(966ー1044) 一条天皇の時代の最高級の官僚詩人。父は太政大臣にまでなった頼忠。公任は権大納言どまりで不遇感を抱いていたという。

和漢朗詠集は、題名の通り、漢詩句588首と和歌216首から成る公任の撰集である。漢詩は部分の聯が多い。唐人と日本人で約半分ずつ、唐人のうち七割が白楽天である。

日本人の漢詩は、菅原文時(44)、道真(37)、源順(30)など。和歌は、貫之(22)、躬恒(13)、人麿(9)、赤人(5)など。

上巻は春夏秋冬、下巻は雑と分類され、小分類としての項目別に、それぞれ、唐人の漢詩、日本人の漢詩、和歌の順に並べられている。特に印象に残ったもののみ書き留める。




15  石そそぐ垂氷のうへのさわらびの 
      萌えいづる春になりにけるかな  志貴皇子

27  背燭共憐深夜月 踏花同惜少年春   白楽天

    (ともしびを背けては、共に憐れぶ深夜
     の月花を踏んでは同じく惜しむ少年の春)

67  鶯声誘引来花下 草色拘留坐水辺   白

    (鶯の声に誘引せられて花の下に来る
     草の色に拘留せられて水辺に坐す)

86  あを柳の枝にかかれる春雨は
      糸もて貫ける玉かぞと見る    伊勢

123 世の中にたえて桜のなかりせば
      春のこころはのどけからまし   業平

126 落花不語空辞樹 流水無心自入池   白

    (落花語らずして空しく樹を辞す 
     流水心無うして自づから池に入る)




173 五月待つ花たちばなの香をかげば  
      昔の人の袖の香ぞする      不詳




206 秋来ぬと目にはさやかに見えねども
      風の音にぞおどろかれぬる    敏行

221 林間煖酒焼紅葉 石上題詩掃緑苔   白

    (林間に酒をあたためて紅葉を焼く
     石上に詩を題して緑苔を掃ふ)

238 あしびきの山鳥の尾のしだり尾の
      長々し夜をひとりかも寝む    人丸

242 三五夜中新月色 二千里外故人心   白

    (さんごやちゅう新月の色 
     にせんりがい故人の心 )

258 天の原ふりさけみれば春日なる
      三笠の山にいでし月かも    安倍仲丸
     (中国より帰国叶わぬ望郷の歌)

316 見る人もなくて散りぬる奥山の
      もみぢは夜の錦なりけり     貫之

334 蒼苔路滑僧帰寺 紅葉声乾鹿在林   温庭均

    (そうたい路滑らかにして僧寺に帰る
     紅葉声乾いて鹿林に在り)




375 銀河沙漲三千里 梅嶺花排一万株   白

    (銀河いさご漲る三千里
     ばいれい花ひらく一万ちう)




404 山遠雲埋行客跡 松寒風破旅人夢   不詳

    (山遠うては雲こうきゃくの跡をうづむ
     松寒うしては風りょじんの夢を破る)

409 よそにのみ見てややみなむ葛城の
      高間の山の峰のしらくも     不詳

415 霞晴れみどりの空ものどけくて
      あるかなきかにあそぶいとゆふ  不詳

436 西施顔色今何在 応在春風百草頭   元九
    
    (西施が顔色は今いづくんか在る
     春の風の百草のほとりに在るべし)

442 焼ずとも草はもえなむ春日野を
      ただ春の日にまかせたらなむ   忠見

447 双舞庭前花落処 数声池上月明時   禹錫

    (ならび舞ふていせんに花落つる処
     すうせいはちしょうに月の明らかなる時)

451 和歌の浦に潮みちくれば潟をなみ
      葦辺をさして田鶴鳴きわたる   赤人

492 勝地本来無定主 大都山属愛山人   白
 
    (しょうちはもとより定まれる主なし
     おおむね山は山を愛する人に属す )

502 漁舟火影寒焼浪 駅路鈴声夜過山   杜荀鶴
  
    (ぎょしゅうの火の影は寒うして浪を焼く
     えきろの鈴の声は夜山を過ぐ)

554 遺愛寺鐘欹枕聴 香炉峰雪撥簾看   白
 
    (いあいじの鐘は枕をそばだてて聴き 
     こうろほうの雪は 簾をかかげて看る)

630 見わたせばやなぎ桜をこきまぜて
      都ぞ春のにしきなりける     素性

646 蒼波路遠雲千里 白霧山深鳥一声   直幹

    (そうは路遠し雲千里
     はくむ山深し鳥ひとこえ)

647 ほのぼのと明石の浦の朝霧に
      島がくれゆく舟をしぞおもふ   人丸

717 天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ
      乙女のすがたしばしとどめむ   遍昭

780 春風桃李花開日 秋露梧桐葉落時   白

    (しゅんぷうとうり花開く日 
     しゅううごどう葉落つる時)

795 世の中を何に譬へむあさぼらけ
      漕ぎゆく舟の跡のしらなみ  沙弥満誓



あとがき

平行して読んでいた大岡信の『うたげと孤心ー大和歌篇ー』の第二章、公子と浮かれ女の中に、和泉式部とその愛人敦道親王(帥宮)、公任の三人の歌問答が載っている。公任はある夜、敦道親王から手紙をもらう。そこには歌が書かれていた。

  われが名は花盗人とたたばたて
      ただ一枝は折りてかへらむ   敦道親王

親王は和泉式部をともなって白河の花見に出かけていて、戯れに自虐の歌を送ったらしい。花とは和泉式部やあまたの女性のことで、世間で自分が好き者と言われているのを知っての上での歌意か。

当時の歌道の第一人者である公任は、自分の価値基準にあてはまらない、和泉式部の火山が吹き上げるような新しい歌風が気になっていた。そして女性としても実は密かに惹かれていたのではないかという話である。上の敦道親王の歌もそれを承知で、公任にけしかける意図があったのか。

ちなみに、紫式部は、和泉式部を評して男関係のことはあまりふれず、歌は格別ではないが新しく見るべきものがあると紫式部日記で言っている。

和泉式部は夫道貞がありながら為尊親王の愛人となり、為尊親王が亡くなると弟の敦道親王とねんごろになり、ついには敦道親王の正妻を追い出し、奔放な好き者と世間では思われていたようだ。

異説はあるが、和泉式部本人が書いたと言われる和泉式部日記は事実としてそういうことがあったことを隠さず書いている。しかし、敦道親王の愛や邸宅に入ることにとまどい、躊躇している様子もうかがえる。自分は好き者などではなく好き者の男に翻弄された結果なのだと言いたいのかも知れない。


さて、何日か経って、公任は無難な歌を返し歌問答が始まる。

  山里の主に知らせで折る人は
      花をも名をも惜しまざりけり   公任

三人の歌問答を深読みしたという大岡信によれば和泉式部の最後の方の歌、

  ゆく春のとめまほしきに白河の
      関をこえぬる身ともなるかな   和泉式部

という歌の真意は、みちのくに赴任して行った最初の夫道貞を一番思慕しているのだと。外から奔放と見える和泉式部はその内よりみればいたって、一途で純情だったとも言えるのかも知れない。

■『和漢朗詠集』 大曽根章介・堀内秀晃校注 新潮日本古典集成
■『うたげと孤心ー大和歌篇ー』大岡信 集英社

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