2010年2月27日土曜日

連句『鶯の』の巻 (連歌 俳諧 連句)

以下は、私が受けた個人レッスンの歌仙の記録です。
最後に感想があります。
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タイトル:連句『鶯の』の巻
スタート:2005/4/6
エンド :2005/4/20
きまり :歌仙、両吟、膝送り、標準的な緩い式目
     句風自由
場所  :Yahoo掲示板




  連句「鶯の」の巻
         起首2005.4.6
         満尾2005.4.20

発句  鶯の声や煙雨の山の寺      春蘭 
   
    髭剃り忘れ未だ春眠       やっこだこ

    春の海遊子がひとり小舟にて   蘭

    のらりくらりと過ごす人生     や

    黒塀に黒塗りとまる辻の月    蘭 

    白露に沙汰の下るお白洲      や

初ウ  こしかたを思ひてすする新蕎麦に  蘭

    別れのことば突然に聞く     や  
    
    少年の恋をへだてる汽車の窓   蘭

    映画をみては目を赤くして     蘭

    気に入りの帽子被ってフランスへ  や

    式が終わって安堵する父母     蘭  

    月涼し臨時の僧の影薄く      や

    浴衣で呑めば遠くサイレン     蘭

    近頃は犬も歩かず食あたり     や

    川の堤に風もほどよく       蘭 
    
    花の宵こわいものなく歌も出て   蘭 

    酒のつまみに喰らふ草餅      や

ナオ  行く春に正蔵の顔やつれたり    や

    生まれてどうもすいませんとは   蘭
 
    津軽にてただ黙々と野良仕事    や 

    またぎのおどうもっか出稼ぎ    蘭 

    木枯しに鉄砲ひびく夜の街     蘭

    路地に水仙ひっそりと咲く     や

    あるじなき庵に尼が住みつきて   蘭

    まだ捨てきれぬ二個の携帯     や
   
    草枕異国の文字にきみおもふ    蘭

    案内嬢の頬のそばかす       や

    大揺れの二等船室窓の月      蘭  

    台風一過あっぱれな朝       や

ナウ  秋深し広野にでれば富士の峰    蘭   

    腰弁当がことことと鳴る      蘭

    貧乏を語りし友は偉丈夫に    や
    
    はだかのおのれ退いて知る     蘭    

    花吹雪よしの山の道しるべ     や

挙句  陽炎のぼる午後のひととき     や



ひとこと
「春蘭」
 いやー、貴重な体験させていただいてありがとうございました。
本を読んだだけではわからないものですね。連句とは俳句とは違うもので、
なにが面白いのかがおぼろげに理解できました。

子規が連句に対して言った言葉もこころが少しわかりました。連
想による物語の創作とでもういのでしょうか、空想がメインです
から、座の衆の心持ち次第でいくらでも俗の世界に堕ちていくこ
ともできますね。逆に蕉門のようにハイレベルな世界にも。

まだよくわからないのは、式目の詳細もさることながら、どうい
う歌仙がよい歌仙といえるのか、その中の個々の付句もどういう
付句がよいのかということです。私の付句は、式目のほうに左右
されて、ストーリが支離滅裂という感じがします。これは連句の
本質的な要素だとおもいますが、転じによるしかたのないことな
のでしょうか。
    
ほんとの連句はこれを数時間のうちにやってしまうわけですよね。
個々の付句に許された時間は少なそう。まぁ、気心の知れた知的
な(?)人同士の座興としてやると面白いでしょうね。
しばらくそしゃくしてみます(笑)

連句「鶯の」の巻 満尾おめでとうございます。そしてあり
がとうございました。ほんのすこし、達成感もありますね。



「やっこだこ」   
いやはや冷や汗の連続でしたが、
なんとか連句らしきものの一端がご理解いただければ幸いです。
私の経験不足と浅学のため、専門の方から言わせるとかなり
いかがわしい一巻だったかもしれません。
式目、付けかたというのも、わたし自身勉強中の身ですが、、、

歌仙の良し悪しなどとなると難しいですね。
一応芭蕉七部集などの蕉風が目安になっているのでしょうか。
ただ現在は連句をやる人自体が少ないですから
俳句のように現代の連句界と言って、談論風発の議論はないのではないでしょうか。

また支離滅裂というお言葉ですが、蕉風の連句は大体支離滅裂だと思います。(笑い)
これは意味によって付けるのではなく、前句の余情やら、姿を大事にするという
芭蕉のやり方なのでしょう。
連句は付けながら転じるという二律背反の作業ですから、一巻を通しての物語風の
意味を探るのは無意味かもしれません。

それからおっしやるように連句は本来気心の知れた
仲間同士で一緒に集まってやるのがいいのでしょう。
しかしインターネットという便利な道具もあり、忙しい現代人にはかえって自分の都合に
合わせられるというメリットもあるような気もします。

最後に「鶯の巻」満尾おめでとうございます。
ありがとうございました。
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